嫌だと思うことに埋もれそうになるとき。
愚痴や悪口を言って
自分のふがいなさをごまかそうとするとき。
そういう自分にハタと気が付いて
『こんな自分じゃ嫌だ』
と気が付くことが出来て
どうしたら流れを変えられるか考える。
嫌なことはなんで起きたのだろう?
先日、認知症の義母を
イライラしながら怒る義父を見て、
心の底から、なんて嫌な人なんだ!!って思った。
台所でご飯の準備をして、居間に運ぶ瞬間に起きた。
義父は部屋のエアコンをつけると
戸を開けて空気が逃げることをひどく嫌い
孫たちが小さい時に、チョロチョロ動き回り
そのたびに戸が開くと
「そこ!閉めて!」と本当に細かく注意した。
もっと赤ちゃんの時は、食べながら少し口周りに垂れると
「ほら!拭いて!」と付くたびに注意した。
最初は、え?なに??と
大雑把な両親に育てられた私は理解できず
義父の言うことに慌てて従った。
でも、ほんの少しの小さい子の食べ方。
ほんの少しの戸の開け閉め。
そういうことに、いつも神経質に注意する義父に
これって、神経症なんじゃないか??と思うようになった。
どうしても、小さなことをきちんとしないと気が済まない。
ま、いっか。と思えない。
こういった人に、「そんなこと気にしないで」
と言っても理解されないんです。
自分を理解しないと取るのではないでしょうか。
では、どうするか。
二世帯同居の私たちの逃げ場があってよかった。
食事を別にすること。
生活を別にすること。
適度な距離で関われば、そんなに気にしなくて済む。
義父は完全同居を望んでいて、それが当然と思っていました。
義母を見てわかります。
自分の嫁は、家政婦や使用人のごとく家に尽くすのが当然。
当然なので、信じて疑いません。
なので、義父母はお見合い結婚ですが
頃合いの良い相手を見つけて
嫁に来たら、とことん働かせて
子供を生ませて、そしてとことん働いてもらいます。
義母はほとんど反抗をせず、
というか、意見を言うと、黙ってろと言われ
何を言っても無駄というのが50年ですっかり刷り込まれ
自分の考えが本当は何なのかわからないまま生きてきたのでは・・・。
そんななので、長男の嫁が来たら当然同じと思ったようで
結婚してすぐに言われたことは
「早く子供を頼むね 男の子を頼むね」と
当然のようにいくたびに言われました。
田舎ってすげー・・・
こんなこと、本当に言うんだ。
と、唖然としたのを覚えています。
でも、結局
子供が出来にくいのがわかり
焦った私は、すぐに不妊治療に取り掛かったのですが
その間も
「子供ー 男の子ー」って言われていました。
そのうちに義母や義祖母も
「早く、小さなかわいい子も来てくれないかな~」と
言う始末。
義実家には
嫁は使用人同然。
嫁は跡継ぎを生む。
嫁は家に尽くす。
嫁は親の介護をする。
という、嫁は当然こうなんだという考えが
しっかりありました。
結果的に、私は男の子を生むことが出来たのですが
上の子を妊娠中に言われたのは・・・
身近な人の流産話でした。
あそこのうちの嫁は、妊娠8か月で流れたそうだ。
生まれる前に、流れて、小さな棺桶にはいった。
検診で元気だってわからないもんだ。
田舎あるあるなんですが
ネガティブな噂話を普段からしているので
その情報は人に教えていい情報と思うのです。
安定期に入る前に、舞い上がった夫が
早々に両親に知らせたいと
話した結果がこれでした。
その当時は別居して小さなアパートに住んでいたので
アパートに帰ってから、
泣いて怒りました。
安定期に入る前に話したことが失敗だ。
あんなこと言われるなんて!!
不妊治療で辛い思いをしたし
卵巣の異常が原因だったので
腹腔鏡手術までしたので
本当につらい道のりの妊娠だったので
義実家に知らせるのを慎重にしなかった夫の行動に
心から怒りと失望を感じました。
結局、生まれるまでずっとつわりが続いて
生むのも30時間もかかって
ヘロヘロになって生みましたが
長男が無事に生まれた時は
本当に、なんかいままでのこと
どうでもいい!!
生まれてくれたことで十分だーー!!
って思いました。
私って、心広いな~~
それで、2年半後に次男も生まれるのですが
次男が出来る前も
親戚からは二人目は??って言われるし
(まだ長男1歳)
でました、義父は「次も男の子がいい」と言われるし
義祖母はまた、「検診で元気だってわからないわね」
と言い出すし・・・
しかし!二人目母は強し。
妊娠中にまたもや言われたネガティブ発言に
「そんなこと、言う必要なくないですか!?」と
食って掛かりました。
まぁ、長男が小さい時も
実家に顔出すのが少ない。一週間に一回じゃ少ない。
と、かわいい孫に週1しか会えないので
もっとこいと言われたんですが
その時も、おう!上等じゃーー!
と、ほぼ毎日
忙しいお昼前の時間とかに突撃!!
などをしていました。
来てうれしい。でも、あわわ・・・忙しい。
て時間です。
しばらくしたら、めんどくさくなってやめましたが。
そして、二人目妊娠。
こちらはあっさりできました。
あ、途中に擬陽性的な反応が出て
自然流産をしてしまったようなんですが
その時は体調が悪くて大変でしたが
もう一度、体を温めることを心掛けて
生活の改善をして、
そして次男が出来たので、
次男の妊娠中は、とても穏やかで強くなれた気がします。
でも、安定期に入る前に妊娠悪阻になり
吐いてばかりで水さえも取れなくなり
数日入院してしまったのですが・・・
その際は長男は実家にお願いしました。
そして、次男も生まれるし
狭いアパートから引っ越したいと思うようになり
引っ越し先を探していたら
夫の長男魂が目覚めた?のか
急遽、同居に向けて動くことになりました。
同居・・・嫌だ・・・したくない・・・
嫌だいやだ・・・逃げたい逃げたいよ・・・。
眠れないぐらい悩んだ時期もあります。
しかし、ここでも急に強くなった私は
ま、住んでみて嫌なら出ればいいか。
のその時はその時の考えで
次男が生まれる2か月前に同居することとなったんです。
でも、完全同居は絶対に嫌だ。
小さな台所が欲しい
せめてシャワールームが欲しい。
玄関もできれば別がいい。
など、色々希望を言っているうちに
普通に小さな一軒家の増築になったのです。
建物の部分は自分たちのローンです。
土地は敷地の北向きの倉庫だった場所を壊して
そこを母屋と繋げました。
冬は北風がきついですが
まぁ、完全同居じゃないので我慢。
次男が妊娠8月の際に引っ越しになったので
お腹が重くてつらかったのですが
なぜか、義母は引っ越しの際の整理を手伝ってくれず
理由は
「人の片づけはよくわかんないし」とのことでしたが
いいです。実家の母が手伝いに来てくれたんで。
その時に、以前義母にもらった手編みのへんてこな色のベストを
いらない処分入れにポーイ!したので
それでストレス解消しました。
前向きな気持ちになれずの引っ越し同居でしたが
それからしばらくして次男が生まれて実家にしばらく(10日ほど)
帰っていたのですが
二世帯とはいえ、同居住宅は庭の敷地が広いので
やんちゃ盛りの長男が遊べるので
すぐに帰ってきました。
でも、やはり同居が慣れなくて・・・。
嫌なことばかりに目が行って
次男が1歳になるころ、
原因不明の病になってしまい
入院することとなったんです。
その時はちょうどお正月の親戚の集まりがあった日で
その数日前から、具合が悪くて熱が出て
救急外来に行っても、あまり対応してもらえず。
家でうんうん言っていたのですが
義両親は顔も見に来ず。
多分熱があるから、うつりたくなかったのでしょう。
実家の母に連絡をして
実家の母のつてで、大学病院で見てもらえることになり
母の迎えで、大学病院に行きました。
その、母が家に来た時に
義両親がやっと顔を出してきて
「いや~すみませんね~いつもお世話になって~」と
にこにこ挨拶していたんですが、
義両親を心の底から大嫌いだ!!って思いましたよ。
大学病院に行く道中に
母にはもうあの家で暮らしたくないと愚痴を言いながら・・・。
結局、1月2日の出来事で、検査機関も休み中ということで
私の高熱の原因はわからず
全身に出た赤い湿疹の様子がおかしいということで
即入院になりました。
診断結果は、『血管炎』でしたが
免疫力が落ちていることで
普段なら大丈夫な常在菌などが
血管に入り込み、全身に悪さをした?とかそんな病。
顔から足の先までにじむような湿疹が沢山出て
高熱が続きました。
この病気、手当が遅れると命にもかかわるし
後遺症も残るそうです。
でも、大学病院の治療でその後は普通に生活できています。
こんな風に義両親とは全く信頼関係が築けないまま
入院をきっかけに、私は最悪の状況になった・・・・・
のですが!!
ここで私の気持ちが変わるきっかけが・・・。
大学病院に入院している人は色々な病があり
その方たちの病気との向き合い方
色んな話しをしていた入院生活で
私の心に変化が出てきました。
特に、私の中で印象に残っているのは
同部屋の年下の女性です。
原因不明の難病で
足に傷が出来てしまう病です。
突然、血管が炎症して、皮膚を破り、中から傷が出来る。
そんな風に言っていました。
もう、何度も大学病院に入院しているそうです。
でも、病気でありながら、専門学校で教えている講師らしく
女性のもとには時々生徒が来ていました。
若い男の子が、先生のもとにきて何かを言っていると
「大丈夫だよ!出来るって!!」と励ましていました。
自分が入院しているのに、お見舞いの人を励ましている。
なんか余裕あるなぁと、思ったりしました。
そのうちに、しゃべるようになり
仕事の話を聞いたのですが
この入院で、今度またいつ復帰できるかわからない。
と言いながら、夜も消灯まで授業の準備だと
ベットの上で仕事をしていました。
彼女は
「この体に生まれてしまったのが嫌だって思っても仕方ないし
自分が出来ることをするしかないから」
と、それは当たり前なんだという風に話していました。
その言葉が私には目が覚めたというか・・・
なんか、自分ってちっちゃいなって。
同居が嫌だから、義両親が嫌だから。
自分の境遇を自分で嫌なことにしていたのに気が付きました。
他にも、義両親の商売を一生懸命手伝うお嫁さんとも
話が合って、食堂で沢山話しました。
私より少し年上で、いつも帽子をかぶっていました。
話しをしていくうちに、
あるとき、髪の毛がどんどん抜けるようになった。
今はほとんどまばらになっている。
原因はわからない。
とのことでした。
義両親の商売を手伝って忙しい日々で
子供は小学生3人で忙しく
家と商売と行ったり来たりで忙しかったけど
ストレスには感じていなかった。
でも、ある時本当に突然 髪が大量に抜けて
止まらなくなった。
それで大学病院を紹介されて入院している。
とのことでした。
髪が大量に抜けた時
義母に、「髪染めてるからじゃないの?」と言われ
それが頭にきた。
とは言っていましたが
商売は好きだったし、手伝うのは嫌じゃなかったの。
忙しかったけど、ストレスではなかったんだけど
やっぱりストレスがあったのかな~
とのことで
彼女は嫁として一生懸命生きていたんだなと思いました。
そんな二人の女性の話しを入院先の大学病院で聞けたことが
私にはきっかけになりました。
私は退院して、体調が整ってきたら
まず最初に、義母の仕事を手伝いました。
やれと言われてするのではなく、自分でしようと思ってするのは
心地がいいものです。
今まで見ようとしてこなかったことがあったことに気が付きました。
そんな仕事の様子を
以前ブログに書いたときに、
そのブログを読んだ、ある雑誌の方が連絡をくれて
取材したいと言われたことがあり
2度ほど、ある専門誌に載ったことがあります。
子供たちも登場したので、いい経験でした。
その当時は、子供たちの顔も普段の生活も
包み隠さず沢山書いていたので
そういう風に、自分の顔を出すと取材って来るんですよね。
そのブログは今は大事に取ってあります。
それから、時は流れ・・・。
同居して16年以上過ぎました。
アパート暮らしが5年だったので
いつのまにか同居の生活が長くなりました。
頼りだった母も亡くなり。
義祖母はその前に亡くなっていて
今は義母の認知症に対応しています。
何度も沢山嫌なことはあって
様々なことがありながらも、私は次々のミッションをこなしています。
最初に戻りますが
認知症になった義母を、義父はよく怒っています。
台所から居間にご飯を運ぶときに
エアコンが付いているから、戸を閉めろ!と義父が行って
お盆に乗せたご飯とみそ汁を
運ぼうとする義母は、「わかりました」と戸を閉めました。
戸を閉めたら、食事が運べないのに・・・
ちょっと・・・運べないよ・・・
と言っても、義父は居間にでんと座って
食事が並ぶのを待っているだけで
自分で動こうとしません。
戸を開けずに運べというのか??
ここで、嫁の立場でどうする?
はーい。しらんぷりです。
そのまま、戸を閉めてどうしようかねってしている義母。
居間でテレビを見て食事が来るのを待っている義父。
これは、義母さんが認知症になる前に
自分で改善するべきだったことなんです。
それをしないで、義父に従い続けた結果なんです。
認知症になっても、威張る義父を作ったのは
奥さんである義母なんです。
私は、夫に「運んで!手伝って!」と言えます。
なんなら最近ではやって当然に家事を増やしています。
それは誰のためでもない。夫自身のためなんです。
出来る力を育てておかないと、結果的に夫も大変だし
私だってずっと大変です。
夫に従って、尽くすだけ尽くして
その結果が、義父みたいな態度の夫になるのです。
私は義父に対しては、義母への態度を咎めません。
私の中のベースにあるのは
『所詮他人』という考えです。
田舎の高齢男性が、男尊女卑を当たり前として生きてきた
80の男が
今から変われますか?
それを注意するのは私の役目ではありません。
注意や改善は、相手を思うからこそできるのです。
そして、こんなやり取りがあって
戸惑う義母を残して、私はじゃぁね~と犬の散歩に行きました。
あとは何とかなるでしょう・・・
なかなかご飯とみそ汁が来なかったら
義父がなんとかすればいいのです。
あとから聞いたのですが、
私が散歩に行っている間に
混乱した義母は
二世帯同居の私たちの家の方まで
ご飯とみそ汁を運んで行って、次男の部屋を訪ねて
「これお母さんに」と
置いていこうとしたそうです。
混乱して、私たちの方にお盆ごと運んできたのです。
次男は事態を知らないのでびっくりして
「いらないよ!!」となんとか帰ってもらったそうですが。
こんな時、長男は機転を利かせて対応しますが
次男がびっくりしてしまい、いらないというしかできなかったそうです。
まぁ、こんな出来事は序の口で
認知症の義母の出来事は色々ありますが・・・。
認知症が進んで、義母が食事をまともに作れなくなった時
魚を何度も焦がすから、火事を起こしたらどうするんだ!
お前たちが一緒に食事をしないからだ!
と、義父は息子である夫に怒ったことがあります。
仕事から帰ってきてすぐに、車の車庫で言われたそうで
夫も「おやじむちゃくちゃだ!!」と憤慨していましたが
私は当時、義母に介護サポートを付けようと思っていたけど
それは義父は反対しました。
理由は世間体かと思いますが
要するに、嫁がして当然と思っていたのでしょう。
でも、私はもう長い事生活スタイルは別なので
今さら一緒に食事は出来ない。
それはずっと続くことになるから
当然のように思われたくないからです。
何のために、二世帯住宅にしたのでしょう?
距離を保つためです。
もちろん、敷地内に建てたので土地代や
その部分の固定資産税はかかっていませんが
それは代変わりしから、次の家主は夫なので
夫が母屋分も払うことになるし
何より、同居するメリットってそれですよ。
私はメリットはなくても、別に暮らしたかった。
何をどう言われても、
義両親と近くに住むのは大変なのです。
たまに来るのとはわけが違います。
なので、食事を一緒にするというのは絶対にしません。
その代わり、食事を作るサポートはします。
食事の時間になると、
じゃぁね~と自分の家に戻って、自分の家族の食事を作ります。
要するに、母屋のサポートをしながら
自分の家も作る。
これは毎日していたら、大変です。
適度に、行きません。
行かないようにすると、また義父が怒って
色々事態を変化するきっかけになります。
今は定期的に夕食サポートが届き
それがない日に、私がサポートするようにしています。
夫を支え、義両親も見る嫁は
まだ日本では美徳感覚で絶賛されますが
自分の身を削ってまですることじゃないんです。
大学病院に入院して見たこと。感じたこと。
その前も後も
沢山の試練はありましたが
私は自分の体力の目安をだいたいわかっています。
なんでも受け入れてしまうと、私の体力は持たない。
自分の出来る範囲でしか出来ないと思うこと。
今まで、義姉の圧力もありましたし
義父は何度も嫌な態度を取ったり。
他人なのに好き勝手なことを言う人もいます。
でも、そんなことには負けない。
私の人生は私のためにあります。
自分の出来る範囲で出来ることをする。
出来ないことはアウトソーシングします。
ちなみに、定期的に夕飯サポートで届けてくれるのは
義姉です。
「出来ないの?」と毎日の夕食を一緒に食べることを
望む義父の希望を聞いてという義姉に
私は「できません!」と言いました。
すると、義姉は「じゃぁ私がするわよ!」となり
自分の家で作ったおかずを定期的に届けるようになりました。
まぁ、普通ならそんなことしないでください!私がします!
と、なりますが
私は、やりたいというならどうぞ!と思います。
めちゃ、嫌味を言われたり、意地悪も言われたりしましたが
聞き流すこともあれば、
しっかりと意見を言うこともあります。
義姉は自分の考えは絶対と思うタイプで
あまり人の意見は聞きませんが
ほめたり認めたりすると、とても喜びます。
「義姉さんの作るご飯はいつも美味しそうですね!!」
「義姉さんが届けてくれると、すごく助かります!!」
と、私は言葉に出して言います。
それに、嫁に出たのに両親のために料理を届けるって
大変なことですよね。
その大変なことを出来る義姉はすごいと思うのです。
それは素直に、そう思います。
家族が認知症になったら、誰かがすべて担うのではなく
どう協力するかだと思います。
ちなみに、週末は義弟の嫁さんがお昼ご飯を作りに来ます。
それも、どうそどうぞ~~と思います。
次男の嫁なんだから、しなくてもいいのに
自ら来る。
子供がいない次男夫婦なので、
料理好きの嫁さんは誰かに食べさせたい。
それで義両親に週末食べさせに来ています。
母屋の台所は義母さんの聖地でしたが
でも、誰が使ってもいい場所です。
田舎の台所なので広くて何人も立てます。
長男の嫁だけしか立てないわけじゃない。
次男の嫁も、嫁に行った義姉も。
誰がたってもいい場所なのです。
やっぱり、二世帯住宅にしてよかったーーー!
そんな風に、義父が認知症になっても義母を怒るので
周りは自然と協力体制です。
色んな人が出入りするので、関わる人間が多いですが。
もう、私には頼れる実母はいないし
逃げ場もないですが。
お金はちゃんとためて、
いつでも出ていける軍資金は持って・・・
そう思ってためて・・・16年以上過ぎましたが。
自分のマンションが欲しかったのですが
それにはお金が足りないので
子供たちが自立したら
楽しい自分時間を沢山持ちたいなぁ
そのためには、くたくたにならない程度にがんばろうかな。
なかなか吐き出すことがなかったけど
ブログに書いてみて
あんまりまとまってないけど
自分の気持ちの整理になったな~
今日も、明日も明後日も
義母の認知症も日々は続きます。
そのうち、私の事
見てもわからない日が来るのかなぁ~
ちなみに、長男の嫁という意識はもうないです。
自分の子供がどの立ち位置かわからない時もあります。
夫の事を息子と認識できない日もあるし
自分には娘はいないという日もあり。
でも、義父のことは忘れません。
怒られてばかりだけど、やっぱり尽くしてきた人。
義母にとっては大事な人なんでしょうね・・・。
人間関係って不思議で面白いです。
そして、私の人生も
まぁ色々あっても面白いなって思います。
ちなみに、義母は認知症になって
とても朗らかな人になったので
私は今の方が好きかなって思います。