子離れしてしばらく遠目で見ようと思っていたけど
息子は親思いなところがあって電話があった。
私が伝えたかったことの意図がうまく伝わらなかったこと。
SNSへのメッセージはむずかしいなって思った。
素朴な疑問が、彼にとっては嫌だったんだなと言うことと
私自身の文章力のなさや思い付きのように書いたこと。
お互いがすれ違う原因になったなって思って
それでも今回の事をきっかけに
親として子供の成長を見守るという段階は
色んな段階があるなって思った。
自分の人生より大事だけど
子供の人生と自分の人生を重ねないように気を付けないと。
私が見て来た景色は私だけの景色で
今子供が見ている景色とは違う。
そういうこと、節目節目で気が付かないと
いつの間にか色々すれ違うね。
そして、息子の1か月に及ぶインターンシップも終わりになる。
自分が選んだ企業で他の希望者も多かった中
インターン生として選んでもらえたことや
信頼してもらえている様子が話の内容で感じられた。
手探りをしながらも、自分が培ってきた知識と経験を
その企業でどう生かすか。
沢山の事を学べて、しかも人に好かれる子なんだなぁと
感じられた。
人生経験を色々積んでいる人は
人を見る力もあると思うけど、そこに関しては
息子は認められたんだなと思った。
インターンが終わっても、継続してバイトとして
仕事に来て欲しいと言われたらしい。
他にしていたバイトもあるしその仲間もいい仲間で楽しそうにしていたから
どうするの?と聞いたら
「確かにバイトの仲間は大事だけど
その情に流されて、やりたい仕事を学ぶチャンスは逃したくないからね。そこはちゃんと線引きしないと」
と、なるほどと思う事を言っていた。
若いと、仲間とつるみ一人になる事を避けたくなって
今の現状から変化することをしたくないと
ずるずるとぬるま湯につかってしまうことがあるけど
大学進学で遠くの土地に行くと決めた時から
彼は何のために大学に行くのがちゃんと考えていたんだろう。
サークルなどには最初こそ入っていたけど
似たような仲間とワイワイして時間を使いことは
自分にとっては違うと思ったのか数か月でサークルは辞めた。
最初にしたバイトは接客の世界で接客やマナーなど
学ぶチャンスがあるからと最初は前向きだったけど
バイトは駐車場の交通整備ばかりになって
何も学べないと思ったから辞めていた。
その後もいくつかバイトをしながらも
自分がやりたいことは何なのかと模索していたと思う。
そんな中で、インターンシップ先に選んだ企業が
自分の可能性を生かせると思える事が多くて
なるほどと思った。
サークルだって、バイトだって
ワイワイと出来る仲間が出来るしいいのかもしれないけど
留まっていることで進化や可能性のチャンスを逃すこともある。
自分がなぜこの学部を選ぶために遠い見知らぬ土地まで来たのか
ずっと考えながらなんだなぁ。
そう思うと、私自身の10代後半から20代前半が
なにやってたんだろう!!と思うほど人に自慢できないよ。
人に自慢と言えば
自分の子供が夢に向かって色々頑張って手にしていくこととか
親以外で喜んでくれるのってなかなかないから
自慢話ってなるから人に出来ないよね~って
夫と昨日話した。
わかりやすい事では学歴や企業名などを
誰もが知ってるとか高学歴とかだと
その話をすることでも、他人にしてみたら自慢になる。
事実なんだろうけど、あまりにすごいと聞く方は
なんだよ!自慢かよ!って思う。
人の感情で一番厄介なのは『嫉妬心』
この嫉妬や羨望を受けても
それすら乗り越える力がある人が人に影響力を与えるような
大物になるんだろうなぁ。
でも、すごいってどんなことだろう?
意外とすごい事って地味な作業なんじゃないかな?
立派なビルを所有するのは凄い事だとしても
信号機とかの交通整備をされている道を作る人って
ビルの所有者よりすごくない?
でも、道を作るなんて地味な仕事で名前が出るなんてない。
それでも世の中はどこかの誰かが人々が住みやすいように作ってくれてる。
立派なビルの一棟より、行きたい場所に行くために作ってくれた
道や交通。こういう事って気が付かないけど
不満を感じないでそこにあるってだけですごいんだよなって思う。
表に出てくる人気者より
その人気者を表に出て輝かせることが出来る人の方が
もしかしてすごいんじゃないか?
裏方は誰にも名前を知られることもないかもだけど
人を幸せに出来る人気者の存在を支えている。
そう思うと、人間が分かりやすいすごさを自慢したり
その自慢を嫉妬するのって
なんかつまんない事だよなって。
自分自身が社会の中で何の役に立っているかは
わかりにくいのだけど
でも私の場合は、自分のするべき仕事をして
自分の子供の成長を支えて
それだけでも、私の存在は確かにある。
大きな影響力を持つ人はそれだけ人の様々な感情を受けて
それすらも背負う人間だろうけど
ほんの些細な小さなことでも、背負っているのなら
それはそれで一人の人生だって思う。
人に自慢して認めてもらおうと思うより
自分自身、何が出来るか。そしてそれをして来たか。
そういった些細な事が積み重なって
社会は成り立っていくのだと思う。
最近は、色んなことを主張できるツールが溢れていて
インスタ映えとかで、他人の人生を見てしまうから
輝く人こそが世の中を動かしているような気にもなるけど
本当に小さなことでも、自分が出来る事をしていくことで
色んな力が合わさっているんだな。
私自身が子供の成長を見守る事で
気が付くことって色々ある。
世の中の誰もが一人一人の人生で
それが合わさって世の中が出来ている。
自然も大事だけど、誰かのために人工的に作られることも
すごく大事な事なんだよね。
今一つ、このブログにアクセスする人にだって
一つの人生がある。
その人それぞれにやることがあって生きている。
つながる事はなくても
もしかしてどこかで関わっているのかもって思うと
世の中って広いようで案外身近。
面白いなって思う。