自分が若い時に精神的に壊れてしまって
妄想というか
見えない物や聞こえる声に惑わされたことがあったので
あ。この方はちょっと気を付けないとな・・・。
と気が付くことがある。
若い時、19歳の時に
自分が悪いのではとか
必要以上に受け止めてしまうことがあって
当時は一人暮らしをしていて
実家から離れて、母から離れて
頑張ろう!私は大丈夫!
と思いすぎていたから
自分で自分のSOSに気が付かなかった。
女の子は、どうしても母親の影響を悪い方に受け止めてしまうことがあって
母親自身もそれを多分、自覚していないから
十分愛情をかけたつもりの娘が
おかしくなってしまうと
見当違いな方向に修正しようと母親はするので
そうなった娘を変えようと努力してしまうのだと思う。
息子の場合は、もともと異性なので理解できないので
問題があった時に、なんでも認めてあげようとしてしまうのじゃないかな?
私の母は一人なので
私の経験から見ての事だけど
私の前に2年前に兄の方も精神疾患になったんだけど
その時は、全身全霊で兄を気にかけて
入院先で何が食べたい?と聞いたら
「お母さんのハンバーグが食べたい」
って言ったと言って
一生懸命ハンバーグを作っていったのを覚えている。
兄の前ではちゃんと母親で
家に帰ると、疲れ切って泣いていて
父と言い争いをしていて
そのしわ寄せは、2歳下の長女の私に来て
私の言動や態度や人格すべてを否定してきた。
(そんなつもりなかっただろうけどそう私は思っていた)
「あんたのその言い方!世の中に出て揉まれたらいい!」
「家を出て苦労したらわかるでしょ!」
「ほんとに嫌な子!」
家が荒んだ雰囲気が嫌で
私も学校でうまく行かなくなっていて
家では強気でいようとしたら
母は私の存在にイライラするみたいで
妹には言わない事を私には沢山言ってきて
母に否定されるたびに
自分がどうしてそうなのか
早くこの家を出ないといけないんだと思っていた。
当然、高校を卒業したら家を出て暮らすと考えていたけど
2歳上の兄は2浪の末に東京の大学に合格して
それも自慢できる私立大学だったから
父と母は喜んで、両親の気持ちは兄に一心になって
兄の住むアパートを一生懸命探していた。
でも、私の住むアパートは私に任せて探させて
当時は固定電話だったけど
固定電話を先に引いたのは兄の方で
私はしばらくたってからだった。
当時は電話加入権が10万ぐらいかかるから
今ならわかるけど
息子と娘が同時に一人暮らしをしてお金がかかるし
優先順位を考えたら
将来的に長男である兄にお金をかけたかったのだろう。
兄は精神疾患を乗り越えて2浪だけど大学受験に挑んで
合格したのだし
その苦労を思えば
私が進学した学校などちんけなもんで
親にしてみたら自慢にもならない。
でも、娘が行きたいことやりたいことを
させてあげるのは親の愛情で
今思えば、許してくれた両親には感謝なんだけど・・・。
兄の精神疾患の治療に我が家が1年以上ごたついて
高校3年の終わりに壊れ始めた兄は
1回目の受験は当然不合格でそれをきっかけに
絶望して家で暴れて
ぶつぶつとおかしなことを言うようになって
壁に穴が開いたり、親を金属バットで殴り殺すと言動を吐いたり
それに両親はおびえたけど
時々、「俺が生きていけるのは親のおかげなんだよね」
なんていうと
優しい息子だと二人で涙を流していた。
両親には壮絶な息子の病気だったけど
私は当時高校生で、色んなことがあって
親の態度も理解できなかったし
兄が何より理解できなくて
嫌だ嫌だと思っていた。
当然、妹の気持ちに気が付くこともなく
ただ黙って、その様子を見ていた妹が
どれだけ心を痛めていたかさえもわからなかった。
とにかく家がおかしかった。
こんな家嫌だと強く思った。
3年前に都会から、両親の育った田舎に家を建てて引越したばかりで
兄は引越した当初から田舎に合わなくて
東京の私立高校の受験をしたけど不合格で
田舎の公立高校が受かったので
しぶしぶ一緒に田舎に引越した。
都会と違って、自然だけが豊かで
行く場所もないけど、噂だけは立つ。
今思っても、なぜ両親はあの田舎に引越したのか
謎で仕方ないけど
『自然が一番いい』とかいう神話を信じていたのだろう。
田舎は人間関係が狭いし見解も狭い。
合う人には温かみを感じる狭い人間関係だけど
合わない人間にしてみたら苦しくて仕方ない。
兄は大学は絶対に東京に戻るんだと
必死に勉強をしていたけど
何が原因かわからないけど
高校3年生の秋ぐらいからおかしくなっていた気がする。
爆音で音楽を流す。
夜中も声がする。
目つきが違う。イライラして怒りっぽい。
そういえば、田舎過ぎて塾もなく
進研ゼミをしていたな。
私が最初に始めたけど、過ぎに飽きちゃって
兄はピッタリ合って、続けていた。
成績はよくで模試も上位だったらしい。
英語も頑張ってた。
でも、現役では合格できなくて浪人になり
確か、予備校に行ったみたいだけど
途中でおかしくなった気がする。
私は高校受験を経て家から近い公立高校に行っていたけど
特に疑問も持たず
就職系の高校だったので大学受験する同級生も少なくて
優秀なら高卒で公務員が一番いい道だった。
なにせ高校の先生が『駿台』を知らなくて
兄がどこの大学に行ったか聞かれて
予備校で駿台らしいと言ったら
どこの大学だ?と返したぐらい大学受験に無知だった。
あれはたしか保健体育の先生だったか?
結局兄は駿台を途中でやめて
精神疾患で入院をしていたのだけど
2年目は別の予備校に変えて
田舎から、地方都市に父と一緒に引越して
その予備校の先生が良い先生だったらしく
受験の戦略がうまく行って
自慢できる大学に合格した。
父は1年間、実家から単身赴任をして兄を支えた。
実家は、母と私と妹の3人が通常だったけど
母は家よりも外のひとだったし
その時の記憶があいまいだけど
いつも家では具合が悪いとかイライラしていたな。
母は76で難病で亡くなったけど
内臓疾患や癌にもなっていたし
体が丈夫じゃなかったんだろうな。
だから、気力だけで踏ん張っていたから
体調を崩しやすく、イライラもあって
長女の私にあたったんだろうな。
私がもっと理解出来たら?もっとしっかりして優しい娘だったら?
私は自分を沢山責めたけど
気が強かったし、言い返していて
とにかく家を出たくて、高校卒業まで
どこでもいいから進学先は!って思っていた。
実家から出るときに、家電の買い物を母の知り合いから買うと
ニコニコしていたのを覚えているし
引っ越しも手伝ってくれたし
母なりに頑張ってくれたけど
兄の次にねって感じだし
引っ越しが終わって母が帰った後は
とてもさみしくて、電話もテレビもない部屋で
鏡に自分を映してご飯を食べたな。
今はスマホがある若者が多くて
寂しさを埋めれるのかもしれない。
当時の私がスマホがなくてよかったのは
絶対におかしい人の甘い罠に引っかかっていたかも。
バカだった10代。
思い返すと、色々湧いてくる。
母は母なりに頑張ってた。
でも体が弱かった。
それだけが母の辛いことだった。