最近思うのは、不妊治療だけに心のエネルギーを注ぐのは危険だ、ということ。頑張ればそのぶん結果が出るという世界ではないだけに、非常に精神のバランスを取りづらくなる。

 人が何かにエネルギーを注ぐ時、それは自分がやりたいからやるのか、人に求められたものか知らないけれど、それに取り組む自分自身に多少なりとも意義を感じるからやる。つまりその時その瞬間は、少なくとも自分の存在意義の数パーセントをそこに依存させている、とも言える。


 熊谷晋一郎氏が、述べていたことを思い返す。

「一般的なイメージとして『自立』とは、頼らないこと、自分で立つこと、依存しないこと、であるが、東日本大震災の時に気づいたことがある。(障害者の自分よりも)健常者の方が依存しているんじゃないか。東日本大震災の時にエレベーターが停まって、逃げ遅れそうになったことがあった。健常者は階段で逃げることができた。つまり、健常者は階段に依存することができた。逃げるという目的を達成する為の社会資源が私よりも多かった。エレベーターも選べたけど、階段も選べた。『自立』というのは、independent ではなく、むしろmulti-dependent である。『自立』には、『支配されないこと』と『選択肢が沢山あること』が必要条件である。それは、『依存先が多い』時のみに成立する。自立というのは、『依存』の反対語どころか、『依存先が多い』ことを意味したんだと気づいた。」


 不妊治療に取り組みながらも、それが心血を注ぐ全てになってはいけないと思う。

私の場合、

・息子と数学の問題勝負をしながら「まだまだ負けぬ、かかってこい。」と息巻く

・先生方との関係を上手く構築しながら息子の教育環境を整えるサポートをする

・夫の前でただ単に可愛くあろうとする

・密かにオタ活に励む

それらにmulti-dependentであることが、健全なのだと思う。

 同様に子供にも伝えたい。学校という、ある時ある場所にたまたま集合した人間で構成される世界の一点でしかない狭い空間が、世界の全てでは決してないことを。学校とは全く構成員や場所を違えたコミュニティ(例えば将棋教室、習い事、塾、などなんでも良い)に複数属することで、心のバランスはずっと取りやすくなることを。