昨日、2時間ぐらいかけて書いた長文を
途中で出かける時間になり
とりあえずアメンバー限定にした。
下書きにするとそのまま忘れてしまうけど
限定にしたらメンバーがいないので自分だけ見れる。
メンバー申請されても、私は誰かに向けて書いていないので
承認出来ないんだけどね。
フォローとかリプログとかは、どうぞどうぞと思うのですが
いいねとコメントは
とりあえずいいかなと思ってます。
今まで自分を出して書いていたブログで
仕事のために書いていたのに
いつの間にか母の介護で苦しむ自分の内容になっていき
見られることすら辛くなった。
最後に書いたのは、父と母を連れて
妹家族と一緒にクリスマスイルミネーションのある
レストランに行ったときだ。
車いすの母を押している父の後ろ姿。
母は一生懸命笑顔を作って写真に写っていた。
その日、母は車いすから車に乗り込むときに
持っていたガラケーの携帯電話を落としたらしく
しばらくして気が付いて、探したら
携帯は水たまりに落ちていて
水没してしまったのをきっかけに
スマホに機種変更をしたんだ。
それから母はLINEを使うようになって
少しずつ不自由になる指で
リハビリを兼ねて一生懸命、LINEを送ってきていた。
でも、LINEには辛い内容も沢山あって
母の昔語りとか、そんなことも多くて
子供たちに自分たちの生きざまを残そうとしていたんだろけど
私はそのトークを消したんだ。
誰かわかる人物が
自分の辛い事を、画面の向こう側にいる人に
伝えることは
受け取る側は辛い。追いつめられる。
辛さの向こう側にいる人も
受け取る準備が出来ていない場合もある。
母はずっとずっと
助けて欲しいともがいていた。
病気の辛さは母を飲み込んだ。
色んな人のブログの中には
自分の闘病を残す人も多いだろう。
一般人のように自分の知らない人の事は
第三者的に見れるけど
有名人のブログは、病気になった辛い内容は
辛さの中に、幸せを書いたり
行ったり来たりしながら
そして弱っていく。
ただ、本人は書きたいだけなのに
読む人の心の準備が
受け止めきれない何かがあると
いつしかそれがアンチに変わり
いつしかバッシング的になる。
悲しいことに、有名人のガン闘病では
それがとても多いと感じる。
受け止める側の弱さなんだろう。
状況の違いなんだろう。
人間のキャパは人それぞれ違って
辛い人を受け止めることが出来ないことがある。
それが多分、自分自身を守る本能なんだと思う。
今は、日本全体が世界全体が
コロナウイルスで疲弊している。
今まで真面目に生きてきた人たちが
突然、些細なきっかけで攻撃的になって牙をむく。
大人しかった人が、暴力的になる。
ストレスに弱い人がどれだけ多いのか。
自分の辛さで精一杯になり
他者の辛さを想像もできない。
母の闘病時
母の弱さに、潰されそうになった。
私自身はそれでも耐えたけど
私の環境では色んな問題が起きていた。
子供がその影響を受けたのか
母親としての私が、しっかりできなかった影響だと思った。
母の介護の話しをブログに書くたびに
自分の環境に酔っている自分もいた。
誰かわかるブログだから
美しく書こうと思って書いていたけど
本当の私はドロドロしていたんだ。
だから、もう自分が誰かわかって読んでもらうことが出来なくなった。
今は、Facebook、Twitter、Instagram、YouTubeなどと
どれも全部アカウントを持っているけど
自分では何も発しない。
過去の発信も消した。
私が分かる誰かに
誰にも
私を知って欲しいなんて思っていない。
知って欲しいなんて願っても
誰も本当の私などわかるわけないんだから。
期待なんてしない。
見つけて欲しくもない。
何にも要らない。
欲しいものは自分でつかむから。
自分で見つける。
私を知っている誰かに
もらわなくたっていい。
私はずっと孤独でいいから。
友達だって家族だって
みんな私とは違う。
私の人生も
あの人の人生も
みんな違う。
みんな独りぼっちなんだと思う。
なぜ、自分だけが辛いと思う?
なぜ、自分以外の誰かの方が幸せなんじゃないかって妬む?
病気で弱る人は世の中にいるけど
なぜ、その人すら幸せなんじゃないかって思う?
自分が誰にも愛されてないんじゃないかって
じゃあ自分は誰を愛しているの?
その愛が本当なんて誰が点数をつけるの?
誰もが孤独な『個』なんだから
自ら人より劣っているなんて
思う事なんてない。
自分だけがこの世で一番不幸だなんて
思う事がおこがましい。
幸せもないんだから、不幸なんてもんもない。
とてつもない不安があっても
自分の生きる世界は思うよりも狭い。
そも場所からどこかに行ったって
行き場所なんてない。
でも、
歩ける足があるなら
何が出来るだろうって
考える頭があるなら
何が出来るだろうって
今日、こうやってブログを書くだけでも
自分に出来た何かなんだ。
誰にも知られなくたっていい。
だって、もともと私を
知って欲しいなんて思っていないから。
あんなに一生懸命生きたお母さんは死んでしまった。
あんなに働き者だった義母さんは何もわからなくなった。
人はいつしかいなくなる
存在か記憶か
なにも怖い事なんかじゃない。
生きてるうちは生きる。
それしかないのだから。