ある雑誌にがん闘病をしている方の連載が載っていた。

 

もう、2年ほど前からだろうか

記者でもあるその方は、自分自身の闘病を書き綴ろうと決意して

書き続けている。

 

アメブロなどでも、ガン闘病などの状況を書いている方を見かける。

有名人でも多く

小林麻央さんもそうだったけど

自身の闘病生活を書くことで多くの人の目に触れて

勇気つけられたり、応援されたりしていた。

 

でも、その一方で

アンチ的な発言も目立ち

なんてひどい事を書くのだろうと

ネットニュースのコメントなどを見て思った。

 

目にする以上に人の黒い感情が

闘病する彼女の目に、家族に届いていたのかもしれない。

 

もちろん、応援する声や気持ちの方が多かったと思うけど

嫌な感情の方が目に付くのは

人間の防衛本能や危機管理からなのかとも思う。

 

全て受け止めていたら自分自身が壊れそうと思う時は

目に入れない方がいいけど

優しい人ほど、繊細な人ほど

いい事より悪い事の方が目に行くのではないか。

 

でも、多分その悪い方は

受け止める側が問題ではなく

発信する側の問題だと思う。

 

人に対して誹謗中傷したり、批判したりのアンチな人は

弱い人間なんだ。

 

光り輝く人がいたら、羨ましくて嫉妬心で苦しむ

だから、その感情を回避したくて

「自慢ばっかりしてなんだこいつ!叩いてやる!!」

と思うことで、自分を正当化していきたい。

 

有名人へ対してじゃなくても

自分の生きている狭い範囲でもそれが起こる。

 

女同士の集団が集まると

自分自身が弱い人間は、誰かを悪く言って

集団の結束を高めて、仲間外れにならないようにする場合もあって

だから、ママ友とかママ友いじめとか話題になったりする。

 

幼い子を育てる母親は、子供を守るために結束を高めたい。

より強固にしたいから

同じ気持ちの人間を集めたい。

 

人をほめあうより、人を悪く言う方が手っ取り早い。

それで同じ思いの仲間を作って安心する。

 

でも、「私はそんな生き方をしたくない」と

一匹狼的なママがいたら

そのママがすごく素敵なら

カリスマ的に人気になるし

もし、魅力を感じない人なら、ただのボッチになる。

 

ぼっちでも母親活動は出来るけど

でも、ぼっちママは子育ての中では負け組だ。

 

ぼっちでうまく行くことは少ない。

そして、「私は違う!」と思いたいかもだけど

結局嫌われてる自分を変えられない。

 

子育て中という事を忘れて

自分の生き方を主張していても

うまくいかない。

人生は折り合いをつけていくことで

やりやすくなることは沢山ある。

なんにしても、子供も社会で生きていくには

人とうまく行く方がいい。

学校生活も、社会生活も

人間と関わらないと成り立たない。

ママ友活動は、ママの友達との活動ではなく

子供の社会性の見本でもある。

だから、意地悪や悪口で結束するのではなく

一緒に楽しむ仲間を作ってママ友生活が楽しくて仕方なかった。

 

話しはそれたけど

雑誌の連載のガン闘病の記事が、少し前までは前向きで楽しい話も多かったのに

闘病の末期で抗がん剤も使えなくなった状況からは一変していて

苦しみの内容になった。

「生きていくのが辛い・・・」と吐露している。

 

読む方にも苦しみが増す。

・・・自分がガンになったら怖い・・・

・・・死ぬのって怖い・・・

 

人の苦しむ姿を見て、楽観的にいれる人は少ないと思う。

多少なりとも共感という感情が生まれて行くので

応援していた人ほど、苦しく思ってしまうのかもしれない。

 

麻央さんのブログも、読んでいるうちに辛くなってきた。

明らかに弱っていく様子が・・・

やっぱり死んでしまうのかな・・・

と思うと、怖さを感じて

どこかで、それはいつなんだと

願うかのような不思議な感情が生まれた。

 

母の時もそうだった。

弱っていく母を見ているのが辛く辛く

このまま生き延びて欲しいと思うよりも

死を願う自分がいて、ハタと後悔の念に苦しんだ。

 

人の死を願うなど、なんてことなんだ。

自分がこんな嫌な人間だったなんて・・・

 

母親に死んでほしいと思うなんて

なんて娘なんだ。

私は嫌な人間なのか?

 

「死なないで!!」と願うのが人間の本当の感情だと思っていた。

大事な人の死をないものにしたいと思うのが当たり前なのに

なぜ、死を願ってしまったのか。

 

自分がもし、母と同じようになったら

私は息子たちにどう思われて死んでいくのだろう。

 

私の死で悲しむ人はどれぐらいいるのだろう。

死ぬって怖い。死にたくない。

病気になんてなりたくない。嫌だ嫌だ!!

 

そう思っても、人は何らかの状況で必ず死ぬ。

それを回避できた人は長い人類の歴史で一人もいない。

 

不老不死を願って研究が進んでも

自分だけが生き残って何が良かったと思うのだろう。

 

自分以外のみんな居なくなり、たった一人生きていけるとしたら

それでも死なない人生を願うのか?

 

死にたくはない。でもやっぱり死ぬだろう。

 

夫と時々、

「最近、のどに詰まる時あるよね~~」と

なんの気なしに飲んだみそ汁がちょっとむせたり

よく噛まずに飲み込んだものが詰まったかのように感じで

いつまでものどに違和感があって

「のどの弾力が失われて来たかもね・・・」と

お互いガッカリすることがある。

 

よく、おじいちゃんおばあちゃんが

のどにむせて、ゴホッゴホッと言ってる、アレになるのか・・・。

 

そのうち、足の筋肉も衰えて

よろけたり、躓いたり。

 

最近は老眼や、耳も聞こえにくいのか

え?え?なんだって??と聞き返したり。

 

ちょっとまって、まだ50代だよ?

いやいや・・・世間的にはもう初老でしょうが。

 

年を取ると、体臭も変わるという。

おじいちゃんおばあちゃんの家に行くと

なんかすすけたような匂いがしたけど

あんな感じ??

 

細胞がフレッシュじゃなくなり

酸化していくからなのかなぁ。

 

なんにしても、老化は確実に進み

寿命ということを意識する。

 

病気になった場合

癌の場合は、昔と違って治療方法もかなり進化して

早期発見の場合の治療効果はかなり高いと思う。

 

健康的で、病院嫌いの人の場合は

不調を自分でなんとかしようとして

進行してしまい、自覚症状が出てきた場合は

かなり状況が悪い場合もある。

 

でも、それでも発見してしばらくは治療で延命できるので

自分の人生や死に対して、実感として色々な感情があるだろう。

 

闘病の記事を書き続けている雑誌記者の方も

最初は治るつもりで書いていただろう。

何かを人に発したり、影響を残したい願望なのか。

 

『終活』を始めたり、自分の葬儀の準備も始めたそうだ。

残される家族の事も、自分がいなくなった後も生きていけるようにと

考えている様子で

ずいぶんと、責任感の強い方なんだなと感じられる。

 

人は自分の死を目のあたりにして

うろらえて、自分だけのことになる人と

何が残せるかと、自分以外の人の人生を考える人と

いると思う。

 

母は闘病は自分の辛さで精一杯で

弱く弱く・・・苦しんでいたけど

 

母が亡くなって、残したものがあった。

 

家族がそれぞれに申請して受け取れる保険金だった。

父と兄と私と妹に

それぞれ、自分で申請して自分の口座に入る

生命保険をかけていた。

 

何千万とか大きな金額とまではいかなくても

百万単位のお金で、生活の何かに困った時に

十分役立つことが出来るほどのお金だ。

 

子供の進学費用がこれから掛かる私や妹には

とてもありがたかったし

いつも生活水準が高くてお金がないという兄家族も

助かるお金だったようだ。

父へも、葬儀費用の足しになったと思う。

 

それでも私は、自分自身も生活能力があるので

母の保険金は使うことなく貯蓄した。

 

いずれ私も、母のように子供たちの事を考えて

残したいお金があるだろうと思っている。

でも、それよりも自分で稼げる生活能力を身に着けて欲しい。

 

私自身は、子供の時からやりくりが出来る子で

独身時代、給料の安い会社に勤めても

時々、海外旅行に行けたり

車は新車でも一括購入出来たり

いざという時に使うお金の準備に長けた方だった。

 

父や兄や妹は

何かにつけて、「お金がない!」と言うけど

私は絶対にそのセリフを言いたくない。

 

言えば言ったで余計にそれを意識してしまうから。

お金など、なければないなりにやりくりできる。

 

あるもので生活すればいいのだから。

ないなんてないのだ。

 

今では、多分にして

家族の誰よりもお金を稼げていると思うけど

それは誰にも言わない。

 

お金が稼げたり、お金が沢山あれば偉いのか?

そうじゃないと思うから。

 

私自身、余裕を持つやりくりが得意だ。

でも、それは私の能力で

「ない」と言わない生き方をしてきたから。

 

「ある」もので生きる。

 

人の死を願うのではなく

自分の今の『生きてる』を見る。

 

人と自分は違う。

あの人の闘病を見て、親の病気を見て

 

それでも、それは自分じゃない。

怖がることはない死で

おびえて生きていたくない。

 

『ある』のは今と

過去の自分と、未来への自分だ。

 

死を意識して、

それでも生きてる今をどうするか。

 

何も慌てなくていいだろう。

そう思いながら、パソコンの前でこんな風に今の気持ちを書いて

整理している自分は

いい時間をすごせているのかもしれない。