コロナワクチンがファイザーもモデルナも
12歳以上から接種可能になり
地域でも予約が開始された。
夏休みが終わるという今
子供の感染拡大もあり
不安が広がっているので、ワクチンは朗報と思いきや・・・
一部の方たちは『ワクチン否定派』なので
その否定の声の方が大きく感じて
結局、どうしたらいいのかわからない親御さんも多いのでは。
これって、生活が豊かになって食糧事情が良くなってから
『無農薬がいい!』と言うのと似ているなぁって思いました。
農作物を美味しく大量に作るには
病気や虫を防ぐ必要があって
農薬を使う必要があります。
私も、自己流で野菜を育てていた時に
無農薬で育てたいって思いました。
自然農薬を手作りしたり
肥料も有機だったり。
義両親が作っていた畑の一角を貸してもらい
一年目はとてもうまくできたので調子に乗りました。
2年目から雲行きがあやしくなりました。
同じように作っても、虫が湧くし病気になったり
思うような収穫が望めない時もあって。
だから、手の届く範囲で
虫は手で除けばいいし、病気になったらその部分を
取ればいい。
でも、農家の人が出荷するために
生活のために作るとしたら
無農薬って難しいんだなと思いました。
私が野菜作りで一年目がうまく行ったのは
借りた土壌に残留していた肥料や
前年まで土壌を消毒していたので
虫が少なかったのです。
土壌の消毒や化学肥料をまかなかったら
年々、土には虫が湧き
有機肥料では効き目が不安定で
収穫が思うようにいかないんだなって思いました。
そして、私が見ていないスキに
義両親は、雑草が気になったのか
除草剤をまいていたんです・・・。
農家は雑草をはやしたままにしておくのは恥なので
除草剤で畑の周りをきれいにします。
なので、私が自然にこだわって作ることは
農家の人から見たら邪道。
そんな圧力に嫌気がさして
5年ぐらい野菜作りを続けましたが
やめました。
やめるときには、それまで協力をしなかった
夫や息子も反対しましたが
手伝いしないのによく言うよな~と
それも、自分たちも農家を手伝っているように見せれたので
都合よかったんだな~と思いました。
野菜作りをやめて10年過ぎますが
近年の猛暑で、畑仕事も大変なので
もう作ることはないのかなって思います。
無農薬の手間は大変です。
夫や息子たちも自分たちで作ることはしません。
世の中には、無農薬信者っています。
農薬→悪
と思っています。
でも、農薬を全く使わないと暑い時期は絶対に虫が湧きます。
無農薬好きな人は
買い物に行って野菜に虫がついていたら
「あらまぁ。無農薬ですもんね」なんて思わず
これ!虫がついてる!!って買わないと思います。
有機野菜が好きでも、葉の裏に虫の卵があったら
ビックリ仰天して、クレーム入れると思います。
でも、家庭菜園をしていたら
無農薬で有機栽培して
虫がついていたとしても気にしない?
熱を通すより、生で食べる方が生きた味がするって
酵素が取れるのよって
生で葉物野菜をもりもり食べる?
昔、『ギョウチュウ検査』があったけど
あれって、お腹の中で虫が育ってしまうのよね。
まだ農薬技術がうまくなくて
たい肥も有機が一番と
人の糞尿を畑にまいていた肥溜めの時代。
大腸菌とか混じった畑に虫が沢山。
その虫が土や野菜に卵を産んで
それを収穫して、保存して食べて
お腹に沢山の虫が育って、ギョウチュウ検査で発見されて
虫下しの薬を飲んで治したり。
その時代の虫下しの薬って、かなり強い薬なんじゃないの??
何が正しいかわからないけど
農薬がすべて悪いわけじゃないけど
求める消費者がきれいな野菜が食べたくて
甘い野菜が欲しいのなら
作る側はニーズに見合った作物を作る方が売れるから。
綺麗で甘い野菜を作るために農薬を使うしかないのではないかな。
今、コロナワクチンに対して
不安要素が沢山あって
ワクチンを打つ代わりに何かを求める人が多くて
代替え的な何かを手探りで探している。
その不安に付け込むように
商売をする人もいて
サプリメントや、食品や
免疫力をあげるために何をするかとか。
スピリチュアル的に何かを言う方もいて
「ワクチンを打ったら、あれは絶対に良くない物だった!」
と、普段から自称スピリチュアルの方は言ったそうだ。
それを信じた友人は
「ワクチンは絶対に良くないよ!」とまくしたてる。
自分が不安だからって周りを巻き込まないで欲しい。
打つ打たないは個人の勝手。
でも、不安を好き勝手にまき散らすのは違う。
それでも、人は信じたいことを信じる。
私は国が推進している認められたワクチンを信じる。
でも、それももしかしたら私が信じたいことを信じてるからなのかもしれない。
なので、ワクチンに不安がある人に
打った方がいいなど言えない。
無農薬がいい人だって
自分が信じているなら選べばいい。
虫の問題は洗い方などを工夫して回避できる。
自分が生きているうちに選びたい方を選ぶと
自分の価値観に似た人が仲間になっていく。
そして、向こうの人の違いが気になったりもするけど
そんな風に小さなコミュニティの違いが
大きくなると、国同士の違いになり
人種の違いになって、争いが起きたりもするのかな。
たった一つの地球の中で
それぞれが自分の権力や豊かさを求めて競って争う。
その戦争の代わりに、オリンピックがあり
その時だけは平和の象徴だったのに。
今度は目に見えないウイルスに平和が脅かされて・・・。
東京オリンピックは開催が危ぶまれた。
でも、今パラリンピックを見ると
平等ではない状態の人々が
一つになって前に向かっている。
違いを認めることで、前に進むのかもしれない。
どんな理想をあげても
一人の人生は死までの時間しかない。
死は平等には来ないけど、最後は平等にいなくなる。
どんな立派な人も
どんな悪人も
みんな死んでいくんだ。
何を手に入れて、何を信じて
何を残していくのか。
どうしようもない悪人がいたとしても
生まれた時には、赤ちゃんで
育つ過程で道が分かれていく。
とても立派な功労者も
どんなに惜しまれても死んでいく道が同じにある。
絶対に、『死』しかないのだから
信じたいことを信じるしかないのだと思う。
私は、モデルナのワクチンの一回目を打ったけど
不安がないわけではないけど
長男が大学で2回接種して帰省したのだから
彼の選んだ選択を私も信じたいと思った。
もし、副反応が出るとしても
私も同じように受け止めようと思った。
息子の考えを信じたい母親として。
でも、息子は自分の考えで前に進んで
ウイルスに負けないでいたいと思っている。
自分の人生にやりたいことが沢山あるから
今は世界が国が、これが一番の予防としている
ワクチン接種を受けることが
信じることなんだと。
信じることを信じて
私は信じている子を信じる。
農薬もワクチンも
何が正しくて何が正しくないのかより
自分が信じていることが生きる道なんだと思う。
ただ、それを人に押し付けるなって思う。