我が家は夫と私と息子二人と犬一匹。

そして、母屋には義両親が住んでいます。

昔は義祖母も住んでいましたが亡くなり

大きなくくりで6人家族。

でも、生活費などは別なので4人家族と申告してます。

 

義母が認知症になり数年経ちましたが

義父は毎日のように認知症の義母にイライラ。

自分の奥さんですが、認知症以前から

あまり愛情を持っているとは思えない態度や言動でした。

 

夫含め、義姉や義弟は

亭主関白の男尊女卑の父親のもとに育ちましたが

これが結構親思い。

日本の古き良き家といいますか

父親の存在が大きくて、みんなそれに従うという構図。

母親は頑固ですが、声を荒げて怒ることもなく

夫に従順。

 

でも、私から見ると違和感・・・

核家族の男女平等的な家に育ち

父親はそれでも怒ると暴力的でしたが

母親は外に自分の存在感を確立していたので

バリバリのキャリアウーマンでした。

 

収入だって、母親の方がいい時期もあり

それが気に入らなかった父親とは

うまくいかない時代もありましたが

母が闘病生活を送るようになってからは

それこそ献身的に介護していました。

 

でも、義父は義母に対して優しさを感じられない。

農業を営む義父母なので

農業の担えてとして、本当に身を粉にして義母は

働いて働いて、そして家事全部女の仕事として

義父は箸さえも運ばない生活を送れました。

 

寒い冬、外で働いて凍えるような日でも

居間はこたつにヒーターにぬくぬくと温かく

仕事が終わって一番風呂に入った義父は

そこでどっかりと休んでいますが

義母は外から帰ってすぐ、凍えるような台所で夕食作り。

食事を運ぶことさえ全く手伝わない義父ですが

食べ終わっても片付けません。

居間と台所の行き来に、戸が開くたびに

「戸を閉めろ、部屋が冷える!」と怒ります。

 

そして、暑い夏は

エアコンの効いた涼しい居間で風呂上りに

どっかり座って、食事を待ちます。

でも、義母はもう食事を運んで並べる作業が出来ません。

それを私が並べておきますが

食べた後も、義父は運びません。

 

認知症になり、料理はなんとかみそ汁のみ作れますが

義母の唯一の料理を義父は手を付けません。

「夏は暑くてみそ汁は飲みたくない」からだそうです。

 

農家は朝、5時半から夏は出荷の仕事です。

義母は袋詰めさえもうまくいかなくなり

朝早くから、義父が義母を怒っています。

 

そして、デイサービスは9時の迎えなので

8時半に準備を始めたらいいのに

7時半になると、もう義母を見ていてくれと

機嫌の悪い義父が言ってきます。

 

見に行くと、何かしようといそいそとしている義母が

邪魔らしく、連れて行ってほしいという態度で

それでも、手を出そうとする義母に

「居間に行ってろ!行け!」と冷たい言い方をしています。

 

義母はそれでも農作業が頭にあるので

やりたくて仕方ないですが

それをさせたくないのです。

袋に入れる際に、義母の力加減がうまくいかず

果物がつぶれたりします。

そうなると、それは商品になりません。

 

農家なのに、戦力にならなくなった義母は

もうお荷物なのです。

 

まるで、使えない使用人をほうきではくように

邪険に扱う姿に

義父と言う人間の弱さを感じます。

 

大きな人間ってなんだろう?

強い人間ってどんな人なんだろう?

 

私は義父が嫌いです。

とても人として尊敬できないと思う姿を何度も見ました。

自分が気に入らないことがあると

息子である夫に八つ当たりして

「だったらこの家から出ていけ!」と言います。

 

理由は、自分がしてほしかったコピーを

すぐしてくれないとか、そんな些細な理由です。

 

仕事に行こうとして忙しいくしている息子に

急に頼んでくるので、今できないというと

義父はキレます。

そんなに急ぐなら、前の日に言えばいいのに

言えばすぐしてくれると思っているのです。

 

結局、義母がさんざん義父に従い、反抗せず

従順に来た結果が色んな所に影響を与えます。

 

そんな義父の姿を見ているので

孫である息子たちは、少し距離をもって祖父に接します。

 

長男は大人なので、祖父に笑顔で接します。

孫にはとても甘いです。

次男は素直なので、最低限の事しか反応しません。

自分からは絶対に話しかけません。

 

私自身は嫁なので、義務もあり

当たり前に接しますが

嫌だな、嫌いだな。と思う面があっても

弱い人間の一部分を見て、背中を向けることではないなと

達観的に思っています。

 

私自身、ずっと思ってきたことがあります。

 

男って頼りになりません。

男って弱いです。

 

夫も、息子たちも男だし、犬も男の子ですが

男って、弱い生き物だと思っています。

 

人生で、頼りになる男性に出会ったことがありません。

父親も、親なので色々してもらいましたが

子供の頃に、あぁ頼りたくないな。と思いました。

母の方がずっと頼りになりました。

 

結婚する前に付き合ったことは何度かありましたが

頼れるなんて思ったことはありません。

ただ、車の運転とか重い荷物とか

能力的にたけているのは男だなと思いますが

 

精神面で頼れると思ったことはないです。

夫に対しても、頼ろうとか守ってほしいとか

思っていません。

 

能力を伸ばして、しっかりと仕事のできる男になり

沢山稼ぐので、能力的にたけている部分があると思います。

でも、頼ろうなど思っていません。

 

なので、将来的に自立できるように

結婚当初から、自分の貯金は使わず

夫の収入で生活してきました。

 

何かあった時に、いつでも自分で生きていくには

お金が必要と思ったので

自分の自立の生活費は確保しようと思っていました。

 

もし、夫と気持ちが離れたら

夫が浮気して逃げたら

そういった精神的に許せない事態になったら

いつでも自立できるようにと思ってきました。

 

なので、夫の浮気で生活が成り立たなくて

ぐちぐちしている女性を見ると

夫に何を求めているんだ?と思います。

 

そもそも他人同士なのに、自分の人生乗っけようとして

甘くないか?と思うのです。

 

子供に対しての思いだって、

父親に母親と同じような母性などないと思います。

 

いい感じに遊び相手としてとか

自分の夢を投影するとか

父親にとって、子供はそんな感じなんじゃないでしょうか。

母親の母性の、将来的にちゃんと育ててちゃんと生きていけるように

というような、長いスパンで子供を見ていないと思います。

 

よく、離婚したから養育費を払うのは父親として当然とか

払わなくなるなんて子供がかわいくないの?とか

あるかと思いますが

よっぽど経済的にうるおっているなら払い続けるでしょうが

男は自分の身を削ってまで、子供のために人生をかけれないと思います。

 

離婚してそうできると男に期待しても無駄だと思います。

結婚生活をしていて、子供と一緒にいたとしても

自分の身を削ってまで子供に捧げる父親など

本当にわずかか、いたとしても意味合いが違うと思います。

アスリートの子供の父親が子供に一生懸命になるのは

自分の夢を投下しているのであって、

子供の人生ととらえていないと思います。

 

野球していたお父さんが子供と野球を出来たとしても

野球していたお父さんが水泳選手になりたい子供を

理解するのは難しいのでは

その点、お母さんは

子供が何をしたいと言っても全力で理解しようとするのでは。

 

結局、男にそこまで求めたって

期待通りに応えてくれないと思います。

 

私自身、夫の結婚当初の夢が『独立起業』だったので

そのタイミングが来た時に、何の不安も心配もなく

応援しました。

でも、夫の両親は、いい顔をしませんでした。

母親ももちろん心配しましたが

父親は農家だったので

農家以外の事で起業する息子を理解できなかったのです。

 

自分が知らない世界に行くのなら、不安しかない。

そんな感じでした。

 

今でも、そんなに認めていないと思います。

農家をやりたいと、昨年脱サラして

農家をしだした義弟がいますが

その息子にはそれこそ、手取り足取りで

やりすぎなぐらい、全身全霊で注いでいます。

ハウスを新設して、土地も広げて買い与え

自分の作ってきた道を、補修工事をして

歩くのに苦労しないようにしてあげて

義弟を就農させました。

 

夫の時は、全く援助なしです。

起業時にかかる経費も、出してもらっていません。

私たち夫婦の築いてきたお金で起業をしました。

でも、それでよかったと思っています。

何かにつけて、「してやった」という態度の義父に

借りを作らず、そして、夫もしっかりと自立できました。

 

義父の思う心配をよそに、思う以上に伸びていると思います。

でも、義父は手の中にいる義弟がかわいくて仕方ないのです。

 

自分の強さを保持できることが義父には必要です。

認知症になった義母に思いやりがない様子を見て

ずっと、家長として気を張って来たけど

弱い人なんだな。

と思います。

 

弱いから悪いわけではないですが

『愛情』というのが義母に対して感じられないことに

大きな家の長男として、

農家を守らなければいけない立場として

見合い結婚で、丈夫な嫁を貰って

必死にやって来たんだな。と

そう生きるしかなかった、義父の人生を思います。

 

自由に職業を選べたのなら、

家を継がないでよかったのなら

義父の人生は全く違っていたのかもしれません。

 

もしかしたら、本当の意味で女性を好きになったことも

ないのかもしれません。

 

認知症になって、色々出来なくなった自分の奥さんを

まるで、不要物のような目で

あっちに行け!と怒る様子を見て

 

悲しい人生なのかもしれないな。

と思うのです。

 

実家の父が、母の病状の悪化で

主治医に食って掛かった様子とは全く違います。

何とか母を治してあげたくて、必死に支え続けた父が

今は自分の病と対峙しています。

 

「お母さんが迎えに来たんだ!」と言いながら

それでも、まだ生きたいと思う父です。

 

その『生』への執着に私は付き合ってあげようと思います。

弱い父を見て思うのは

 

誰かのために一生懸命になることって

誰でも出来ることではないということ。

 

義父の人生は、私には想像しかできませんが

意外にも、夫を含めた子供3人が、親思いに育っているので

悪い父親ではなかったのだと思います。

 

でも、私の親ではないので

私は義理の親としての義務として関わっています。

そこに愛情があるかと言われたら、ないと思います。

情もあまりありません。

ただ、関わるだけです。

 

義母の事は、認知症という病になってしまったのだから

支えて当然と思います。

 

私がなぜ、自分の思いとは別に

ちゃんと義父母に接することが出来るのかと言えば

私はそういいった強い人間なのです。

自分のしたことに、見返りを求めないのです。

 

もともと、人を頼ろうと思っていません。

なので、自分の考えをしっかり持って

そうなるようにいろんな方の意見を聞いて

自分なりに答えを出していきます。

 

人間の弱さを見ながら

生きることの意味を考えます。

私も弱いということに気が付きます。

 

自分自身に生きる意味があるのだとしたら

私がいることで、助かる人がいるからです。

自分のためだけに自分があると思うより

誰かのために自分が存在していると思うのも

なかなかいいのかもしれません。

 

この考えが、親の介護をすべて終えた後

どうなるのかな~~と思いますが

 

私は私の人生を自分の彩りで生きていこうと思います。

人を頼ろうとは思いませんが

私は人と出会うことが大好きなので。

 

そして、私の生きる背中を

息子たちがどのように受け取るか

それは意識しています。

 

思っていることと違う意味で見ているかもしれません。

でも、その先は息子たちそれぞれの人生です。

私と同じ人生ではないのです。

 

親を見て、自分なりの人生を歩んでいってほしいと思います。

 

予備校生の長男が言いました

「色々お金出してもらってごめん!ちゃんと返せるように

 がんばるから!」

と。

 

でも、私は言いました。

「親が子供のためにお金を出すのは当然だよ

 子供が生まれた時から、そう思って準備してきたから 

 やりたいことのために、バックアップするのは親の役目

返そうなど思わなくてもいい。

いつか、自分が誰かのために何かが出来る時に

してあげれる人間になればいいんだよ。」

 

そう。

子供が生きていくために親は沢山の投資をします。

その投資が回収できるかどうかなど

期待しても、子供が親に返せることは

お金とは違う形になるのではと思います。

 

子供が生まれた時に

この子たちの人生はこの子たちのものだな。

と思いました。

 

自立できるまでどれほどのお金がかかるかわかりませんが

親のできることは子供にお金をかけること。

そして、迷ったときに背中を押すこと。

でも、いつしか見守ること。

 

間違ったときには、一緒に責任を取る気持ちでいること。

そして、反省して乗り越えること。

 

あげればきりがないけど・・・。

 

頼るというのとは意味合いが違うけど

子供からも精神的自立の時期になって来たなと思います。

 

頼らない生き方は

思うよりも、生きやすいです。