アルツハイマー型認知症と診断されて約2年半。
ちょうど、一年前。
要介護1の認定で、デイサービスに通うことになった義母さん。
その頃は、まだ自分の名前も言えて
家族の事も認識していて
それでも、料理をほとんどうまく作れなくなることが増えて
このままでは進行してしまうということで
週一回のデイサービスに通って
刺激ある生活をと家族は希望した。
でも、その頃
私だけは、「そばにいる家族の負担を減らす」
と言う考えだった。
義母さんの状態が確実におかしいと感じ始めていたのは
約3年前。
次男が中3の頃だ。
次男の部活のママ友と
中3の部活の引退を前に
交流会として、保護者でカレー作りをして
みんなで食べようと企画が上がって
ママ友3人で買い出しに行く前にランチを食べに
家から近くのお店に集まっていた。
12時を少し過ぎたころ
携帯が鳴った。
家からの電話だったので、義母さんからだろうとすぐわかって
「はいは~い」と明るく電話に出ると
「お父さんが帰って来ない!!」と切羽詰まった声だった。
一瞬意味が分からず
「え?お父さんはどこに行ったんですか?」と聞くと
「わかんない!!わかんないけど、帰って来ない!
こんな時間になって帰って来ないなんて事故にあっているかもしれない!」
と、とにかく焦っている。
こんな時間??
その時、お昼の12時を過ぎたころだった。
農家の義父母は
お昼は12時になると家で食べる。
時計ととこに生きている。
その12時を過ぎることはたまにあるけど
どうやら何も言わずに出かけたのか
12時になっても帰って来ない夫を
過剰に心配したようだ。
焦り方が普通じゃないので
家から近いお店だったこともあり
友達に「ちょっと見てくる」と言って
一旦家に帰った。
家に帰って、割とすぐに
義父さんは帰ってきた。
午前中から歯医者に行って、少し時間が伸びたようだ。
義父さんの顔を見ると
先ほどの事は何もなかったかのように
義母さんは落ち着いた。
心配していたのを忘れたのか
いつも通り。
それが一番最初の違和感のきっかけだった。
それからしばらく日が過ぎて
家に居たら、義母さんがやってきて
「お父さんが帰って来ない!!」
と言い出した。
今度は夕方だった。
16時頃だっただろうか。
「え?どこに行ったんですか?」と聞くと
「わかんない!!わかんないけど帰って来ない!!
事故にあって声が出せないのかもしれない!
動けないかもしれない!!」
と焦っていた。
お父さんが帰って来ない = 事故にあって帰れない。
この構図が義母さんの定番の思考になっていた。
どうしてそう思うの?と聞いても
「わからない!!わからない!!」と繰り返す。
とりつくしまもない・・・
その様子を、おかしいと感じたのが約3年前。
それを夫に話と
「おふくろは、もともとポンコツなところがあるからなぁ~」と
最初は全く気にしなかった。
でも、私が何度もおかしいよと言うことと
さっき言いに来たことと、全く同じテンションで同じように言いに来ることが
何度かあって
あれ?これって普通の物忘れとは違うんじゃないか?
と、夫も感じるようになった。
そして、義姉と義父に
認知症の初期なのではないかと伝えると
義姉は真向否定した。
「私はそう思わない!」
と、病院に行くことは絶対に否定。
義父は
「本人が行きたければ行けばいい」と
本人の自覚任せ。
ここから、認知症を疑って病院に行くのに半年かかり
さらに投薬を納得するまで1年かかった。
そして、施設に通うことはさらに1年かかり
認知症に私が気が付いてから2年後にやっと
デイサービスに週1回通うことになった。
それでも、通い始めの時は
義姉からの大反対にあい
私の決めたデイサービス施設の方との面談を
非難した。
勝手にしないでよ!!
お母さんの事は私が納得しないで進めないで!!
とにかく、認知症を認めないまま2年が過ぎ
施設に通うことも信用しなかった。
でも、その時には義母さんの事より
義父さんの負担を減らさないと大変な事になると
私は先を見ていた。
義母さんの認知症は進行が止まらず
どんどん色んなことが出来なくなっていった。
週1回のデイサービスが
数か月後には週3回になり
1年過ぎる前には週4回でも足りなくなっていた。
理由は、認知症が進行した義母さんを
発狂レベルで叱りつける義父さんがいて
それをきっかけに、義母さんは何度か家からそっといなくなった。
きわめつけは、朝ご飯あとにおかしな言動を言ったことがきっかけで
激しく怒ったらしく
裏口からそっといなくなった。
義父さんはしばらくたって気が付いて
探し回っている時に、
犬の朝散歩で外にいた私に出くわした。
「おかあさんがいなくなったんだ」
そういった義父さんはなぜか笑顔だった。
え?朝からいなくなった??
その少し前に
夕方に激しく怒られた義母さんが
外に歩いて行く様子をたまたま私が見つけて
追いかけたことがある。
その時は、スリッパをはいて
廊下の窓から出て行った。
それを発見したときに、本当にびっくりして
義母さんを追いかけたけど
私の事がわからなかったみたいで
「いいですよ・・・」と私を遠ざけようとしていた。
あ・・・。もう私をわかっていないんだ。
認知症の人は何もわからないように見えて
羞恥心などの感情はあるようで
人に声を掛けられても
それがとても恥ずかしいと思うような気がする。
なるべく人目に触れない道を歩こうとしたり
よく、見つからないと聞くけど
自ら隠れて歩くのだなと思った。
朝、いなくなったと知った時は
居なくなってから30分は過ぎていて
足の丈夫な義母さんなら
かなり歩くだろうと思った。
結局、行方不明になって2時間ほど過ぎた時
車で探していた夫が、車で走る道から違う道を
腰を曲げて歩く後ろ姿の老婆を見て
「母親だ!」と直感して
Uターンして戻って、母親だと確かめて発見に至った。
顔と足から血を流して不安そうな顔で歩いていたそうだ。
声をかけると
息子だと認識はしていなかったけど
素直に車に乗ってきたそうだ。
この発見は介護施設の人に言わせると
奇跡だそうで
このように、認知症の人がいなくなって
2時間も過ぎて見つかることはラッキーでしかなく
そのまま事故にあったり、見つからなかったりして
命を落とす方もいるらしい。
今では、家族の名前も家の住所も言えないだけじゃなく
自分の名前も言えなくなった。
私は認知症の家族の世話の経験はないけれど
脳神経の病気は進行するのが予想以上に速いと思っている。
だから、早々に私をわからなくなっていくとしても
優しく居ようと思っている。
実家の母の介護の時は辛そうな母が辛くて
泣いてばかりいた。
でも、義母さんは認知症の進行とともに穏やかで
人柄がよくなっていた。
昔、子育てを巡って
やんちゃな息子たちを見て
「親の育て方次第だよ!」と
私の責任と厳しく言われたころや
もっと前になると、2人目妊娠中の私に
「失敗(流産)することもあるから
今は順調でもわからないよ!」
と、つわりの際に言われて
悲しくなったこと。
色んなきつい言葉を言う義母さんだったけど
私はそのすべてを
認知症と言う病気になったことで忘れることにした。
純粋むくな人となり、過去のほとんどを忘れてしまったのだから
私も過去を忘れて付き合おうと思った。
よく、「義母さんには優しくなれる」と知人などに話すと
「まぁ、義母さんは他人だもんね」
と言う人がいる。
他人だから優しくなれると思う人は
介護の経験などないのだろうと思ったりする。
沢山の事を乗り越えないと
沢山の感情を乗り越えた先にある優しさもある。
人の気持ちを理解できない人はいて
それは経験で感じることだから
まぁ仕方ないのだろうな。
家族が認知症や病気になり
関わる人の人柄が分かったりする。
認知症になった義母に対して
「あのひとは、仕事ばっかりで
友達がいないから!」
と言う人もいた。
私は、へぇそうなんだ。と思ったけど
それを一緒に聞いた義姉さんはどう思っただろう。
認知症になって、娘の自分を忘れてしまったことも悲しいのに
80にもなる母親を「友達がいないから認知症になった」
と言われたら
悲しいだろう・・・。
家族の闘病をしていると
心無い言葉が飛び込んでくることがある。
私は母の介護の時、母の友達は温かい人ばかりで
何かをしてあげたいと思う人ばかりだったけど
父の言葉に傷ついた。
家族が味方じゃない時期もあって
他人か家族か
誰かが人を傷つける。
有名人でもそうだし
一般人の人も
心無い言葉を一方的に向けてくる人は居る。
でも、その時に
自分が受け止めたり、払いのけたり
そうできるぐらい元気でいることが
精神的に壊れないことが何より大事だ。
親の介護や親の死は
沢山の教えをこうてくれる。
いつか自分も行く道・・・。
そう思えば、優しく居ようと思うのです。