昨日は『いい夫婦の日』

そもそも、いい夫婦ってなんだ??

自分たちがそう思うこと?他人がそう思うこと?

私たちははたから見たら、まぁまぁうまく行っているように見えるのかもしれないけど

それがいい夫婦なのかどうかなど、意識もしないけど

先日、こりゃ~無理だな。と思うことがあった。

 

久しぶりに先週は紅葉を見に観光地に出かけた。

すごい人出でビックリ!

こんなにわしゃわしゃと人がいる場所に行くのは久しぶりだなぁ~

でも、人ごみが好きなので楽しいなと思った。

 

夫と徒歩で観光したのは久しぶりで

いつもは車で目的地まで行って、ちゃちゃと用事をすまして

また車に乗るだけだったのでわかんなかったけど

 

歩いて観光をしてみて思ったのは・・・

 

『歩く歩幅も速度も合わない・・・』

せっかちな夫と、ゆっくり見たい私。

 

普段は気が付いていなかったけど

生き方そのものがそもそも全く違うのだなと

つくづく思った・・・。

 

観光地は人であふれ、歩いても歩いても人が渋滞しているのだけど

夫はそれを追い越して追い越して先に行こうとする。

目的地のスポットに行く時は、それも仕方ないかと思ったけど

もう、目的地から帰る方向に行く場合も

人ごみを追い越して追い越して行こうとする。

 

その先にはさらに人がいるので

追い越したって私にしてみたら意味がない。

その場の速度に合わせる人がほとんどだ。

 

でも、夫は早く行こうとするので

道中にある店が気になって寄ってみたいのに

それが夫には「意味がない」ことのようだ。

 

サッサッと歩く後ろ姿を見ると

 

この人と、一緒に歩くのはなるべくしないようにしよう。

と、つくづく思った。

私は黙って我慢するタイプじゃないので

夫には

「そんなに急いで追い越したって、その先にも人がいるのに

 追い越す意味がわかんない!!」と注意をすると

「だって、遅いから」と前に歩く人たちがゆっくり歩くのが

遅くて嫌だそうだ。

 

そんな人ごみの溢れる道に

すごいスピードで高級国産車のRV車が走り抜けていく。

幼い子供が道路に飛び出るかもしれないのに

渋滞にイライラして我慢できないのだろう。

その車を見て夫は「あぶねぇな」とつぶやくけど

 

車か徒歩かの違いで

渋滞に我慢できないのは同じじゃない?と思う。

まぁ、車の場合は事故は重大だけど。

ハンドル握ってあれはいかんな。

 

女性同士、仲間同士の観光は

寄り道しながら楽しい道中だ。

誰かが気になる店を見つけると

そこによって、買い物なんかして楽しむ。

寄り道が大好きなので、観光には目的があるようで

その時間を楽しむのが目的だ。

 

でも、『目的』がある方がいい人には

予定外の寄り道が無駄に感じるんだろうな。

 

男性と女性は根本的に合わない生き物だと思う。

それをどちらかの思いやりで合わせていけるから

同じ歩幅で歩けるのだろう。

 

ムリして早く歩いたので、足が痛くなってきた。

「足が痛い」と言ったけど

やっぱり歩くのが速い。

 

あ~合わない。あ~合わない。

なんだか、腹が立ってきた。

 

息子たちに帰ってきてその話をしたけど

私の気持ちを「なんで?」みたいな感じで

そもそも我が家の男たちがこんなタイプなんだなって思った。

 

そう思うと、私自身も

別の事で歩幅を合わせていないのだろうなって思った。

 

私にも思いやりが足りない。

相手の態度は写し鏡だ。

お互いの思いやりが足りないから、合わない。

それを見なかったことで過ごしている。

 

夫婦って、うまく行っているように見えて

こんな気持ちの家も多いんだろうな。

 

私は、夫を頼ろうとか人生乗っけようとか

思っていないから

 

まぁ好きに生きたらいいさ。って思うけど

それが努力を放棄しているのかな?

 

もともと「幸せになるため」と思っていないから

何かを取りこぼしてしまうのかな?

 

ここまで過ごして、子供たちも自立に向けて歩んでいて

いまさら別の人生をやり直すってのも

なんか、めんどくさいしなぁとか思いながら

なんとなくスッキリしない毎日を過ごしている。

それでいいかと諦めてきたのかなぁ。

 

でも、一緒に観光に行かなければ

特に気にもならない出来事。

 

別々の人生を歩んできて

結婚したけど、そもそも他人同士。

 

同じ生き方を望むのも

不思議なものだ。

 

どうだっていいかと思えば、それでもいいし

気になるのならそれも仕方ない。

 

要するに私たちは

『歩く速さが合わない』

 

それだけのことなのだ。

 

どうせ、この先

同じ時に死ぬわけではない。

どちらかが早くそれが来るだろう。

 

父を残して母が逝ったように

その後は一人の人生になる。

 

子供がいたって、一緒に歩むわけではない。

みんな独りぼっちになるんだな~

 

義母さんのように、もう何にもわかんないけど

毎日施設に通って、食べて寝て起きてを繰り返して

会話が全く成り立たない生き方もある。

 

存在していても、記憶がないので中身がもう違う。

何もかもわかんないけど

食べて寝て起きてを繰り返して生きていく。

短期記憶だけじゃなく、最近は昔の事もどんどん忘れて

もう、会話が通じることがほとんどない。

 

生きていても、記憶がないから、家族も子供も記憶にもういないってことが

一緒に生きていく歩幅が違ってしまった。

 

結婚って、夫婦って

最初から別々で

最期も別々なんだな。

 

合う人間を探してさまよっても

一人になるか、先に行くかしかない。

 

合わないのも

別にいいのかもしれないな~~

 

奥が深そうで

結局、『合わない』って認めるかどうかなんだろうな。

 

アメブロの中には

「合わない」ことを違和感として

別の人生を歩むことを素直にしている人もいて

それが浮気とか、離婚とかになって

どちらかの心を痛めているんだけど

 

一緒に居ても、合わない違和感を強く感じて苦しい場合って

辛いだろうなぁ~~

 

私は

別に合わなくてもいっか。そもそも他人同士。

人生はそれぞれだからな。

って思うから、合わないを放置しているのだけだもの。

 

別に苦しくもないし、辛くもない。

人間なんて、通じなくなってもそばにいてくれるかどうかしかない。

 

親の介護を経験して思ったのは

「いつか人は死ぬ」ことを自覚することだ。

 

だから、生きてる今を色んな感情を

感じられるって、それもそれで

楽しい事なのだろうな~~