YOSHIKIさんのお母様が亡くなって

涙がとまらないとのTwitterをたまたま見た。

 

その後も、母の死を受け止められず

泣き続けて、カウンセリングを受けたこと

悲しみが止まらないこと

 

周りの方の励まして

前をなんとか向いていることを

包み隠さず発信していて

正直な方だな。

と、思った。

 

ある程度の年齢に達すると

早世以外の親御さんの死を

経験することは当たり前にある。

 

親の死を経験して見て

自分と向き合う。

 

最期まで親を許せないままの子供もいるかもしれないけど

殆どの子供は、親の死は悲しい。

 

学生のうちに親が亡くなったら

生活さえも苦しい

 

親の存在は『生きること』に直結するので

自分自身が若いうちは、想像するだけで怖い。

 

「親が死んだらどうしよう」

と思ったり

「親が死ぬなんて考えない」

と思ったり

 

でも、絶対に順番なら

親は先に死ぬ。

 

その死をどう受け止めるかは人それぞれで

でも、『悲しい』って思える別れは

ある意味幸せなんじゃないかって思う。

 

親からの愛情をしっかり受け止めていた。

そう思うから。

 

YOSHIKIさんのことはよく知らないけど

お父さんを子供の時に亡くしていて

お母さんがYOSHIKIさんたちを育てて来たようだけど

YOSHIKIさんが音楽の道に進むときに

お母様は全面的にバックアップをするために

多額の資金を提供してくれたようなことが

少し調べたら出て来た。

 

それなら

今のYOSHIKIさんがあるのは

お母様のおかげという事なのだろう。

 

音楽の道に進むためのバックアップ。

美しい話だ・・・。

 

これが、政治家の息子や医者の息子だと

子供のために多額の資金を出したとなると

一気に、『バカ親』とか言われたりするのか?

小泉進次郎さんが、日本のFラン大学卒だからと

ハクをつけるために、海外の大学に行かせたとかを

色々言われているのを見たことあるけど

 

それに、芸能界には二世が多く

活躍しても、活躍しなくても色々言われるけど

「親の七光りだ」とか「親の金で贅沢して」

とか色々言われるけど

 

でも、デビューを信じて

音楽活動のために多額の資金を出してくれた母親ってのは

すごく美化されて受け止められるのはなぜだろう?

 

多分、YOSHIKIさんの人柄なのかなって思う。

本当に優しい人ってイメージ。

 

若いころは血気盛んで荒れていた時期もあるかもだけど

今は本当にイメージが優しい。心豊か。育ちがいい。

なので、「とても素敵なお母様だったのだろうな」

って思う。

 

ジャニーズでも、シングルマザーで息子を育てて

その息子が活躍している子が何人もいる。

引退したタッキーや

活躍中の平野紫耀くんがそうよね。

母親のためにとの思いがある。

両親揃っていても、母親への思いがある子は

ジャニーズでは活躍している気がする。

ターゲットが女性だから

母親に優しい子は母性本能が刺激されるのかな。

 

YOSHIKIさんも、母親を大事にしているから

多くの人から好かれるのだと思う。

 

親をないがしろにしている人に人気とその維持は出来ない気がする。

昔ならいざ知らず

今はそういう時代。

 

なので、ちょいちょいお母様の話題を出すと好感度が上がる。

一昔前はマザコンなんて言われたのに

今では死語よね。

『母親に優しいは女性に優しい』

つまりは『いい男』

 

若いころはそっけなくても

ある程度落ち着いたら、母親に優しい男の方がいい男。

 

なので、YOSHIKIさんはいい男。

 

何年か前の24時間テレビで

盲目のドラマーの男の子と共演していたのを見たけど

あの男の子も、お母さん思いだったな。

「ママ。もう泣かんといてな!」

って言ったのを見て、泣かない母親はいないと思う。

 

目が見えないのが不幸だなんて思わせないように

ご両親は彼を支えて育てて来た。

特に、お母さんは彼の目の代わりとなり

人生をすべて子供のために生きてきていると思う。

 

彼はそれが分かっていて

お母さんを悲しませたくない。喜ばせたいと

本気で願って、頑張っている。

優しい男の子なので、心を打つ。

 

『不幸』ってのはなんなのか

『幸せ』ってのはなんなのか。

 

24時間テレビは、いつも問いかける。

偽善だとか、お涙ちょいだいだとか

ボランティアじゃないじゃんとか

色々ずっと言われても

コロナ禍まっさかりでも、番組をやりぬいた。

きっと、すごい信念があるんだと思う。

 

障がいがある人を表に出すから

人間は理解できないことや、自分が受け入れられないものを

拒否する本能があるから

「障がい者を見世物にしている」

とか言ったりするけど

そもそも、その考えが間違えてる。

 

当たり前にあるものが『ない』から

不幸なわけじゃない。

 

ないのに幸せそうに笑っている。

それをみて、全部あるのにひねくれてる自分の心を

認めたくないから批判に走る。

 

誹謗中傷を匿名でする人は

本当の意味で不幸な人だ。

 

人より足りないのに、あの人は輝いている。

あの人は愛されてる。

 

それが見ていて辛いのだろう。

本当の意味での幸せが分からない人は大勢いる。

 

でも、それに気が付いて欲しいのだろう。

あってもなくても

足りていても足りていなくても

 

不幸じゃないって思えるのは『思考』の違いでしかない。

 

目に見えることは表面だけなので

本当の中身は見えないけど

 

辛い思いをした人ほど

前を向く大切さを知っている。

乗り越えた人にしか見えない景色ってあると思う。

 

人を嫌ったり、批判したり

心の中の黒いものを自覚したり。

それが悪いわけじゃない。

そこから抜け出せないことが残念なんだ。

 

24時間テレビが嫌いな人がいてもいいし

素直に応援できる人がいてもいいし

何とも思わない人がいてもいい。

 

でも、世の中は前を向ける人が引っ張っていくしかない。

24時間テレビを、向こう側の人として見たら

どんな景色なんだろう。

どんなに苦しくても、最後はキラキラとした笑顔で輝いている。

そうなれる人たちになれるって、どんななんだろう。

そう思って、見続けてもいいと思う。

 

YOSHIKIさんが、お母様の死を素直に悲しんでいるのを見て

心が苦しくなる人もいるだろう。

「親の死を悲しめない私はどこかおかしいのか?」

「親なんて死んでもなんとも思わない」

そう思う人がいるのも事実。

 

親を好きになれない。親が嫌い。

それが反骨精神になるのならいい効果だけど

 

世の中には、親を殺してしまう子供だっている。

反対に、親に殺される子供だっている。

 

何年か前に、東大卒の元事務次官の父親が

引きこもりの息子を殺してしまった事件があった。

悲しい事件だった。

 

父親は、息子が他人の子供に危害を加えるんじゃないかと思って

それを危惧して手にかけた。

母親も、暴力を振るわれていたそうだ。

 

ずいぶん前にも、秋葉原で連続殺人をした男性が

のちに、母親の自分への態度を憎んでいたとの証言があった。

 

母親を憎む息子だっている。

多くは息子には特別な思いを抱く母親が多いと思うけど

心配する愛情が、自分よがりになって

息子に厳しく接してしまったのかもしれない。

 

「立派な男になって欲しい」

「ちゃんとした仕事をして欲しい」

母親の思いが躾の厳しさになる。

 

立派な男や、ちゃんとした仕事にとの願いって

誰のため?

 

息子のため?

自分のため?

 

私の息子にはこうなって欲しい。

私の娘にはこんな風になって欲しい。

 

母親のエゴが

愛情じゃないって思いが伝わってしまうのか。

愛情を受け止めれない子供なのか。

 

『親も一人の不完全な人間』

そう思えば、時が経ってもゆるせるけど

『親は絶対的人間』

って思うと許せない。

 

親がこんなだから、自分はこうなった。

親のせいだ。

自分の人生がうまくいかないのは親のせいだ。

あいつが俺を産んだからこうなった!!

 

お腹を痛めて産んだ子供に

殺される親は悲しい。

でも、もしかしたらそこで

他人への危害を防ぐこともできるかもしれない。

親殺しで捕まって、世の中に迷惑をかけずに済むと

そんなこと思わないか。

 

「なんで私がこんな目に・・・」

多くの親は思うだろう。

 

お腹に宿した子供を生むまでと

ある程度、一人で行動できるように育てるのに

どれだけの苦労があるだろうか。

 

生まれた時は自分で栄養も取れない。

近くに大人がいないと育たない。

 

でも、その親の苦労の時期の記憶なんてないから

自我が目覚めてきたころの

親の接し方がすべてになる。

 

子供を思って厳しく躾けた時からの記憶から始まれば

それを『ひどい扱いを受けた』と思うかもしれない。

 

親の記憶には小さな時の記憶からあるから

愛情があるわけなんだけど

 

親と子の記憶がずれている。

そのずれに気が付かないで親をやっていると

間違う時もある。

 

私も、義父母と同居になって

義姉の子供や、夫たちの小さいころと

長男を比べられて

いい子に育てないと!!と追いつめられていた時期がある。

 

同居してしばらくして

甘やかされてすっかりわがままになった長男に手を焼いていたころ

認知症になっていない義母に

「悪い子なのは親の責任だよ。母親の責任だ!」

と、全部私のせいにされて

とても傷ついたことがあった。

 

義母は今は認知症だからしかたないけど

自分勝手な思考の方で

野良猫が家にいついたとき、義母が餌をあげていついたのに

子供たちが可愛がったら

「あなたたちの猫ね」と押し付けてきたことがある。

 

私は野良猫を育てる気はないので

動物病院に連れて行って、病気の検査をして

NPOの里親活動をしていろところに連絡して

ケージとトイレを購入して

お渡ししようとしていた時だ。

 

野良猫を増やしてはいけないって時代なのに

義母は可哀想だからと餌をあげて

家に居つかせて、縁側暮らしにさせようとしていて

それはダメですよ。といった私と意見がぶつかって

責任を丸投げしてきた。

 

これは一部で、義母は頭がしっかりしている時は

自分の行動を反省しないで

人に押し付ける人だった。

『反省できない』のは認知症傾向のある人の特徴らしい。

 

そうそう。話が脱線したが

同居で、私は子育てにプレッシャーがかかり

子育てを間違えて

厳しく怒ることばかりしていた時期がある。

ほんとうにおろかだった。

 

怒って怒鳴っても、いい子になどならない。

追いつめるだけだ。

なぜ、もっと諭すように優しくできなかったのか。

幼い時の子育ては反省するばかり。

 

小学生ぐらいから

義父母との生活にしっかりと線引きがされるようになって

がやがや言われなくなったら

少し楽になったけど

でも、長男の子育てには手を焼いた。

おかげで次男は少し放置だった。

 

それぞれが大学に進学して振り返ると

手を焼いた長男は、実家が大好きで

よく帰省するけど

手を焼かないである程度育った次男は

実家への思いが薄い。

次男は全くホームシックがないそうだ。

 

子育てするなら、手を焼くくらいがちょうどいい。

まぁ、次男も受験期は大変だったけど。

 

次男の事は、進学先に一人で向かう時の

新幹線ホームに向かう後ろ姿から会ってない。

振り向かないで進んでいった。

 

もしかして、もう彼が実家に帰って暮らすことは

ないんじゃないかって思った。

寂しいっていうか

「あ、子育て終わったかも?」って思った。

 

大学生活は勉強は大変みたいだけど

生活は家事が面倒だけど

それなりに確立されているようだ。

 

長男は相変わらず、実家大好きっこなので

夏休み前にやりくりして帰省するらしい。

「実家が大好きなんだよ!!」

と長男は言う。

クールな次男と対照的だ。

 

手がかからないってのは

親への思い入れも薄いのかも。

 

でも、今は大学生。

新生活に慣れるまでに色々あるんだろうと

受け止めて行こうって思う。

 

私も息子たちより早く亡くなるだろう。

むしろそうありたい。

子より後に行くなど嫌だ。

 

ワンコは私より先に逝って欲しいけど

だって、私がいないと可哀想だもの。

でも、息子たちには

母親がいなくなっても、生きていけるように生きて欲しい。

 

今の悩みは

私が息子たちの幼少期から貯めていた貯金を

どのタイミングで渡すかだ。

名義は息子たちで長年積み立てて来たので

贈与にはならないけど

今のタイミングで渡してしまうと、使ってしまうか

そのお金に期待してしまうから

自分が勝負に出たいときに資金の一部になればと思う。

 

多分、YOSHIKIさんのお母さんも

そんな思いがあって19歳のYOSHIKIさんに

資金援助をしたんだろう。

 

でも、うちの息子たちにはまだ早い。

なんなら、もう少し資金を増資してあげたい。

これから先の日本で、経済的に先行きが見えないから

生活が困窮する人はいるだろう。

 

バカな子は、ギャンブルで倍にする!とか思って散財してしまうだろうし

でも、賢い子は資金源にしてステップアップが出来るだろう。

 

夫が起業する時

夫の親からも私の親からも

資金援助はなかった。

夫と私の貯金から出し合って資本金にした。

会社の事務所を作るのも自分たちで準備した。

 

「会社辞めて起業する」

と、夫の両親に言ったときに

2人とも、笑顔はなかった。

父親は、不安そうな顔をして

知り合いの会社がつぶれた話をした。

母親は、ダメならすぐやめな。といった。

 

両親に応援されないままのスタートだったけど

私は全面的に応援した。

「子供が頑張ろうとしているときには応援したほうが

 いいと思います」

とハッキリと言ったけど

それでも、何だこの嫁。みたいな感じだった。

 

2人で悔しいから、絶対に親には頼らないって思った。

お金があまりなかったけど

スタートから今まで、お金に困ることなく回せてきた。

あれから15年以上になったけど

借金も融資もない。

自己資金で回せるようにしてある。

銀行からは、融資を受けて欲しいと来るけど

銀行のいい顔など信じない。

甘い話の投資や、20年先に受け取れる保険や

色んな話しが来るけど

必要ないと切っている。

 

贅沢して、見え張って

大きな事務所を立ててブイブイしてるよって

見せる価値観が私たち夫婦にはない。

 

「お客様に『ありがとう』って言ってもらえる」

これが何よりだと思う。

 

人受のいい夫が前に出て

厳しくてしっかりものの私は陰に徹して

資金繰りを見守る。

それで、やってきて借金をしていない。

 

大きくすることが目標じゃないと

夫婦の価値観がある。

今の規模で、お客様の顔が経営者から見えるように。

それが、仕事の喜びにもつながる様子が見える。

 

でも、そんな夫も

息子たちの進学先を見て

息子たちは会社を継がないのを理解している。

 

「自分の人生だからな」と

夫自身も、父親の仕事を継がなかったのでわかっている。

それは因果応報だ。

親の仕事を継がなかったんだから

わが子が継ぐなんて期待しない。

 

私自身は起業10年の時にこの先の在り方を考え始めていたけど

夫はそれから5年経って考えるようになった。

夫が「辞める」といっても

それでも「いいよ」といえる準備はしてある。

 

始めるときも反対しなかったけど

辞める時も私は反対しないつもりだ。

 

彼の人生だ。彼の好きにしたらいい。

私は支えるけど

でも、私の人生を夫に乗っかりかかるつもりはない。

 

だから、私の収入は使わないで生活してきた。

どんな時もお金の準備があると、ドンと構えられるのだ。

 

息子たちの教育資金も生活費も大学卒業までを見越して

準備してある。

夫が仕事を辞めても、大学は続けられるように。

しかし、卒業後は自分の人生として生きれるように。

そのサポートに、教えていない貯蓄がある。

大きすぎるお金ではないが

少しは生活の足しになるように。

 

息子たちの卒業後は

自分たちの老後問題も本格化してくる。

年を取って、多分誰かに手間をかけるだろう。

息子たちの人生を尊重できるように

老後資金も大事だ。

それは保険で賄える。はず。

共済積立金と、個人年金保険。

このダブルで支えて、国からの年金がどれぐらいあるか。

 

息子たちに手間をかけるのは

何かしらの手続きってことになるけど

私みたいにしっかりしていたら

親の何かしらの手続きを

介護や行政と連携して取れるのにな。

私って、ほんと手続き系はしっかりしていたよ。

自分の人生を親の介護でつぶさないためには

行政の情報を得て、介護系の手続きはしっかりしないと。

親が貯蓄があれば、親のお金で親の介護は出来る。

 

幸いにも、どの親もそれぞれに貯蓄があって

お金で子供には迷惑をかけない

しっかりした親だ。

母も亡くなってもなお、家族に保険金がいくようにしていた。

父も準備してある。

なぜが、二人とも介護で何もしていない兄に多く行くようにしている。

親は息子と娘がいたら、息子にとことん甘い。

 

まぁ、私は自己資金がある程度あるけど

妹はこの先不満の芽が大きくなる可能性もあるな・・・。

 

親の愛情は最後は残すお金だと思う。

愛はお金では買えないけど

お金で人生を支えられるなら

親からのお金は愛情だと思う。

 

YOSHIKIさんは

自分自身の家族がいないから

母親への思いはひとしおだったのだろう。

お母様は、独身のYOSHIKIさんを心配していたと思うけど

でも、沢山の愛情を残して旅立った。

 

彼は男性なので、これから家族を持とうとしても

子供にも恵まれる可能性はある。

 

奥さんを持って、子供を持つと

今までの価値観ががらりと変わる可能性もあるけど

才能のある人が、子供を持つのはいいことだって思う。

 

尾崎豊さんの息子さんが成長してシンガーになったのも

母親の育て方と、彼の得た才能の血筋があると思う。

さらに彼が結婚して子供を持つと

その才能が引き継がれる可能性もある。

 

才能がある人は、子供を持つ方がいい。

その子自身に何もなくても

さらにその子供が才能を開花させることもある。

 

音楽は人を幸せにするし

才能がある人は世の中を支えるって思う。

 

目立った才能がわからなくても

人が一人世の中に増えることは大事だと思う。

 

子供がいない人がいても

誰かの子供の支えになるかもしれない。

 

人は誰かの役に立つことで生きていける。

不幸か幸せかは

自分自身の『思考』だけど

 

人を幸せにするのは家族だけじゃない

他人でも出来る。

 

その為には、一人の人が世の中に生まれることは素晴らしいし

意味があると思うのだ。

 

このブログを書く私のブログだって

もしかして

誰かの心の支えにもなっているかもしれない。

 

そうだったらうれしいけど

でも、とりあえず『未来の私』には役に立っていると思っている。

 

人の役に立たなくても

自分で自分の未来の役に立ってもいいのよ。

 

生きてるだけで、いいのよ。