母が亡くなって3年7か月。

時々思い出すことは

介護施設に入居した後の悲しみの姿。

 

母は認知症がなかったから

自分の置かれている状況を受け入れるという

辛い日々が続いていて

動かなくなっていく手や足と

姿勢を保てなくなってきたことと

立てないからずっと導尿とおむつで

羞恥心との戦いもあったので

途中で、自分の感情を失くす必要があった。

 

それでも、明日も明後日も目が覚めると

「全部夢だったらいいのに」と思っていたと

会いに行っても深い悲しみの底にいて

何を語り掛けても、私の言葉は母を刺したのか

「あんたと話していると嫌な気持ちになる」

「もういい・・」と泣き顔になった。

 

「もう帰ってよ」

母にそう言われても、介護施設や病院やケアマネや

何かあるたびに私の対応が必要で

決断に迫られてばかりだった。

父はすぐ施設や病院の批判をして話にならないのか

病院の主治医にも「お父様は説明にはこないで」と

伝えられてきた。

 

兄や妹は関わらないから、優しくいれて

私の苦しい気持ちは全く理解できなかった。

 

家族なのに孤独だった。

頼りになった母は、私を攻撃するような敵に見えた。

でも、母は苦しくてもがいて、私にすがりたかったのだろう。

でも私は優しくなれなかった。

 

母に優しく接しようと努力してしまうと

家に帰ってきて疲れ切って、自分が母親であるという事を

出来なくなってしまいそうだった。

子供の高校受験の時期と重なったり

思春期や反抗期の時期で、息子たちの感情も不安定で

その支えも母親の私には必要だった。

 

苦しかった。

本当に苦しかった。

 

死んでほしいなんて願いたくないのに

母はいつ旅立ってくれるのだろうと

願う自分もいて怖かった。

 

自分が壊れていく。

優しさのかけらさえも失っていく。

 

人間などみんな、自分が一番かわいいんだ。

私は自分が母親という事を理由に

母の姿から目をそらしたかった。

 

でも、呼び出される。

対応に迫られる。

母の事で救急車を何度呼んだだろう。

 

救急車を呼ぶと、病院についても

長時間待たされて、手続きや対応が続く。

精神的にきついのに

さらに父は受け止めきれずに口に出して色々言う。

 

心を込めたら、心が壊れる。

冷たい娘にもなり切れず

どこかの良心が自分を立て直す。

 

救急車を呼ぶときに、幸いにも夫も対応出来て

救急車の付き添いでそばに乗っていく私がいるので

後から自家用車で付いてきてもらって

病院の待合室でも一緒にいてくれた。

 

夫は精神的な安定感が私よりあり

長時間待たされたり付き添う時も

何も言わず一緒にいてくれた。

 

もともとは短気な性格だけど

結婚生活が長くなるにつれて温和になっていった。

私の両親の問題にも、共感や寄り添いがあったと思う。

 

その積み重ねもあって

夫の母親が認知症で介護になっていることも

私は義母さんに優しくできているのだと思う。

 

してもらった優しさは、優しさで返そう。

 

でも、義母さんの認知症も進行してきた。

もう、何の会話も通じない。

でも、特養にいれたくないという

義姉さんの強い希望で

通いの施設に毎日送り迎えしている。

 

治るはずのないアルツハイマー型認知症が

義母さんの脳を支配していく。

 

体が元気なのに、何もわからない。

でも自分がおかしい自覚がない。

 

私は母の介護経験から

尿や便の問題が出てくることを知っていた。

おむつをすることになって数か月過ぎたけど

尿失禁を頻発するようになり

大容量のおむつに変えたのに

便失禁で、家の中に便が落ち始めた。

それを発見した義父さんが激しく怒って

便で汚れた自覚がないことで大変だった。

 

夫が風呂場で母親についた便を洗おうとしても

激しく抵抗して、手に便が付着してしまった。

そうなることを想像しても出来ないと言っていたけど

目の当たりにしてショックを受けていた。

 

母の病気は脳神経の病気でも運動障害。

義母さんの病気は認知障害。

 

同じ脳神経の病気なのに

運動機能が奪われても認知症がない母と

体は全く丈夫なのに認知症の義母さん。

 

全くの正反対。

どちらはいいのか・・・

どちらも経験して思うのは

 

尿や便の問題はどちらも起こる。

大人の尿は臭いけど、便はもっと臭い。

 

子供のおむつが成長と共に取れていくけど

大人のおむつは逆に進む。

なのに、異臭は子供とは全く違う。

 

健康なら、当たり前にトイレで用を足すのに

それが出来なくなる介護問題。

 

義祖母さんも、認知症がなく体が不自由になって

ポータブルトイレを利用していたけど

それを処分していたのは義母さんだ。

 

義父さんは全く関知していなかった。

義父さんは男尊女卑気質で

家事は一切してこなかった。

義母さんは朝から晩まで働き者で丈夫だった。

 

わがままや理不尽を義父さんに言われても

メンタルも強くて、言い返しもしないし

ふん!と聞き流していて

他人に八つ当たりもしなかった。

 

でも、心のどこかでそれがたまったのか?

 

実家の父もわがままで母を困らせた。

母は元気な時は沢山の友達がいてリフレッシュできていたけど

病気で動けなくなると1日中、父の一方的な持論を聞くことになった。

 

それでも、父は自分なりに母に対して一生懸命だった。

母の本当の姿を知っていないだろうけど

自分の支配下にいることを少し喜びも感じていたようだ。

 

義父さんも、何もわからなくなった義母さんが

施設から帰ってくる時はうれしいようだ。

やっぱり高齢男性は妻が必要なんだ。

 

支配できる存在が必要なんだ。男は。

 

でも、義母さんは

便で汚れた自分を自覚することが出来ず

お風呂でシャワーで流そうとすることや

着替えをしようとすることに

激しく抵抗して逃げ惑う。

 

その姿を、義父さんは激しく憤慨して

地獄絵図。

 

そこに、義姉さんが呼ばれてきて

なんとか汚れを落として着替えをさせた。

 

そして、

「もう特養なのかな」

とさみしく言った。

 

私自身が介護経験から

進行性の脳の病気は先を考えて準備するのは

本人には出来ないから

周りでしていくしかないと説明しても

 

「まだ特養には早い!」

「申し込みも必要ないよ!」

と、言って納得しなかった。

 

仕方ない・・・

まだ希望を持ちたかったのかもしれない。

 

母親の体は丈夫で

その姿は健康な時のままだ。

一瞬でも昔のような母親に戻る瞬間があるかもしれない。

 

認知症は本人の病気の自覚はないから

何も問題がない時はストレスも本人にはない。

 

義母さんは健康だった時よりも朗らかになったなと思う。

ただ会話が通じない。

 

しかし、便失禁は家族が耐えられない。

汚れた自覚がない。

綺麗にしてあげようとする家族を敵とみなす。

 

押さえつけられることに激しく抵抗するので

便の汚れは家族にも付着する。

 

女性は子育て経験から、耐える気持ちはまだあるけど

夫である義父さんと、息子である夫は

耐えられないのだ。

 

いつか来ることが突然やってくる。

 

しかし、義姉さんが特養に納得して

申込をすることにしたけど

もちろんのこと、すぐには入居は出来ない。順番待ちだ。

今の施設では泊りの預かりも出来ない。

 

結局は、また家族の負担が続く。

それを見越して「特養の申し込みをしておくのはどうか?」と

私は伝えたのに。

 

介護に直面する家族はつらい。

 

私は母の介護には後悔ばかりだ。

母の辛さより、自分の生活を優先した。

 

親を裏切ったのか

親孝行していない

私は冷たい人間なのか

 

誰が責めたわけでもない心の声が

自分の中で聞こえてくる時もある。

 

その声をかき消すように

義母さんには優しくしていた。

 

本当は私は優しい人間なんだ。

そう自分に言いたかったのかもしれない。

 

でも、義母さんに優しくしている話を聞くと

人によっては

「自分の親じゃないからね!」

と、優しさを疑ってかかる。

 

その人の価値観は、自分の親じゃない人間に

優しい気持ちなど持てないのが普通。

なんだろう。

 

人の言葉は

支えになる時もあれば、凶器にもなる。

 

でも、私はそんな言葉に傷つかない。

 

人の言葉のチョイスはその人の人生観だ。

 

辛い状況に耐えている人に

同情した顔で

「可哀想にね」

と言ってくる人もいる。

 

それがその人にとっての優しさのつもりなんだ。

受け取りての気持ちなど考えてはいない。

 

だから、言葉など

その人自身の問題であって、こっちの問題じゃない。

 

傷つくな。

 

人の言葉に傷つくな。

そんな言葉、どこかに捨てればいい。

 

自分がどうありたいか。

どう生きたいか。

 

自分の思考でしかない。

 

義母さんの認知症に嘆き悲しんでも仕方ない。

病気がそうさせている。

 

結局、介護はどちらが大変なのか?

 

そんなことわかんない。

そのさなかにいる大変さは

過ぎたら過去になるだけ。

 

母の介護の記憶も過去となり

どうしたって、もう母はいない。

 

取り戻せない過去。

やり直せない過去。

 

思考の中で

 

「あの時はそうだったね」

 

そうして納得していくしかない。

 

生きてる人間は前に進むしかない。

いつか誰かの過去になるけど

それは今じゃない。

 

ブログで書き綴っても

誰にも届かなくても

 

自分がそうしたかっただけだ。