思い込みかもしれないけど

ポジティブな事を書いたときより

ネガティブな事を書いた方がアクセス数が増える。

 

人付き合いでもそう思う時がある。

嬉しい事を嬉しかったと報告するより

悩み事やトラブルを話す方が

人は耳を傾ける。

 

うまく行っていて、すごくいい感じのことを人に話すときは

共感してほしいとか、いいねって言って欲しいって思うけど

人によっては

「なに?自慢話?」と思うんじゃないかって。

 

だから、そんなに悩んでいないのに

ちょっとうまく行かない話を盛って話したりすることで

その場の話題になったりするんで

帰り道に、「なんか疲れたなぁ・・」って思う場合がある。

 

デリケートなのは子供の話題。

うまく行かない話で、共感されるけど

すごくいい感じの話しになると、とたんに興味ないって感じがわかる。

それより、自分の子がねって

みんな自分の方が話したい。

 

それに、なるべく触れないで欲しい人は

話題に出したがらない。

 

仲間にも、子供3人子育てがうまくいったと自負している人がいて

自分がうまく行ったと自信があるせいか

人の子育てにすごく意見を言う。

あ~はじまったよ。と思う。

何度も重なると、みんな興味を示さなくなる。

 

みんな自分の自慢がしたい。

みんないいねって言って欲しい。

だから、SNSはもってこいで

華やかに彩りをもって発信する。

 

ほころびを見つけたら攻撃したい。

そういった心理がSNSにはあって

 

なんだかなぁ~と思うけど

人間なんてそんなもん。

 

信用できる人って思っていると

嫉妬や妬みに会う場合もあるから

本当に信用できる人って作らない方がいい。

 

その場でその場限りで話せるぐらいでちょうどいい

いつも会う友達とは

楽しい事したり、美味しいもの食べたり

人のうわさ話したり

それぐらいで適当に時を過ごして

何となく楽しかったら

その日はラッキーだって思えばいいんだよ。

 

学生時代からの親友とか

昔からの仲間だからって

なんでも自分をオールオッケーで受け止めてもらえるとか

そういったメンドクサイ期待を持つんじゃなく

 

あいつげんきにしていたねって

また会いたいねって

そして会わないで年月が過ぎて

その感じで、ずっと昔からの友達がいてねって

話すぐらいで昔の友達はいいんじゃないか。

 

誰にでも好かれるような素敵な人が亡くなって

彼女が歩んだ人生はとっても濃かったけど

自分が本当はどうありたいか

わからないまま亡くなっていたんじゃないかって

 

そう思うと

誰のために生きるより

自分の人生をどう生きるかって

 

あの人の人生とかこの人の人生じゃなくて

私の人生を歩むんだって思えば

なんか色々人をうらやましいとか持たないでいいのかなって思う。

 

死んでしまったら何にもない。

思い出だけで、残したものだけで

その人だけはいなくなる。

 

自分もいつかそんな風になるんだって

思うと少し怖いけど

何が自分は残せるのかなって思うけど

 

世の中は新陳代謝しながら

新たなものが出来たら

古いものは変わっていく。

 

物は残っても、人は居なくなる。

いなくなった人には、もう二度と会えないんだなぁ。