いつもは割と平和に時を過ごしていると思う。

義母さんは認知症だけど

いなくなったこともあるから、一人にはできないけど

会話は成り立たなくて、嫁の私の事も忘れちゃったけど

もともとの人柄がいいのか

嫌な気持ちになるようなことは言わないし

誰かわからなくなった私にも

「ご飯食べた?」とか

お菓子とか渡そうとしたり

デイサービスに行く時も

「一緒に行きますか?」と毎回誘ってくれる。

 

今日は行けませんが、次は一緒に行きますね。

とか

あとで行きますね。

とか

そんな風にやんわり断って

デイサービスの送迎者に乗って

私を気にかけながら手を振る様子に

今日も無事行った・・・

とホッとしながら手を振る。

 

そんな風に認知症の義母がいても比較的穏やかだ。

でも、義父さんは違う。

さんざん働かせた自分の妻が認知症になり

農作業もできなくなって

わけわからないこと言って

食事をした後に、すぐにまた食事を出そうとして

そんな意味不明な行動にイライラしている。

 

大きな声て、しつこく義母を叱りつける声と

その顔を見ると

なんで、人柄のいい義母さんの方が先に認知症になったのかな。

と、人生って理不尽よねって思ったりする。

 

1年に一回。中学時代の同級生と

集まって旅行に行くのを楽しみにしていたけど

それも認知症になる前から回数が減って

今では全く連絡を取り合わなくなった。

 

義母さんの友達は知らない。

6人仲間の一人がだいぶ前からパーキンソン病を患って

一緒に旅行に行ったときに

みんなで靴を履かせたり手を貸したり

そんな風にしながら行ったんだよと聞いたことがある。

 

「あんな病気になってかわいそうにね」

と言っていた義母さんは

もう自分が誰なのかも定かではない認知症になって

中学の同級生の名前は一人も出てこない。

 

夫も、義姉も

自分の母親の友達が誰なのかを知らないので

会わなくなった友達に思いを寄せることもない。

 

私は自分の母親が、亡くなった時に

沢山の友達が母の死を悲しんで

母と過ごした時を

「あの時が私の人生で一番楽しい時間だったの」

と悲しそうに言ったのを覚えている。

 

母の葬儀の会場には

母が友達と写した沢山の写真のアルバムを置いた。

何人もの人が

「ああ懐かしい・・・」

と涙ぐんでいた。

 

母は確かに愛されていたのに

私は母が亡くなるときまで

母の闘病が苦しくて

早く手放したかった。

 

手放した時には、悲しみと同時に

本当に安堵した。

 

もう、母が苦しむ姿を見なくて済む。

母の苦しみがやっと終わるんだ。

そう思うほどに、弱り切った母がかわいそうだった。

 

でも母は誰にもその姿を見せずに逝ったので

写真の中の綺麗で笑って居る母を見て

みんなの記憶に母は昔の元気なままで残り続ける。

 

そして、みんないつかまみんな居なくなる。

 

大事にしていた友達も

大事にしていた思い出も

作り上げた家族もすべて

 

大事なものをすべて残して

人は居なくなる。

 

形も焼けて灰になる。

 

お墓に入って何にもなくなる。

残るのは思い出を持つ記憶だけ。

 

その記憶を義母は亡くしていく。

体は元気なのに

笑うこともできるのに

でも、記憶は奪われていく。

 

人はいつしか記憶も形も

すべて亡くなるんだな。

 

それなら今生きている意味って何だろう?