話しが通じない義姉さんと話したストレスなのか・・・
週末体調が思わしくなく
朝と晩に毎日しているストレッチ体操を数日さぼった。
年齢を重ねると体がどんどん固くなり
コロナで運動施設に通わなくなったので
自宅でYouTube配信の体操を色々始めたら
自宅で行う方が楽なので
毎日行っている。運動すると調子がいい。
昨年3月に、運動施設が休館になって
通っていたヨガなどの教室が休会となり
それから全然運動をする機会がなかったら
今年の春先に
膝の調子がおかしくなった・・・。
痛くて階段も辛いし座るのも辛い。
加齢とともに、膝に痛みが出るとは・・・
これは膝そのものというよりも
膝周辺の筋力が低下して起こるらしい。
整形外科でレントゲンやMRIまで撮ったけど
軟骨には大きな原因はなかったけど
間接に水が少したまっていた。
これは加齢に伴う老化現象なのか・・・
かなしいなぁ・・・。
膝が痛くて寝がえりを打つのも辛いぐらいで
重大な病気が潜んでいたら大変だと思って
接骨院系に通っていたけど
やっぱり根本を知るには整形外科だなと思って予約した。
整形外科の先生やリハビリの担当者も丁寧でありがたかった。
数か月かかったけど
教えてもらったリハビリや
自宅での朝晩の運動の効果で
今は膝の痛みは全くなくなった。
整形外科はA総合病院に行ったけど
この病院は父が救急搬送されて大腸がんを見つけてもらい
手術をした病院で
消化器内科、外科の先生と
看護師さんなど、とても好印象の病院だったので
試しに整形外科も行ってみたのだけど
やはり、整形外科もリハビリも丁寧な方たちで
病院というのはその全体の雰囲気を
要の科に行って見るとわかるんだなぁと思った。
総合病院と言えば、やはり手術をする『外科』が要なんじゃないかな。
どの科にも精通している気がする。
父の大腸がんは外科で手術をしたけど
外科には数名の先生がいて
父の担当者は、その中で名前が一番下になっていた方だけど
とても腕が良かった。
おかげで父は大腸がんステージ4からの手術だったのに
後遺症や予後の悪さもなく
1年以上過ぎた今も、元気で何でも食べれる。
たまたま救急搬送されたのがA病院で
良い先生に出会ったのは、本当にラッキーだ。
母は実家近くのB総合病院に入院していたけど
通院の時から、主治医に対して理解できないと思う事が多かった。
でも、脳外科から総合病院に転院して
紹介してもらった先生で
それに、その方は脳神経内科の先生でも書籍などあり
有名な先生だった。
名前も一番上に書いてあった。
だけど、まったく患者に寄り添えていないって思った。
外来と入院では主治医が変わって
母が入院すると、別の脳神経内科の先生になった。
外来よりは少しはましだったけど
なにせ声が小さくて聞こえにくいし
分かりやすい説明はなかった。
この病院では母は泌尿器科や整形外科も通院したけど
どれも、患者に寄り添っているか?と思うと
何か違うなって思っていた。
でも、今思えば
母の病気の進行がそう思わせたのかもしれないし
信じることが出来なかったのかもしれないな。
それでも、その病院には友人の娘さんが看護師として新卒で入社したけど
3年経たずに適応障害になって退職することになったと聞いて
医療に対してより、先輩看護師の対応で悩み
看護師を続けられなくなったそうなので・・・。
もしかして、ある種の不満がどこかにたまっている病院なのかな。
父が救急搬送されるときに、
絶対に母の入院していたB病院には行きたくないと言い張って
救急隊員を困らせて
「家から近い方が家族にもいいんですよ」なんて説得されていたけど
絶対に嫌だと言い続けたので
1時間以上かかってやっと決まった搬送先がA病院だったけど
救急で受け入れをしてくれた担当医を
救急隊の人にこっそりと「あの先生はいい先生ですよ」
と教えてもらった。
父の搬送時に、少しだけ救急隊員は話をしてくれたけど
コロナで受け入れ先がなかなか決まらないこと
行った先の病院で隊員の立場で嫌な思いをすることは
少なくないこと。
それでも、何年か経てば医者もスタッフも変わるので
嫌なことがあった病院でも偏見は持たない方がいいなど
そんな人間らしい話を隊員の方はしてくれて
救急搬送をする立場で苦労は絶えないんだろうな・・・
医者じゃないだろうとか言われたりするんだろうな・・・
とか色々思った。
それでも、父が搬送された時
「あの先生はいい先生ですよ。ここだけの話しですよ」
と言ってにっこりして
家族を安心させてくれた。
あの時に、父の救急搬送も大腸がんも大変だったけど
このA病院に来た出会いは
いい出会いかもしれないって思ったんだ。
人が誰かに出会う時
最悪の出会いもあるし、運命の出会いもあると思う。
でも、それはすべて
受け止める側の思いが反映されているんだなって思う。
私は事前の行動で
父の救急搬送を頼む前に
救急車が来て驚かないように
実家の両隣の方に事前に知らせに行った。
母が病気になり病院と介護施設を行ったり来たりしていた2年間と
母が亡くなり1年過ぎて
約3年、父は実家で一人暮らしだった。
実家は私が結婚して家を出る前に3年間だけ住んだ家で
転勤族の父が、終の棲家として母とお金を出し合って購入した家で
私たちには実家としてあっても、大人になって住んだので
愛着はあまりない実家だった。
なので、近所の人ともあまりしゃべったこともなかった。
だけど、父と母は20年以上住んだ家だ。
近所の人だって、独居老人が住んでいたら気になるだろう。
そんなに近所付き合いがないと思われた父だけど
両隣とはしゃべったりもしていたそうだ。
父がどうなるかわからないけど
しばらく留守にすると思うので
何かあった時にと、私の連絡先を教えて
連絡先も教えてもらった。
救急車が来たときには心配してくれたけど
野次馬的に見ないでくれて助かった。
父の病状が分かり、手術となった時には
「しばらく入院になりました」と連絡した。
もし、空き巣などはいらないように
気にかけてもらえるように。
父はもしかしたら、生きて帰れないかもねと思われていたようだけど
無事に退院して
その後、ヘルパーさんを付けて独居生活が安定してきた。
今は両隣の人とは連絡は取っていないけど
親の一人暮らしを見守るには
近所の人との関りは大事だと思った。
父の入院中にケースワーカーの人に相談して
地域包括センターの人につないでもらい
介護申請をして、介護認定はつかなくても
独居老人として
ヘルパーをお願いできる制度を知った。
高齢者の多い社会になって
介護保険制度が出来て約20年過ぎたけど
日本には社会保険制度で高齢者医療の上限があるし
介護保険制度で介護を受けれるという制度があるし
最期は、特養に入れれば
年金ほどで生活できて看取りまでしてもらえる制度もある。
持ち出し分は親の貯金で賄えたら
子供の経済負担は少ない。
高齢者社会の不安だけをメディアは言うけど
制度を知ると、日本の政治がの尽力を思う。
制度を知っているか知っていないか。
それだけでしかないのではないかと思う。
特養に入れない場合は
有料施設になるけど
月に20万~30万もかかる場合もあるのだ。
特養には要介護3からしか入れない。
母の介護を経験して
様々な制度を知って行ったので
私自身、介護の制度によって
介護の苦労は昔に比べてかなり少ないのではと思う。
昔々は
長男の嫁が義両親のおむつの交換をしたり大変で
苦労をしたのに
義両親のどちらかが亡くなって、相続がとなった時には
嫁には一切の相続はない。
まさに、ただ働き状態。
今は、申請したら認められるとか少しは整備されたみたいだけど
基本的に、血族以外は『他人』扱い。
身近で介護をして苦労した嫁より
遠くに住んで何もしない娘や息子が
親の財産を相続しても当然だったのだ。まぁ今もだけど。
嫁に入った女の立場は底辺だった。
そこから、男女平等とかジェンダーとか色々叫ばれるようになって
介護保険制度もできたりして
女性が担う家の中の介護もずいぶんと変化したと思う。
同居していても施設に入ったら介護はほとんどしないままだ。
それでも、その制度を知らない人は
まだまだ介護は女の仕事として担っているのかなぁ。
介護には様々な手続きがあるし
色んな制度があるから。
知識があるかないか
制度を知っているか知っていないか。
どんな人に出会って、どんな制度を教えてもらうか。
それだけでも全然違ってくる。
私は、自分で言うのもなんですが
とても賢く生きてこれている。親の介護に関してそう思う。
賢くというのはおこがましいけど
知識を得て行動できることは
自分の人生を守る事でもあるし
主婦が自分の人生を守れば
夫や子供たちも影響が少ない。
今は義母さんの介護の事で
理解のなかなか出来ない義姉さんに悩まされるけど
ないしょで、特養に申し込みしておこうと
思いついたのだ!
何も、嫁に出て家に住んでいない義姉さんに気を使うことはない。
とにかく自分が何でも知っていないと気が済まない性格の方は
表面的には立てて起き
陰で行動しておくことがいい。
絶対に仲良くなるわけではなく
関わる必要がある人とは
『あざむく』という知恵が必要なのだ。
母が亡くなった話をしても
義姉さんには他人事だ。
私の経験を話しても、聞く耳はないなと思う。
人に寄り添えないタイプの人なので
自分の母親の介護でも、認めようとしないところから始まった。
もう少し早く受診をしていたら
今よりも進んでいなかったかもしれないけど
結局は認知症には治す薬がないから
どうしたって進むしかない。
主治医はそれを
「老化なので進みます」と言っていた。
母の時も
動かなくなる足や手に、嘆く母に対して主治医が
「しわやシミが消えないように、老化なので仕方ないですよ」
と、笑いながら言った。
母は悲しそうにうつむいた。
お医者さんというのは何百人何千人の患者さんを見ていくうちに
『仕方ない』を繰り返していくのかな。
老化は仕方ない。
老いるのは仕方ない。
治らない病気は仕方ない。
人はいつか死ぬには仕方ない。
仕方ないがこの世の中には沢山あって
『諦めろ』とささやかれる。
悲しいね。
もしかしたら、義姉さんのように
先を見ない。認めようとしない。
今あることに対応する。のは
幸せ脳ってものなのかなぁ~~
いずれにしろ
緊急性がある場合は、受け入れてくれる施設もあるので
義姉さんの理解が進むまで
どうぞどうぞとお任せしようか。
何にもわからなくなっても生きていく義母さん。
人の老いって
どうなるのが一番幸せなのかなぁ~?
でも、自分の人生は自分だけのもの!
ちゃんと守らないとだと思う。
介護は制度を使うことで
絶対に楽に考えられるから。