不妊治療をするようになって生理の捉え方が大きく変わった。「早く来ないかな。周期が長いな。」と思えるようになったのは、実はここ数年のことだ。


私はPCOS傾向だが、今よりも昔のほうがずっとその傾向が強く、20代の頃は生理周期がバラバラで、35日未満であることはほとんど無かった。ひどい時は数ヶ月来ないことも普通にあり、公認会計士試験の短答合格後、論文まで一度も生理がこないということもあった。それでも、一度も病院に行ったことがなかった。

私は生理の来る自分の身体がとても嫌いだった。男性と張り合って勝負をしようとすると、女性ホルモンに振り回される身体が足を引っ張る。生理は無いなら無い方が都合がいい、とさえ思っていた。

風呂の後、ドライヤーで髪を乾かさない。だって男がやらないから。

資格試験の直前期は1日おきにしか風呂に入らない。だってライバルの男どもがそうしてるから。

化粧の時間は最長でも10分しかとらない。だって男は化粧なんてしないから。

ネイルケアをしようなんて考えたこともない。だって男がやらないから。

その延長で思っていたことが、

生理をありがたいと思ったことがない。だって男には無いから。


 なぜこんな歪んだ考えになったのかは自分でもよくわからない。人一倍負けず嫌いだったからかもしれない。男と対等に張り合いたかったのかもしれない。

また、子供の頃の母の発言にも多少は影響を受けていると思う。「女の子は生理があるから、男の子と違って試験前も追い込みが効かない。」と母親はよく言っていた。母は私の受験勉強にコミットできる部分が少なく、体調管理くらいしか関わることもできなかったので、応援しようとしたところで「生理前は眠たそうだ。」「生理で腹痛で辛そうだ。」くらいの考察しか持つことしかできず、自然と上記のような発言が多くなったのかもしれない。「直前期でなく早め早めに準備をしろ。」と尻を叩いていたつもりなのかもしれない。私は同級生に比べ、比較的生理が来るのが遅かったが、「初潮なんて迎えるのが遅い方がいい。めんどくさいだけだから。」とよく母が言っていた。真意はわからないが、少なからず、それらの発言に影響を受けたと思う。


 そんな私でも、息子を捻り出した後、生まれて初めて女性で良かった、と思えた。競り合って競り合って、比較優位性を保つことでしか得られなかった幸福感のほかに、こんなにも満たされる瞬間があるんだ、ということを知った。

息子を育ててきたこの12年間あまり、ただただ、「息子が愛おしい。息子は天才だ。」という感情(認識ではなく、極めて主観的な “感情” とでも言うべきもの)に没頭して生きることができた。その感情を心の真ん中に据えて、私は自分が紡いだ自分の物語を歩むことができた。

意外なことに、私の心が満たされるのは、愛する人の子供を育てる、というどこにでもある、平凡で素朴なストーリーを歩んでいる時だった。


鈴木裕介氏は著書の中でこう綴っている。

・自分の物語に納得することは、自己を肯定することとほぼ同義です。

・いま私が暫定的に定義している「幸せな状態」とは、「自分が紡いだ自分の物語に、自ら疑念や欺瞞を抱くことなく、心から納得し、その物語に全力でコミットできていること」ではないかと思っています。

死ぬまですがりつくことができるような自分の物語を生きることができたら、それはとても幸福なことです。

・今、生きづらさを抱える人が増えている背景には、これまで信じられてきた「幸福へ続く物語」が、徐々に誰にでも当てはまらなくなってきたことが挙げられます。少し前であれば「いつかはクラウン」とか「郊外にマイホームを買って、大型犬を飼う」といった、幸せなモデルになるような明確なサクセスストーリーがあり、その物語に乗っかっていれば、誰もが幸せになれると信じられていました。

しかし、幸せとはそう単純なものではありませんでした。

アメリカの経済学者ロバート・ハリス・フランクは「所得や社会的地位、家や車など、他人との比較優位によって成立する価値によって得られる幸福感の持続時間がとても短い」ことを明らかにしました。


 妊活・不妊治療においても、私は私が納得できる、自分自身の物語を紡ごうと思う。私は私のベストを追求する。

そんな心持ちで臨んでいても、ついやってしまう他者との比較の中で、胸が痛くなる時はたまにある。先月の採卵周期の、採卵日を決める通院日、内診が終わり、着込んできた服を身につけるのにもたもたしていると、隣の更衣室から内診室に次の人が入り、卵胞数を報告する声が聞こえてきた。その日その部屋で内診をしてくれた医師は、とても張りと声量のある声で、「こんにちは!」と気持ちよく挨拶をしてくれる好青年なのだ。

「1,2,3……12,13! 右、13/○○です! 1,2,3,4,…………15,16‥‥

途中で耳を塞いで慌てて出てきたのでもう片方は聞かずにすんだ。診察を待つ間、胸に漬物石でも乗っかったような気分で、巨大なモニターをボーッと見つめていた。おそらく私は、卵胞が山ほど育っている、顔も知らない他者が心から羨ましかったのだ。


診察に呼ばれて部屋に入ると、パソコンを見ながら、

「なんか、、育ってますね!」と明るい声で某氏が言った。そこでふと正気に戻り、「そうだ、私は私のベストが追えたらそれでいいんだ。私の卵巣は、周期頭は調子が悪そうだったのに、こんなにがんばっているじゃないか。」と涙がこぼれそうになった。


 私は、たぶん平凡でありきたりな、でも心から納得のいく、人生を歩みたい。不妊治療も、それがどんな結末を迎えたとしても、ここまでやったのだから受け入れられる、というだけの努力を積み切りたい。

それが唯一、自分の物語に納得のいく方法だと知っているから。