浪人して苦労しながら今年の受験に向かっていた長男。

今年は春が来てくれました。

 

色々なことがあり

何でも書けるこのブログに

書き残しておこうと何度も思いながら

本当に苦しいと、書くことが出来ない。

 

何度も書いては消しての繰り返しでした。

書けば、結局誰かの目にとまり

見知らぬ誰かがアクセスして読むでしょう・・・。

 

私の事は知らない誰か。

息子の事も知らない誰か。

 

書いたって解決しない。

本当に親として試練を与えられた気持ちでした。

 

多くの受験生の親が

それぞれの結果を受け止めて

一喜一憂していると思います。

 

私も息子の志望校の受験をした見知らぬ方のブログを読んで

すごく参考になるなと思う一方で

全く違う人生が全員にあり

 

結局は、自分たちが解決して進むしかないんだなと

思いました。

 

長男がメンタルがものすごくダウンした時期は

私立の受験先に向かった帰り道に

自殺をほのめかす文章が送られてきました。

 

本気ではないけど、心境としてはそこまで追いつめられた。

検索で、『浪人 自殺』と調べていたそうで

その話を同じ予備校の寮の仲間で

結果が思うように進みそうになかった子も共感していたそうです。

 

たかだか大学受験で?死にたいと思うのか?

正常な状態では思わないのでしょうが

 

もし、今年もダメだったら

もしも、どこも受からなかったら

 

そう思うだけで、いたたまれない気持ちになる。

現役の時は、浪人して来年がんばろうと気持ちを切り替えるのが早かったけど

浪人してからの受験は精神的な追いつめられ方が違いました。

 

私は兄が二浪したので

家庭内が本当に暗たんとしていて

親子げんか的な言い合いがあったのを覚えています。

 

現役の時 高3の冬に精神的におかしくなった兄は

現役受験を失敗しました。

駿台予備校に通うことになったけど

途中で合わなかったようで、その後

精神疾患的に病状が進み

気が付いたら、大学病院の精神科に入院していました。

 

その当時、兄と仲が悪かった2歳下の私は高校生でしたが

兄の大学受験で家庭内がひどいことになり

最悪だなと思っていました。

 

あとから聞いた話では

大学病院の精神科の治療は投薬が中心で

しばらく入院していると、お見舞いの時に

兄は顔をゆがめて口からよだれをだらだらと垂らしていて

会話が出来ない状況で

主治医には「一生治りません」と言われて

父と母は絶望したそうです。

 

何も知らない私は、家に帰ってきて兄の病気の事を詳しく言わず

ただ言い合いをしている父母を見て

本当に兄が嫌でした。

 

大学受験なんてばかばかしいって思っていました。

生きていくのに、大学行かない選択もあるだろうと

私は高校時代に大学受験をすることは全く考えず

大学に行かなかったことを全く後悔はしませんでした。

 

しかし、子供が成長して

子供自身が親の学力を知ると

親が高卒なんだという事実を

進学校に行くと、弊害にもなり得ました。

 

大学受験の経験がない。

これは結構困ります。

 

でも、私自身

もうあの時の自分に戻れるわけでもないので

『高卒の親』として、子供の大学受験に対して

どう道しるべになるかしかない。

 

長男が滑り止めの私立大の受験の時

気持ちが逃げたい怖さと戦って

負けそうになって死を意識したとき

 

「どんな人生だっていいんだよ!!」

と、強く思いました。

 

大学に行く人生。行かない人生。

 

その二択しかないわけじゃないです。

生きるためにどう生きるか。

 

兄は二浪しましたが

3度目の受験で有名私立大学に合格しました。

そして、一人暮らしを始めました。

誇れる大学に合格したことで、兄は自信を持ち

そして、成績も優秀で

就職するときにも教授に推薦をもらい

かなり大手の外資系の通信会社に就職しました。

誰もが知っている大手です。

 

兄が就職した後、急成長しています。

就職して3年過ぎる頃に兄は彼女を両親に紹介しました。

 

そして、結婚して1女1男の子供に恵まれ

両親は本当に幸せそうでした。

 

兄が結婚したぐらいから

兄妹の仲もよくなり

今では妹も含め

時々、グループLINEで連絡を取り合って

それぞれの誕生日に「おめでとう!!」はかかしません。

 

父母の子育てで一番苦しい時期は

兄の二浪と闘病の時期だったでしょう・・・

 

結局、大学病院の精神科を退院させて

しばらく自宅で見ていた時期は

明らかに精神疾患の図体のデカい兄は

怖くて仕方ない存在でしたが

その後、数か月間

父が探した自然療法的な病院で

荒治療的な方法で精神を立て直し

父が単身赴任していた先に退院をした後は

徹底的な食事管理で兄の健康を整えて

代ゼミに通わせていました。

 

駿台より代ゼミがあっていたようで

兄は志望校に合格できたと言います。

30年以上前の話しです。

今は河合塾や様々な予備校があり

河合塾が人気なのかな?

 

予備校の相性と言うよりも

本人が健康体になり

受験と向き合えるかどうかなのかなと思います。

 

兄の大学受験が二浪だったので

2歳下の私の進学は同じ時期。

私は大学受験ではなく、専門学校を選びました。

 

割と簡単に受かり、最悪だと思っていた実家を出たくて

当然のように一人暮らしを選びました。

 

しかし私はこの後、親に多大な迷惑をかけることをします。

兄と同じように、精神疾患になってしまいました。

とにかく家を出たくて

自分で生きれると自信がありました。


しかし、地元を出るときに問題が

起きました。

 最初は、失恋と友達の裏切りがきっかけでした。

数ヶ月間、親友に裏切られていて

事実を知り、それから眠れなくなり

不眠症になり、おかしくなっていきました。

 

人間関係もうまく築けず、どんどんおかしくなりました。

親を家族を信用出来なくて

友達を信じすぎていました。

不安定ない家庭で育つ子によくある

他人に依存体質でした。

それからは本当に兄と同じように

精神的に崩れていきました。

精神的に壊れると自分では

どうにもならなくなり…

 

あの時、両親は本当に大変だったろうな・・・

当時は全く分からなかったけど

大変だったと思います。


私はそれをずっと忘れていたのです。

覚えてはいたけど、自分が子供の受験を経験して

やっと親の気持ちを思うことが出来たのです。

 

自分のしたことは自分に返ってくる。

親にしたことは少なからず自分も経験しました。

長男の精神が壊れそうになり

私は自分の事を思い出しました。

 

しかし、長男は乗り越えた。

あの苦しみから這い上がって。

 

まだこれからが新生活で

この先の未来を確実にするには

様々な経験が必要だし

親の覚悟も必要だと思う。

 

でも、自分自身が親にとても迷惑をかけたことに

気が付いたのに

母はもうこの世にはいません。

 

あの時の私は。18歳の私は

実家を出て

母を大嫌いだと思っていました。

 

心配して連絡をして来ても

電話には出たくない。会いたくない。

なぜかというと、高校時代や中学時代を

とても嫌な気持ちで支配されていたから。

 

母が家庭より仕事を選び

仕事や知り合いの事ばかりで明け暮れて

私の気持ちには向き合ってくれないと思っていたから。

 

でも、今思えば・・・

 

私が専門学校を選んだ時も

一人暮らしを選んだ時も

家を出る時も

 

母は何も反対せず

お金を出し続けてくれたのです。

 

それだけでも、深い愛情があるからだったのに・・・。

当時の私はそれに気が付かなかった・・・。

 

親が子供のためにお金を出すのは当然と思っていた。

出したお金の価値も考えていなかった。

 

バカだった。

今なら母にありがとうとごめんねを言えるのに。

 

母が亡くなって2年。

三回忌も予定できないまま。

 

ちゃんと話が出来る時に

ちゃんと話がしたかった。

 

母の悪いところばかり思い出して

嫌なことばかり考えて

闘病生活の辛さから逃げていて。

 

それでも、自分はちゃんとやったと思い込み。

 

私は本当に・・・。

 

これから自分が母親として

覚悟をもっていかないと何だと思う。

 

子供の受験で気が付くことは多い。

 

どんな人生だって、しっかり生きていこう。