脳科学者の中野信子さんのお話の
『中野信子チャンネル』のYouTubeで
「自意識過剰の人は自分を高めることが出来る」
と話していて
へぇ~~と思いました。
人の目が気になるって、よくないって思っていたんですが
人の目が気になるから、他人からよく見えるようにしたいので
自分を高められる。
と言うことになるのだな。
SNSも誰かに見られているから、よく見せようと
着飾ったり、充実感を出したりするので
悪いわけじゃないんだなぁ。
ちなみに、年を取ると自意識過剰の気持ちが薄れてくるそうで
やはり若い脳の方が自意識過剰。
その時に、自分をよく見せるために努力することが出来る。
そう思うと、長男を思い出した。
人目が気になる方で、神経質だなぁって思っていたけど
だから、自分をよく見せたくて努力しているのだな。
なんだか私は生きにくそうに見えて
人目を気にするところを否定してしまっていたな・・・。
どうしても、傷つくことが増えるし
傷つくことを減らしてほしいって思ってしまうから。
でも、自意識過剰じゃなければ
成長を止めてしまうのだもんな。
私自身、現状維持の傾向が強くなってきて
他人にどう思われるかより、自分がどうしたいかになってきた。
なるべく無理はしないとか
無理はしないのじゃなく、無理できなくなってきた。
疲れちゃうし・・・
無理していい事って少ないし・・・
母が、いつも無理しているみたいに
人のために動く人で
結局、病気で亡くなったけど
無理したことを後悔していた。
もっと、無理しないで生きていたら病気にならないで
もっと長生きできたかもしれないのかな。
でも、
沢山の人と出会って、普通の主婦では出来ないこと
色々できたと思うし
振り返って、改めて思えば
幸せだったんじゃないかなぁ。
私は母のように、家族以外の人に
一生懸命尽くすなど出来ないし
喜んで欲しいからと必要以上に親切にできない。
そういったことが出来ていた母なので
ずっと、自意識過剰に生きていたのかもしれないな。
私は母ほどガッツがないもんなぁ~~
人にどう思われようがいいとかはないけど
母のように『会いたい人』ではないと思う。
よく、いい人は早く亡くなる。と言うけど
自分の身を削っても他人のために尽くすから
色々負担があるのかなぁ。
意地悪な人って案外元気だし
好き勝手言う人っているもんな。
私なんて根暗だから
こんな場所で、言いたいこと書いてるだけだし。
本当の自分なんて
誰かにわかってほしいとかないもんな。
友達とは、その時楽しい時間が過ごせたらいいし
美味しいごはんとか食べながらしゃべるのでいい
自分の本当なんて、しゃべってもしゃべっても
わかってもらえるわけじゃないし
自分だってわかるわけじゃない。
若い時は友達がたくさんいたら幸せも沢山で
楽しいってことが増えると思っていたけど
大人になって背負うものが増えると
他人の事、理解する労力を使うより
自分の事に精一杯。
だから、分かり合えるってないよねって思う。
母も沢山の友達がいても
結局、わかってもらえるのは家族だけだとなったし
元気じゃなくなると、友達付き合いもできなくなる。
義母だって
体はとっても元気なのに、認知症で
自分の年もわかんないので
もう、友達っていう概念はなくなってしまって
この先、どんな楽しいことも経験した後から消えていく。
しっかりと存在しているのに
記憶がなくなるというのは、どんなことなんだろう。
本人は今目の前のことで生きているのに
さっきの事がわかんないんだもん。
母の病気も
義母の認知症も
見ている側の家族は大変だ。
人に優しく生きてきた二人が
なぜそんな風に老後を過ごすのか。
そう思うと、自意識過剰って
若い時で十分なのかもしれないな。
年を取って、自意識過剰だったらつらいよな。
顔も体も老けてくるのに
一生懸命若作りしたら
美容整形や高額サプリが必要だし。
お化けみたいに若い芸能人もいるけど・・・。
自意識過剰で居れるのは若さなんだな。
でも、自意識過剰で自分を高めようと努力して
人間が最終的に求める先ってなんなんだろう??
私にとって、なにが目標なんだろう?
子育てが生きがいって思っても
子供たちは自分の人生を生きることが大事だし
子供に人生乗っけても仕方ないもんなぁ~~
よくわかんなくなってきた。
自意識過剰のよさって
今を生きる原動力ってことかな。