7月初旬、一年ぶりに開催した算命学「普及」イベント。

 

わりと満席になるのが早くて(と言っても体力上、4枠しかないんですけどね)、2回めを9月に行うことになりました。

 

ありがたいことですキラキラ

 

 

 

「鑑定」という眼目でやってるわけじゃないんですけど、お申し込みいただくのは人生の節目に立たれているんだろうなという方が多いです。

 

 

少しでもお役に立てれば嬉しいですね(*^^*)

 

 

 

 

今日の算命学研究室に、最近私が実感していることを青龍先生が言葉にしてくださっていたので、ちょっと長いのですが抜粋させていただきます。

 

 

 

 

月支と年支に天胡星があるスポーツ選手で検索しました。検索を変えればまだまだたくさんの例を挙げることができますが、ハードなトレーニングを必要とするスポーツ界の一流選手に天胡星所有者を多く見ることができます。

 

・・・と例をあげればそうなのですが、こうしたやり方は実は占い師が陥る錯覚?のひとつでもあります。

 

これ、エネルギーを天極星にしても天将星にしても天貴星にしても、同じような一流スポーツ選手をピックアップすることができます。

 

部分的にとりあげると、天胡星すごーいとなりますが、これはどの従星でもすごいんですよね^^

 

例えば、伝達の星が主星や南や東にあるアナウンサーがいたとして、それはたくさん例を上げることができますが、まったく同じ数だけ、車騎星や司禄星のアナウンサーを上げることもできます。

 

 

だから〇〇星だから□□です、というシンプルな公式はなるべく使わないようにしています。従星も然りです。

 

 

 

 

ものすごい人数の人生を検証されてきた龍高星だからこその、重みのある言葉だなと思います。

 

 

 

私が算命学を学び始めた最初の頃は、十大主星でも十二大従星でも位相法でも、「これはこう」的に覚えました。
 
「これが犯人」とはっきり定義づけられたらいいのに、なんて思っていた時期も。
 
でも、実際にいろんなひとの宿命で学ぶにつれ、この、先生が書かれていることを実感するようになりました。
 
 
 
持っている十大主星や十二大従星や位相法だけですべて四角四面に説明できてしまうわけじゃないんですよね。
 
たとえば私には司禄星がありませんが、子ども4人育てて家庭をコツコツ創り上げることができました。
 
身強と言われる星もひとつも持っていませんが、それなりにずぶとく現実を生きています。
 
 
 
それは私の持っている宿命でも、じゅうぶんカバーできてるからだと思います。
 
ひとって、ほんとうに複雑。
 
 

では、意味がないのかというとそんなことはなくて、大事なことは「質」の違いを論じるところにあります。

 

車騎星でも鳳閣星でもアナウンサーはできますが、それは違いがあって、その違いを説くことが算命学ってことだと思っています。

 
 
 
私の家庭の創り方は、司禄星とはきっと質が違うし、私の世渡りのやりかたも身強エネルギーを持っている人と同じはずがありません。

 
もともと若年期天胡星・夢見る夢子さんだった私ですが、きっとこの年まで生きてきて経験やひととの出会いを重ねてきた今だからこそ、それを理解することができるようになったんだろうなと感じます。
 
 
 
 
ところで、この算命学研究室の最後に、月殺について先生が書かれていらっしゃいました。
 
『・・・・・生月天中殺は痛みによって知るという力が少ないわけです。そこで何度体罰を受けても、同じことを繰り返すという状態が生まれたりするわけです』
 
現象だけをみると、懲りない人とか、鈍いんじゃないか、とかいう評価が下ることもあるのですが・・・・
 
まぁ、反省できないという顕著な欠点も産みますけど(笑)←冗談です^^

 

 

確かに私はあんまり反省しない(したくもない)けど、

月殺持ってなくても、月殺っぽいひとはいっぱいいると思います!笑