前回、僕の母親が脳梗塞になったことを書きましたが、今回はその続きです。その前に脳梗塞についてWikipedia「脳梗塞」
を参照すると・・・。以下にそのまま引用します。
脳梗塞(のうこうそく、cerebral infarction/stroke、別名:脳軟化症(のうなんかしょう))とは、脳を栄養する動脈の閉塞、または狭窄のため、脳虚血 を来たし、脳組織が酸素、または栄養の不足のため壊死、または壊死に近い状態になる事をいう。また、それによる諸症状も脳梗塞と呼ばれる事がある。なかでも、症状が激烈で(片麻痺、意識障害、失語など)突然に発症したものは、他の原因によるものも含め、一般に脳卒中と呼ばれる。それに対して、緩徐に進行して認知症(脳血管性認知症)などの形をとるものもある。 (Wikipedia脳梗塞より)
怖いですね。脳梗塞と脳軟化症が一緒だということも初めてわかりました。僕の母親の場合は梗塞の撮像(MRIの映像)がやや大きく、早い処置のために比較的軽症で済んだようですが、上記中の脳卒中に該当するのでしょうかね。軽症といっても以下のような治療とリハビリをしなくてはならないそうです。
2週間は入院しなくてはならないのですが、この間にカテーテルで“血液をサラサラにする薬液”を動脈内に投与することで治療していきます。これを「血栓溶解療法」と言うのだそうです。その後、言語リハビリというリハビリをしなくてはならないのですが、入院した国立相模原病院ではそのリハビリができないので、他病院で言語リハビリを行う予定です。
発見が遅れたり、また年齢による劣化(老化)のひとつだろうと油断して、処置を誤ると大変なことになってしまうそうです。
母親の病状は、発症期より意識ははっきりとしており、瞬間的に返事をするようなことは、ろれつも普通に返事ができます。ただ、言葉をつなぎながら長く話をしなくてはならない場合には、なかなか言葉が出てこないのです。
また発症当日と翌日までは、左の脳に梗塞ができたたために逆の右側の手足が麻痺して力が入らない状態でした(右にできた場合には左側が麻痺するそうです)が、3日目には手足が普通に動かせるようにまで回復しました。手の握力もやや弱いくらいで驚くほどの回復力でした。
早期発見と処置が功を奏したのですね。
「発症の状態について」
病室で妹と母親に話を聞いて、発症当時の様子を知ることができました。それは以下のようなものでした。
僕からの電話を切ったあと、母親は夕飯の用意をしてから横になってテレビを見ていたそうです。すると、いきなり気持ちが悪くなって、その場で嘔吐してしまったのです。朝から食欲がなくコーヒーゼリーしか食べていなかったようですが、口から噴水のように吐しゃ物が噴き出したのだそうです。しかも1度だけでなく数回吐いたそうです。頭痛はなかったそうです。ただ、突然気分が悪くなったというのが母親の場合の症状です。
母親は意識が朦朧となりながらも自分が汚した部屋を掃除したと言います。それを裏付けるように妹が帰宅して救急車を呼び終わって待機していた時に部屋の中を見まわすと、部屋に敷いてあったカーペットがきれいに畳まれて玄関にあり、部屋中の家具には乱暴に何かをふき取ったような跡があったと言います。母親は無類のきれい好きなのですが、なにもこんな時までと少し涙が出ちゃいます。
妹が玄関のドアを開けて室内に入ったとき、ドアを開けようとしてふらふらと立つ母親が見えたそうです。意識はしっかりとしているのですが言葉が出てこない母親を見て脳の病気というイメージから「母親は死ぬのではないか」という思いが頭の中を駆け巡りながらも何もできない自分に腹が立ったそうです。
そこに救急車が来て、妹は少しほっとしたようです。母親を運び出し、搬入病院が決まるとあっという間に病院に到着したので少し驚いたと言います。救急車と救急隊の方々のありがたみがわかったとも言います。救急車を大した用もないのに使う人たちが増えているといいますが、そのために誰かの命が失われるようなことがあれば最悪です。
脳梗塞は高脂血症や動脈硬化、高血圧などの所謂“血液の粘度”が高い方に多く発症する病気です。心筋梗塞の疑いありと診断された(笑)かく言う僕もそのひとりです。脳梗塞の予防策としては、生活の不規則を改善する、油っこい食事を控えるだけでなくバランスの良い食事内容にする、煙草を吸わない、飲酒を適度にする、運動をする、普段から水をたくさん飲むように心がける・・・ということです。水をたくさん飲むのは効果的なようですよ。
おっと、今回も脳梗塞の話で終わってしまいました。次回は必ず、私の犯した罪について書きましょう。
