摩耶さんのブログを朝からなんとなく読んだ。

忘れていた思いに気がついた。

摩耶さんの今日のhappyが
息ができること
水が飲めること
歩けること

この、健康なら当たり前の事を、
幸せなんだと思う摩耶さんの

壮絶な看護の日々が感じられて、
一生懸命な笑顔の奥の
取り戻せない日々が…


私のお母さんも
今は歩けない。
自分で食べれない。
話すこともままならない。

意識はあるし、意思もあるから、
出来ない自分が辛くもどかしく、
泣いている。

周りは、その思いが辛くなる。
何度もお母さんは前むきに生きようとしても、
病気の進行がそれを阻む。

お母さんから、目をそらしたくなり、
でも、私もお母さんだから、

息子達が見ているからと、
私に出来ることをしてきた。

でも…
子育ては思うようにいかず。

今、思いもよらない息子の悪さが、
波のように押し寄せている。

何が間違っていたのだろう。
愛情をかけてきたつもりの子育てが揺らぐ。

お母さんも同じように、
子育ては大変だと言っていた。

だから、私は大変なのも楽しみなのよと
思うようにしていた。

でも、本当に思いもよらない事が突然起こり、
あなたの子育ては間違っていたのだよと
突きつけられた思いです。

愛情をかけることの難しさ。
子供の笑顔には裏があった。

最近、子育てが今まで以上に楽しく思えて、
息子達との会話も対等に感じられて、
嬉しかったのに。

対等じゃないんだ。
親が見えない顔。
見ようとしていなかった顔がある。

お母さんに相談したくても、
お母さんにはもう相談出来ない。

今週は、病院を退院させられて、
介護施設に一時的に入居。
今の状態で環境を変えざるえない、
介護の現実。

麻央さんは、在宅を選び
大変な日々の中、
自宅で家族の元に戻れたこと。
看護の覚悟がないと出来ない。

お母さんはもう自宅で暮らせない。
家族から離れて、
命の順番が来る恐怖の日々を
過ごさないといけない。

辛い。お母さんの日々が
どうにもならない病気が。

でも、子育ても乗り越える試練が大きくて、
親の苦しみがある。
本人がこれから背負う責任と後悔を

負わせてしまった、子育ての間違い。
どこで間違えたのだろう。

彼をそうさせた理由はなんだろう…

お母さんを見て、
お母さんである自分がいて。

だから、happyは
私にとって、もっと大きな意味がある。

成長期の子供が感じるhappyは
息が出来るや歩けることじゃない。

それが幸せと思えるほど
成長は待っていない。

当たり前の幸せを
幸せと感じる間も無く、
カラダもココロも
コンテロール出来ないほど、成長する。

だから、今どんなに摩耶さんが愛情をかけても、
ココロ入れ替えた海老蔵さんが
子育てをしても。
病気だったママを見てきたとしても
子育ては思うように行かないかもと
勝手に思う。
これは、余計な事だけど、

私がお母さんを思ってきた日々も
母屋と仲良くしてきた日々も
仏壇に手を合わせて来た日々も
親戚や地域を大事にして、
学校へ行く子供たちのためにも
PTAでも、ママ友でも
大事に思ってきた。

自分は間違いをおかさなかったと
思う日々も。

確かに愛情を与えたはずの日々も

子供は容易に翻す。
想像もしなかった出来事で。

子供は間違いを犯し、
親を苦しめ、親を親だと戒める。

私が最近感じていた子育ての楽しさは
見ないようにしていた出来事だった。

息は出来る。
ご飯も食べれる。
行きたいところに行ける。

それをhappyと思うには必ず
思い違いがある気もする。

乗り越える試練が…

降りかかっています。
親として…