認知症の中でも割合が多い
アルツハイマー型認知症。
うちの義母さんも患っています・・・。
症状がはっきりわかるようになったのは約3年前。
でも、アルツハイマー型認知症は20年前から
アミロイドベータなどが蓄積して
症状がゆっくりと進み
ある時に、明確に「おかしい」と周辺が気が付く。
周辺がおかしいと気が付いたときには
本人には認知症を認識する様子はないと感じます。
「最近忘れっぽいのよ」とか
「なんか名前が思い出さないわ」とか
そんなこともない。
忘れたことを認知していないから
本人はいつも『マジ』です。
どんなにできなくなったことも、出来なくなったことを認知していないので
堂々と自分は出来ると言い張り
何度ももう作れない料理を作ろうとして
途中からおかしくなっているけど
押し通します。
ケーキが煮込まれているのを見て
家族がギョッとしますが
本人は何がおかしいのかも認知しません。
認知できないから『認知症』
訳さないで
『物事を理解や認知が出来なくなっていく病』と
長ったらしい名目をいつも思っていないと
家族は昔のしっかりしていた時期を忘れていないので
なんとなく、治りそうな症状?と誤解するんじゃないかな・・・。
義母さんの認知症に一番早く気が付いたのは
嫁である私です。
普段、二世帯でそばには住んでいますが
衣食住は別なので
食事を一緒に食べることが月に数回もないので
距離のある関わり方でしたが
一番そばにいる家族よりも
私が一番早く「おかしいよな・・・」と気が付いたのです。
おかしいよね。と夫に伝えても
にわかに信じがたい「おふくろって、もともとあんな性格だからな~」と
もともと、大雑把で忘れっぽい性格の母親なので
老化してそれがもっと強くなってきたんじゃない?の考えでした。
義父は細かい性格なので
もともと大雑把な義母を注意してばかりいたので
注意の回数が増えてぐらいなかんじでした。
近くに住んでたまに来る義姉さんは
真向否定して、絶対に認知症なんて思わない!と
理解するまで一番長くかかりました。
考えてみると、愛情が深いほど認めたがらないのだなと
思います。
なので、私は義母さんに対しては
愛情は薄かったんでしょうね・・・。
当時は自分の母親の病気や介護で
疲弊していたし、義母さんの事まで気持ちが回らなかった。
本気で向き合うようになったのも
母が亡くなった2年前から。
その1年前から義母さんの認知症には気が付いて
夫や夫の家族に伝えてはいたけど
信じようとしなかった義父や義姉のこともあり
放置していました。
でも、目に余りおかしい状況が進行して
やっと受診して、やっと投薬治療を始めて
認知症におきまりの
『アリセプト』が処方されました。
アリセプトは認知症の投薬の定番ですが
病気を治す薬ではなく
あくまで『遅らせる』という、ぼんやりとした薬です。
これを飲むことで、劇的に何かが変わるわけでもなく
なんとなく、ゆっくり進むようになった??
と言う感じで
飲んでない時との差を感じることが少ないので
本当に飲ませていいのか、悩みつつも
飲ませ始めると止めれない薬です。
アリセプトのジェネリック薬も色々あり
先発の半額近くで求められるので
長丁場になり、医療費の負担を減らしたい場合は
ジェネリック薬にする場合もありますが
我が家も、ジェネリックでしたが
症状が進むと、やっぱり先発のアリセプトにして欲しいと
義姉さんが言ったので、医療費の負担があるけど
アリセプトにしています。
主治医に、症状は進んできているけど
アリセプトは飲ませていくもんなんでしょうか?
と聞くと
やっぱり飲ませていた方がいいのではないでしょうか。
と言われたので
もう2年ぐらい、朝1錠のアリセプトを飲ませています。
本人は「私は健康そのもの」と思っているので
もう毎日毎朝飲んでいるのに
「私は薬なんて飲んでない」と
一度も、薬を飲むことを自分でしたことはありません。
家族が管理して飲み続けています。
昨年の12月に
アルツハイマー治療薬の『アデュカヌマブ』が日本で承認申請されたと
数か月前に知りました。
NHKの情報番組で義父が見ていたそうです。
「次の診察の時に、主治医に聞いてくれ」と頼まれたので
認知症専門医の主治医に聞きました。
先生の見解は
・まだ日本では承認されていない
・承認されたとしても、かなり高額の治療薬になる
・点滴で毎月投薬して時間を要する
・認知症のごく初期段階じゃないと効果がない
よって・・・・
現実的に、今の義母には進めることはない治療薬でした。
特に
『認知症の初期の段階』と言うのが
どの状態に当たるのが
それがあいまいで、判断するのが難しいのだと思う。
若年性認知症のように、若い人に対しての場合は
高額の治療費が負担になり
治療を断念するだろうし
高齢の認知症の場合は、老化現象の忘れっぽさとの
境目が判断付きにくい。
若くても、高齢でも
認知症の判断基準は難しく
アデュカヌマブを使える判断までの時間は
どれぐらいなのだろう・・・。
母の難病治療もそうだった。
母は最初は『パーキンソン病』との診断がされて
様々な投薬をして
結局、副作用に苦しんで
挙句の果てには、パーキンソン病ではなく
パーキンソン症候群として
今までの薬は効果が期待されないと判断された。
パーキンソン病はアルツハイマーと同じで
治す薬はまだなく
同じように、研究されて治療できる可能性を
期待できるニュースを何度かされながらも
結局は進行は止めれない。
しかし、過去には癌も治ることのない病とされてきたけど
今は初期の段階ではかなりの治癒が見込まれる。
実際に父はステージ4に近い大腸がんだったけど
今は手術を経て抗がん剤治療で転移の疑いも
消えている。
癌も不治の病から治癒可能な病になり
様々な病気は研究され治療方法が確立されているけど
そんな風に医学って人間の病気や老化をあきらめないように
進歩しているんだな。
認知症は本人の健康状態を無視して進む病気だ。
体は全く健康なのに、脳が壊れていく。
人間の脳の研究はまだまだ未知数なのだろうな。
でもふと思う・・・
高齢者の認知症を治すことで
今度は体の病気になった時に
その病気が認知され、本人は苦しむのだろうか・・・。
どんなに嫌な思いも、数分後には忘れていく義母さんを見て
『忘却』は人間が生きるために必要なこと。
なのかもなぁと思ったり・・・
でも、一方で
私をわからなくなった義母さんが
つじつまの合わない話を永遠とすることに
付き合いきれない自分もいる。
どんなに治療しても、若さは戻らない。
今は若い気持ちでいる義母さんが
認知症から解き放たれて鏡を見た時に
驚くほど老婆になっている自分に
ショックを受けるのかな。
自分はまだうる若き乙女と思って
うふふと笑う義母さんを見て
認知症も幸せな瞬間があるのかなぁ~
なんて思ったり。
日々、色んな思いを感じながら
自分にもしのびよる老化を
避けられないんだと実感するのです。
人は何のために生きるのでしょう。