国立相模原病院前にある花屋さんの庭先
今日も相模原まで母の見舞いに行きました。そして驚きました。2日前までは手足を動かすことはできるものの上半身を起こすことができなかった母がベッドの上にちょこんと座ってテレビドラマの「水戸黄門」を見ながらウフフフと笑っていたからです。
腕に差し込まれた点滴と、小水を抜くカテーテルは抜かれてはいませんが、鼻に突っ込まれていた酸素吸入器は外され、妙に身軽になっていたのです。
「昨日は、脈が遅いので心臓のMRIを撮ったし、今朝は手足のリハビリをリハビリ室でやってもらったよ」と母はベッドの傍らに置いてある車椅子を指さします。
「もう車椅子で移動できるの?」
「いや、もう車椅子もいらないくらいだよ。ほら・・・」といきなりベッドから降りると2~3歩を歩いて見せたのです。
「ほううう・・・凄いね。凄い回復力じゃん」と僕が驚くと「当たり前だよ」と威張って見せるのでした。
母がこれほどまでに回復したのは発見と処置が早かったからだと思います。
「それに今日からおかゆを食べてるんだよ」体の右側が麻痺して口から食事をとるのが危険だと思われて点滴による栄養補給のみであったのに軽いながら食事もできるようになっているのでした。
「へえ、もう食べられるんだ。それも凄いね」僕は母の回復力に改めて驚きました。僕たちがいる間にも夕食が運ばれてきましたが、その食事(おかゆ、白菜の煮物、豆腐とダイコン、ニンジンの煮物あんかけ、ヨーグルト)をペロッと平らげて見せては「ははは」と笑うのでした。
この分では早めにここを退院できるようです。ここを退院したら実家のある大和市にある別な病院で「言語リハビリ」のために入院する予定です。今日は電話でそちらの病院とお話ししました。
国立相模原病院で不可能な治療は、その治療が可能な他の病院との情報連携によって患者を回すという仕組みができているようです。僕は当初、それが何らかのよくない習慣なのではないのか? と疑問に思いましたが、どうやら違うようです(笑)。こういった周辺病院との密な連携が可能であれば、無意味なたらいまわしで命を落とす患者さんをたくさん救えるのでは? と思うのです。
ま、とりあえずは母の回復力に任せておけば大丈夫だろうと、僕は夕方の6時過ぎに病院を出て、千葉まで戻るのでした。
小田急線 海老名駅操車場
