認知症で介護施設に通っている義母さん。

先週、施設でコロナ感染者が出てしまい

利用者全員検査をしたところ

義母さんは陽性になってしまいました。

 

しかし、スタッフからの感染拡大だったので

施設は陽性者は全員施設でお世話をしますという事になり

義母さんも急きょ施設に宿泊療養になったのです。

 

ちょうど2週間ほど前にワクチンの3回目接種を済ませていたのに・・・

結局、陽性と聞いて

ワクチンの意味あるの??って思いました。

 

しかし、ワクチンの効果なのか

陽性ではあったけど、全くの無症状。

熱もないし、食欲もある。

でも、陽性で施設預かりをしてくれるのはとてもありがたい!!

って思っていました。

その間に、濃厚接触者になった義父さんも検査をして

義父さんと接した夫や義姉さんや義弟さんもみんな検査をしました。

 

保健所の濃厚接触者扱いは義父さんのみで

他は独自で検査場の予約をしました。

 

義母さんの感染が分かって3日ほど過ぎての検査でした。

施設で感染者が出てからは1週間後でしたが

家族はみんな陰性でした。

 

義父さんは夕食と朝食を義母さんと一緒に取り

一緒の部屋で寝ているので

陽性になることを覚悟していましたが

なんと陰性。

義父さんもワクチン3回目を接種していたからなのか

コロナの弱毒化で感染力が弱まったのか?

家庭内感染は免れました。

 

そうなると、義母さんが陽性で施設預かりになったのは

かえってよかった。

陰性だった利用者は施設に通えなくなって

自宅で家族がみているそうなんで

もし、義母さんが陰性なら2週間は家族で大変だっただろうな・・・。

 

なんて思っていたのに、

先日の夜に、スタッフの勤務入替の時間帯に

少し手薄になったすきに、出入り口から義母さんは出て行ってしまったそうです。

 

21時頃がスタッフ交代の時間だそうですが

21時10分ごろに、気が付いたときに

いつもの通いの出入り口のカギを開けて、その先の自動ドアを開けて

出て行ってしまったそうで

スタッフは相当驚いて周辺を探したのでしょう・・・

 

家族の代表担当者連絡先になっている私に連絡が来たのが

22時半を過ぎていました。

正直、1時間半も家族に連絡をしなかったのは

一般的には落ち度があるとは思いますが

相当焦って、スタッフが総出になって探すのを優先したのかもしれません。

 

でも、とうとう見つからないと思って

警察に連絡をして、家族に連絡をしたようです。

連絡をして来た施設の方の声は震えていました。

 

施設から認知症の要介護者が夜中に出ていく。

これは大変な事です。

命に関わってくることなので、現場で働いている人が

どれだけの責任を感じるか・・・。

 

でも、むしろ

通い型の介護施設を利用するには

義母さんの症状は進行しすぎています。

本来は、通いではない特養に入るべきなのです。

特養の場合は、認知症の人が出ていくことを想定して

スタッフしか通れない出入り口を施錠しています。

 

義母さんの施設は、自分自身も利用する出入り口が通路にあるので

通いの人がランダムに出入りするため施錠はされてない時間もあり

加えてコロナでスタッフの人手不足が否めないと思いました。

 

それを全部想像して、家族にも責任があるとは思ったのですが

居なくなったと聞いた義父さんは、動揺して対応を責める考えを持っていました。

 

「預けているのに!!どうしたことだ!!」と憤慨していました。

家族としては、信用して施設に預けているのにと思いますが

ケアマネは何度も特養を提案してきていました。

そして、入居するのが仕方ないほどに認知症が進んだのに

通いをこだわっていたので

義母さんにはいつも「家に帰らないと!」という感情が

急に訪れるのです。

 

それでも、特養には入れたくないと

出来るだけそばに置いておきたいと

高齢で妻だけが自分の所有物のように思っている義父さんは

状況をわかっていないと思いました。

 

施設からいなくなったとの連絡を受けて

夫や夫の兄弟に連絡をして

手分けして探すことになりました。

 

私は自宅に歩いて戻ることを考えて家に居ましたが

よくよく考えても、距離的にも歩いて帰るには無理な距離なので

私も施設周辺を息子と一緒に車で探しました。

 

でも・・・夜の町中を走っていると

とても見つかる気がしない・・・途方にくれました。

 

夜11時を過ぎた田舎の住宅街には

誰も歩いていません。

街灯も暗く、コンビニだけは明るすぎるぐらい明るく・・・

夜のコンビニの明かりが、大事なんだなと思いました。

 

施設では警察が来ていましたが

警察に捜索願を頼むのは、家族になるそうです。

家族が捜索願を出さないと事件として動けない。

仕方がないことですが、手続きのために

管轄の区内の警察署に出向いて捜索願を出す手続きをしてくださいと

それがないとと言われて、夫と車に一緒に乗っていた義父さんも

警察署に行かなければいけません。

 

施設からは車でも結構離れているので

その間に探すことができないので、気がもめたそうです。

加えて、コロナ濃厚接触者とのことを伝えると

警察署に着いてから、車で電話の対応になるとなり

出されてしまったそうです・・・。

 

車の中で電話で聞き取りでの捜索願提出で

そんなやりとりが30分以上時間を要しました。

 

その間に、夜も深くなり寒さも増し

時間が過ぎることでの生存率も下がる・・・。

冬の夜中の認知症の高齢者の徘徊は

想像以上に見つけることが困難です。

 

そんな中、私と息子はこのままウロウロと探していても

夜中で運転も怖いので二次被害を避けるために

一旦家に帰りました。

23時を過ぎていました。

すると、夫から連絡があり!

「警察が、それらしい人を保護したらしいと連絡が来た!」

との事です!!

 

すごい!!警察すごい!!さすがだよ!!

 

保護した場所は大型ショッピングセンターの敷地内

駐車場が明るい場所でした。

多分、明るさを求めてさ迷い歩いていきついた先なのでしょう・・・。

その場所は施設からは歩けば高齢者の足なら20分程度はかかりました

信号を渡る必要があり

加えて、自宅からは逆方向で

施設に通うことになって、一度も行っていない場所なので

探している時も想定外でした。

他の家族も、前を通ったけど人影は分からなかったと・・・

 

でも、警察に捜索願を出してすぐの発見だったので

普段から、高齢者の徘徊の捜索依頼を受けている体験から

警察の人の感覚があったのかもしれません。

 

すぐに、近くにいる家族に連絡をして

確認と引き取りに向かってもらいました。

 

間違いなく、義母さんでした。

顔と足にけがをしていて、転んだ様子でした。

 

高齢者は徘徊の時、大抵必ず転ぶそうです。

転んでも立ち上がればまた歩き続けるそうで

クタクタになっても分からないので、体が自動的に動かなくなるほど

疲弊するまで歩き続けてしまうようです。

義母さんも発見時は相当弱っていたようですが

でも、ちゃんと生きていた・・・。

 

良かった点は、最近は寝巻に着替えることを拒否するので

普段着のまま寝かせているように自宅でもしていたので

施設でも服で寝てもらっていたそうです。

寝巻で夜道に出なかったことが低体温になることを

少し免れたのでしょうか。コートはきていなかったけど・・。

 

たまたまその日は日中の気温が温かい日で

夜9~12時ぐらいまでは熱が少し残っていたのかも。

朝方まで見つからなかったら、放射冷却で低体温などもありえたかも。

 

そんなこともあって、施設からいなくなって約2時間で発見できました。

この2時間、家族も心配でしたが

施設の方の思いはどれほどだったのか・・・怖かったと思います。

 

施錠も甘さもあるのでしょうが

やはり、通いの施設なので

一階に外への出入り口があり利用者が外を見れる。

義母さんの場合、家に帰りたい願望が強く

足腰が丈夫で、力もある。

とにかく頑固に言い張るので、言い聞かせるのが大変など。

施設でも対応が大変なのがわかります。

 

そして、発見したので自宅に戻すのがコロナが陽性で出来なかったので

また施設に義姉さんが送っていきました。

その際、どうしても施設に入ろうとしなかったようです。

 

結局、家族が事態が収まってホッとしたのは

日にちが変わった時間でした。

 

もしかして、命がなかった場合を考えたら

こんな風にブログに記録することもなかったかも・・・。

 

母が亡くなって3年。

3年前は母のお葬式にも義母さんは来ましたが

その時には、葬式の概念が少しあやふやになっていました。

私の父が挨拶をした際も「え?誰??」みたいになっていて

それは久しぶりもあったけど

嫁の私の母の事ももう記憶からはあいまいになっていたのかな。

 

その1年後には私は忘れられ、夫や義姉や

子供たちも忘れてしまいましたが・・・。

 

母の闘病の時は

「あなたのお母さん、若いって言うのにね・・・かわいそうにね・・・」

と、母の病気を言っていました。当時母は70代前半だったので

義母さんの2歳年下だったので、自分より若い人という認識だったのでしょう。

でも、母の闘病は70から始まり、76に亡くなりましたが

その6年の間に、義母さんの認知症も確実に進んでいた。

今、80歳の義母さんは75歳ぐらいから

認知症の症状が見え始めたので

母の病気とお葬式の切れ目がなく

義母さんの介護になりました。

 

実は9年前に義母さんの母親が

認知症の末に、長い闘病で亡くなったのですが

88歳まで生きたのです。

当時、義母さんは71歳なので

母親が17歳で産んだ娘です。

88歳の義母さんの母親は70歳ぐらいで認知症を発症しているので

義母さんも同じになります。

 

結局、遺伝要素が大きかった・・・。

食生活も体を動かすのも、

『認知症にならない生活』というような見本のような生き方なのに

でも、認知症になった。

 

もって生まれた遺伝は避けて通れないのか・・・。

自分の母親が亡くなって5年ほどで同じように認知症になるなんて・・・。

母も70歳で発症したので

70歳というのは、注意する年齢なのかな?

 

食生活が変わって、生活が便利になって

様々な情報が豊富にあるのに

人間の老化現象の一つの病気、認知症はなくならない。

 

体が元気なのに、脳が萎縮して機能しなくなる。

自分で自覚がないので、避けることが出来ない??

 

とにかく、またいついなくなるかと思いながら

義母さんは最低でもあと8年。義母さんの母親の年までは

生きていくのだと思う・・・。

 

体は元気なのに、何もかも忘れて何もかも分からなくなる。

怖いな・・・

 

これは家族がいない人が認知症になった場合

道すがらに、危ないこともあるんだな。

 

本当に車にひかれたり、電車の線路に入ったり

しなくてよかった。

あ、でも田舎だから電車は23時前には終電終わってるか。

 

なんにしても、家族が認知症に対して

もっと対応しないとだって思う。

 

どうして、特養に頑なにいれないのかと思うけど

これも、解決策ではないのかもしれないな・・・。