今日のテレビより。


今世界でグリーンニューディールという概念が発達しようとしている。太陽光発電や風力発電などのグリーンエネルギーを利用して経済活性化につなげていこうという考え方のようだ。ニューディールという言葉からもわかるように、現在の世界同時不況に対する公共事業的な概念ともいえるものである。コメンテーターによれば、このグリーンニューディールがIT革命につぐ、世界文明的パラダイム変換になりうるものだという。ところが、日本はアメリカなどに比べ少し乗り遅れかけているようである。


日本の環境技術については、ハイブリッド車などに代表されるような省エネ技術において、世界ナンバーワンといってよい。アメリカとの違いは、そういった技術を利用した総合的な戦略構築能力、そして政治的決断のスピード力のようである。


アメリカではスマートグリッドと呼ばれるコミュニティー全体を網羅した省エネシステムの構築実験がデンバーなどで既に始められている。具体的には、各家庭に太陽電池パネルを設置し、地域内の各家庭で電力を融通しあうような仕組み。システムはおそらく既存の電力会社によって管理され、悪天候時は既存電力が供給される他、各家庭の電気自動車に蓄電された電力を家庭に還元するというような驚くべき考え方も含まれている。


日本でもそのような取組みがもっとスピーディーに進めばよいのだが、政治のリーダーシップがとれていないようだ。そして、経済産業省、国土交通省、農林水産省といった省庁の縦割りが、壁となっているようだ。


環境立国として、日本は今後どのような方向性を打ち出していくべきのか。いっそ、私はアメリカとの連携を進めるのが得策のように思う。アメリカ人の戦略構築能力と日本のモノ作りの能力を連携させ、両国が車の両輪となり協力しあって、互いに環境立国として世界をリードしていくというアイデアはどうだろうか。


そうなると重要なのは、日本の技術力の維持向上だ。しかし日本では子供の理科離れが進んでおり、科学力の衰退が懸念されている。小中学生にはもっと理科への興味を持たせるように、理系の専門教員を作り増やしていくべきだ。また、大学は企業で即戦力となるような技術の教育体制を作るべきだ。そうすれば、優秀な高校生が工学系の学部をもっと選択するようになるはずだ。


ドラッカーは、成功するためには得意なことを集中してやることだと言っている。総合的な戦略構築という面が様々なしがらみにより進まない日本。少なくとも、得意とされるモノ作りはにこだわっていくべきだ。

今日は少子化について少し。


最近非正規雇用についての問題が取りざたされている。その中で私が最近気になったのは、非正規雇用で働く男性や女性の結婚率・出産率は、正規雇用の人たちの約半分くらいというインパクトのある記事だ。正規雇用で働く人でも、日本ではそれほど満足のいく育児休業や補償がとれているとは思えないが、それにしてもこの差は明らかに異常だ。


自分たちが選んだ道、といえばそれまでだが、もう少し非正規労働者や自営業者などが、公務員や大企業の従業員と同様の補助を、出産や育児にあたり、得られないものだろうか。時代の流れにつれ、働き方の価値観は変化している。そして少子化という社会問題も時の流れとともに深刻さを増してきている。政治は、このような時代の移り変わりの中で、常にタイムリーな政策を打ち出していく必要があるのではないか。


少子高齢化に伴う人口減という問題については、二通りの対処法が考えられる。

まず第一は少子化そのものへの対応。当たり前のことであるが。子供を多く産み育てられる環境を作り出すことである。ただ、これは一口に解決できるようなことではない。そこで考えられるもう一つの対処法は、人口減という状況をある程度受け入れた上での対応である。これは一人あたりGDPの向上という考え方といってよい。理屈上、人口減がもたらす影響というのは国力の低下である。国力をはかる一つの数値としてGDPがあるのだが、この絶対値の大小が、必ずしも国民の豊かさにつながる分けではない。簡単に言えば、国民100人の国のGDP値が100の場合と、国民50人の国でGDP値が100の場合では、どちらの国が豊か、という話である。つまり人口が減少したとしても、GDP値の減少を抑えることができれば、国民一人一人は理論上、豊かな生活を享受できる。


人口が減少する中で、GDPを一定以上に維持しようとした場合、必要なのは生産性の向上と、隠れた労働力の活用が必要となってくる。隠れた労働力として注目されているのが、高齢者と女性というわけだ。北欧などの国では日本に比べ女性の労働率が高い。これはお産や育児などへの国と会社の理解・協力があって、産後も職場に復帰できる環境が整っているからだ。


少子化、人口減という問題にあたって、どのような考え方で日本が対応していくのか、方向を間違えば確実に国の衰退につながる問題であるだけに、一刻も早い決断と対応が政治に求められている。

辰吉丈一郎、テレビで見るのは久しぶりでした。


昔のことを思い出すと、彼のイメージはやんちゃなヤンキーで、紳士的なものとはほど遠かった。けれども最近の誰かとは違って、みんな彼のことが好きだった。会場は辰吉コールが鳴り響き、僕らもテレビの前で辰吉に声援を送っていた。


現在の彼のほんの一部をテレビで垣間見た。あの時、みんなが、なぜ辰吉丈一郎を好きだったのか、分かった気がする。間違いがないのは、彼は他の誰よりもボクシングという自分の生きる道を愛していた。その一途な姿に皆が心を惹かれたのだ。そして、もう一つは、年月がそうさせたのか、あるいは以前からそうだったのか、それはわからないけれど、とにかく今回分かったのだが、彼が人間として非常にすばらしい人物であって、テレビの前の僕たちは、そんな辰吉の内面の魅力までも敏感に感じ取っていたのだろうか。


とにかく彼の言葉を、この「備忘録ブログ」残しておきたい。

人間は1つのことだけでもいいんだということ。努力は自分のためにしなければならないということ。そして、成功したときに、お世話になった人への感謝を忘れず、お返しをすればいいということ。


今の彼のボクシングがどうとかいうのは彼自身が一番よく分かっていることだと思う。だから回りがそのことをどうこう言う必要はない。ただ、彼を見て、男としての魅力を、生き方を、感じる人だけが感じればいいと思う。