先日、実家の父のおごりで

日帰り温泉に行ってきた!

 

母が生前、とても気に入ってよく行っていた

山の近くの空気がきれいな温泉宿で

孫たちが小さい時も連れて行ったもらったり

兄や妹家族も全員で泊ったことがある旅館。

 

最初は、私と妹に

「たまには食事に行こう」という父の提案だったけど

せっかくなら、温泉に入りたいよね~~と

大盤振る舞いをお願いしたのです。

 

一人8千円ぐらいのプランにさらに食事をグレードアップして

もっと高かったみたいだけど~

それに加えて、父は私と妹に一万円ずつの

お小遣いまでくれました。

 

最近、株でもうけたそうです。

父は昔から、株や競馬や最近ではしないけど

パチンコなどもしている

趣味がギャンブルなんだけど

大企業勤めで年金も高い方なので

年金プラス投資のもうけで

母が亡くなっても自分のペースで暮らしています。

 

私の過去の記事には、母が闘病中に父に悩まされたことが

色々書いてあって

当時はもう親はいないんだと思って

歯を食いしばって母の闘病に向き合ったけど

 

母が亡くなって2年半。

その間に、父は車の事故や大腸がん手術などがあったけど

そんなこんなを乗り越えて

生きてる今を楽しく自分らしく生きている様子です。

 

そして、まだまだ子供や孫たちを

喜ばせてあげようとか、お小遣いをあげようとか

まだまだ自分は親として祖父として

何が出来るか考えていける強さを持っているんだなぁと思いました。

 

それって、すごい事なんだなと思います。

 

最近は、義母さんの認知症の進行で

日常的にストレスを感じている様子の義父さんが

イライラしたり、息子である夫に当たったりしているのを見ると

高齢になって、長年連れ添った妻が病気になるって

大変なんだな・・・と思うのです。

 

母が亡くなってからは父はとても穏やかになり

事故や癌の困難はあったけど

あの世からお母さんが、「お父さん早くこっちきて~~」と

引っ張るけど、それでも父のまだ俺は生きるんだ!

の、生命力がすごいなって思う。

 

なんといっても、大腸がんは見つかった時にはリンパに転移していて

ステージ4だったのだけど

搬送先の総合病院の先生の手術も功をなし

父は術後次の日から、病院内をウォーキングして

体力を落とさないようにしたり

退院してからも、毎日ウォーキングに温泉にと

生命力を培ったからか

手術して1年以上過ぎたけど、まだまだ元気いっぱいだもんな。

 

父のやる気の源が、孫にお小遣いを上げたり

進学をしたり、人生を歩む姿を見ていくことのようで

 

特に、うちの長男や次男に対しては

たくましく生きているって思ってくれてるようで

そういったこと励みになってよかったなと思う。

 

日帰り温泉は、部屋付きで

窓からは山の景色が見えて、少し紅葉が始まって

すごく綺麗だった。

 

母はもういないけど

母が生きていたころも、何度もこの旅館を訪れて

それぞれの記憶に残っているんだよな。

 

妹と二人で

昔話や、今の話しや色々していると

姉妹と言えども、別々の人生を歩んでいて

そして

私たちの子供も大きくなり

いつかは母のようにこの世にさよならする時がくるんだよなぁと

そう思うと、

人生って案外あっという間なんだよなって思う。

 

私は今、自分らしく生きているのかどうかわからないけど

コロナだからってのが理由で

出来なかったこととか、これからは出来たらいいな~

 

とりあえず、妹と海外旅行に行きたいよね!

と話したりしていた。

 

昔、独身の時

妹と一緒にいった海外は

ハワイとグアム。

 

ハワイは妹がどうしても行きたいと、色々計画を立ててくれて

当時24歳の私だったけど、それが初めての海外だった。

その2年後に、二人で突然

「海外旅行行こうよ!!」と思い立って

2週間前にグアムに行こうって計画したんだな。

 

ハワイより、グアムは狭いし

まだまだ洗練されていない感じではあったけど

結構楽しめたかな~

それでもやっぱり、ハワイの方がいいなって思った。

 

母が生きている時に、家族でハワイ旅行に行きたいねって

話していたのに、母はもういないし・・・

 

昨年、コロナが蔓延する前に

3月に趣味仲間6人で、沖縄旅行に行こうって計画していて

すごく楽しみにしていたのに

2月頃からコロナの不安があって

結局、3月の沖縄旅行を話し合ってキャンセルしたんだよな・・・

 

当時は数か月したら、コロナも収まっていけるって思っていた。

でも、結局1年半過ぎてもコロナはまだ安心できないし

それぞれの家に高齢者がいたり、家族に迷惑かけれないしで

沖縄には行けないでいる。

 

それよりも、沖縄に一緒に行くメンバーの要の人が・・・・

昨年の7月に癌が発覚して・・・

抗がん剤などの治療で治癒を目指していたのに

今年の9月に亡くなってしまった・・・。

 

父と同時期に同じ大腸がんだったのだけど

父はすぐに手術をすることが出来て

転移のリンパも取ることが出来たけど

その方は、状態の判断なのか

抗がん剤で癌を小さくしてから手術をしようとの判断で・・・

手術が出来ないまま、抗がん剤治療が強くなり

最終的には鎖骨にポートを埋め込むまでなったけど

弱っていくままに、命を尽きてしまった・・・。

 

父の病院の主治医の判断と、

その方の病院の主治医の判断は違うのだろうし

その方のガンの転移が進行していたのかもしれないけど

「私は直す!」と頑張っていた様子を見ていたので

本当にショックだった・・・。

 

今思えば、昨年の3月なら

まだ沖縄に旅行に行くことが出来たのでは?と思うけど

当時のコロナは、1人感染者が出るごとに大騒ぎで

沖縄はクルーズ船が停泊した情報もあり

感染者が多くいる印象があって

沖縄旅行を決断することは出来なかった。

 

そして、いつか一緒に行こうと話し合ったメンバーの死は

思う以上にダメージだった・・・。

 

「いつかしよう」と思うなら

やっぱり「今なんだ」と本当に思った。

 

ただ、コロナ禍でこんなことは沢山あったのだと思う。

その方も、コロナ禍じゃなかったら

もう少し早く診察をしに行っていたかもしれないし

 

コロナのせいで、ガンの進行が進んだ人が多かったと

ニュース記事で読んだので

 

コロナの感染以外での入院もままならなかったのかな・・・

 

そう思うと、昨年の9月に

救急搬送の末に、すぐに手術の計画が立ててもらえて

父は命拾いをしたなって思う。

 

あの時、救急車を呼んだのは私だったけど

なかなか搬送先が決まらないで

コロナもあって、加えてその日は日曜日で

救急隊の人にも「日曜日は搬送先が決まりにくいのです」

との説明を受けながら、1時間も救急車の中で

搬送先を探してくれた。

コロナで色々制限があって、父が実家近くの総合病院は

母が亡くなった病院だから、そこだけは嫌だと言い張り

 

救急隊の人の尽力で

見つけてもらった搬送先で

救急担当の方が、消化器内科の先生を

自宅から呼んでくれて、

その先生が父の大腸がんを見つけてくれた。

 

そして、外科に転科して手術。

救急搬送されて、2週間ほどの出来事だった。

 

それまでは、閉塞した腸に大量にたまった便を出すために

鼻から管を通して便を3リットル以上出したり

閉塞した腸を開通して、腸の状態をなるべく戻すために

大腸カメラで腸にステントを入れて広げて

そして、体力を戻すために一旦退院して

1週間後に再入院して

そして、入院してお腹を空っぽにして

手術をしたのだけど

体力を落とさないために、手術を腹腔鏡でしてくれて

除去した腸の接続を、なんと手縫いでしてくれて

すごく丁寧に説明してくれたので

救急担当医→消化器内科医→外科医

と、連携が合って父は助かった。

 

すべてがタイミングだったんだなと思う。

もし、別の病院に搬送されていたら

もしかして、今頃父はいなかったかもしれない。

 

ほんの少しのタイミングが

癌患者を救うのだなと思った。

 

そして、父の入院していた先の病院は

試しに私が腰痛で整形外科にかかってみたけど

整形外科の先生も、とても丁寧。

そして、リハビリの担当者もとても丁寧。

 

父は入院していた時にお見舞いにはコロナで行けなかったけど

看護師も主治医もとても親切だと気に行ってた。

 

母の病院の看護師や医者には不信感で

食って掛かっていたのに

自分の病院では「こんなにいい医者に初めて会った」と言っていた。

 

なので、術後の抗がん剤治療は錠剤だけど

抗がん剤否定派の父も素直に飲んでいる。

 

リンパ以外に肝臓にも影が少しあったけど

それを小さくしたり、他に見えないけど散っている可能性のある

小さな癌を、なるべく大きくしないために

抗がん剤を処方してもらったのだけど

その数値が良くなって、肝臓の影は小さくなったそうだ。

 

でも、ガンは100パーセントなくすことは出来ない

あとは、大きくしないために現状維持ですと

説明されたそうで

もう82歳の父なので、ガンと付き合いながら寿命を生きるそうです。

 

主治医との信頼関係って大事だな・・・。

出会いって大事だな・・・。

 

ちなみに、この病院はケースワーカーの人も親切で

父が入院中に、退院してからの相談をさせてもらったのですが

ケースワーカーの人から

父のケースで使える介護制度で

ヘルパーさんが来訪してくれるサービスがあり

退院してからは、週2回のヘルパー利用をしています。

 

紹介してもらった、ケアマネさんもとても良い方で

ケアマネさんが紹介してくれたヘルパー事業所だったので

ヘルパーさんもとても良い方です。

 

週2回、1時間のうちに

食事作りや、掃除などをお願いできますが

週2回利用が介護保険を使っているので

月に2500円ほどの利用です。

一回ではないです

8回使って、月に2500円程度なのです。

 

本当に、介護保険ってすごい制度だと思います。

介護での家族の負担を減らしてくれる。

家族が介護でつぶれないように手助けをしてくれる。

認定度によって、サービス内容が変わるけど。

 

こんな風に、様々な制度が助けてくれる知識を

病院のケースワーカーの人から教えてもらったのです。

 

ありがたいですね。

 

誰と出会うか

そして、どんな知識を得るか。

 

その知識は、得た方がより助かる知識。

私はそういった出会いで助けられているなって思うのです。

 

高齢の親の問題って、様々な家が抱えているけど

私の場合は、家族の協力があって

外部の協力があって、色々成り立っているなって思う。

 

義両親の事も、夫だけが協力者ではちからもとないけど

義姉さんや義弟くんも、義弟くんの嫁さんも

みんな協力してくれています。

 

それは、私のためではなく親のために何が出来るかと

それぞれに思ってくれることを

ありがたく受け止めることなんだと思う。

 

1年以上前に、義姉さんとは義母さんの介護を巡って

意見がぶつかったことがあったけど

それが義姉さんが母親の認知症を認められなかったから。

介護で、施設に通うことをとても否定していた。

「お母さんはその施設に通ってよくなるとは思わない!」

というのが理由でした。

 

認知症の症状が進み、自宅で過ごすより

少しでも外部とつながる方がという考えが

「認知症の他の人たちと過ごすのが可哀想」

義姉さんは思っていて・・・

 

血のつながりがある母親が認知症な事を

治らないって思うのは

自分自身にも恐怖だったのだと思う。

 

家族だから目をそらしたい。

家族だから受け止められない。

 

なので私は義姉さんに

「あなたは親じゃないから!」と言われたことがあります。

 

そうですよ・・・

友達にも言う人がいますよ。

義母さんの介護の事を

「他人なんだから、楽でしょ?」という方・・・

 

義母は他人なのだから

介護していても気が楽でしょう?

と言われるんですよね・・・

 

これいう方は、実際に自分もそう思って

義両親に接していたのでしょうね。

 

まぁ、色々複雑な気持ちになりますが

 

結局、友達など他人なのですよ。

寄り添うのは仲のいい友達ではないです

 

行政という介護保険制度を使って出会う

介護施設の方たちです。

 

実際に、介護に関わってくれる方が

一番の理解者になります。

 

友達なのにとか

義理の兄弟だからとか

そこと理解しあえないことは嘆いても仕方ない!

 

でも、私は今は義姉さんとか協力体制で仲良くしています(^^)

私も義姉さんも、その時はがーー!!と意見を言いますが

過去を振り返って、ぐちぐち言わないタイプで

実は似ていた!

 

お互いに、言われたことを根に持っても

何にもならんのです。

その当時の気持ちはその当時の気持ち。

今はもう状況も変わっています。

 

義母さんは、私の事も娘である義姉さんの事も

誰なのかわからないんです。

分からないなんとなく知ってる女性がいる。

って感じですかね~

 

家族なのか、知ってる人なのか

という認識があるけど

でも、その立ち位置がわからない。

 

不思議ですね・・・

 

ただ、私は一切義母さんを怒ったりしないで

とにかく優しく接します。

否定しない、無理やりしない。

いつも優しく接しています。

それもあってか、私の事は好きな様子で

いつも穏やかにいてくれます。

 

しかし、義姉さんは

自分の母親という事もあって

色々、強く言うことがあるせいか

義姉さんに対しては、歯をむき出して怒っています・・・。

あんな義母さんの顔、見たことないぐらいに

すごい顔で義姉さんに「なにすんのよ!!」と

反抗しています・・・。

まぁ、お風呂に入るのが理解できなくて

いれようとする義姉さんに抵抗するんですけどね・・・。

どうしても、お風呂に入れたいので

強く対応するせいか、義母さんは怒るようです。

 

お風呂、抵抗するの

認知症あるあるで

施設でも抵抗してる時もあるようですが・・・。

 

認知症になっても

裸になるというのは、嫌なんでしょうね・・・。

ちなみに、女性の利用者でも

お風呂の対応は男性がすることもあるようで・・・

 

なんというか・・・

羞恥心は最後まで残るけど

でも、介護の現場では致し方ないなと思うしかないのかな。

 

両親、義両親

4人の親がいて

順番に病気になって亡くなっていく。

 

それを大変ではあるけれど

それに対応できる自分になれたのは

親が育ててくれたからだと

親を担えるほどの力をつけてもらえて事に

今は感謝して

向き合っていこうと思うのです。

 

何より、周りとの人間関係はとても大事。

 

その姿を

わが子たちは見ているので、私自身も親としての後ろ姿を

見せていきたいと思うのです。

 

うん!いい感じにまとまったか??