学校に着いた流哉は、すぐに美術室へと向かった。少し早く学校に来たせいか、教室や廊下に同じ道具係は見あたらなかった。この分だと俺が一番乗りだろう、と流哉は思い、浮かれた気分で美術室まで歩く。
大道具係は約一週間程前から美術室で作業をしており、主に作っているのは文化祭の劇で使用する背景や小道具、置物といった物。活動は朝と放課後だが、朝に関しては自主参加という形になっている。
そのせいか、朝の作業は生徒の集まりが悪い。流哉を合わせても三人や四人、時にはたった二人だけで活動しているなんて事もある。
流哉が学校に登校した時間はいつもより少し早く、他の学年や他の学級の生徒もまだ学校には登校していなかった。視界の中に誰一人として人がいないせいか、まるで自分一人だけがこの空間を独り占めしている感覚に流哉は陥った。
その感覚が、彼をまた更に浮かれた気分にする。
しかし美術室へ向かう前に、職員室に美術室の鍵が無いことを確認していた流哉は、自分よりも先に誰が大道具係の作業を始めているのか、歩きながら考えていた。
彼のクラスには朝早く学校へ登校し、誰よりも先に作業を頑張る。なんて優等生は一人もいない。
いや・・・正確にはたった一人だけ、流哉には思い当たる人物がいた。
その人物は流哉自身という意味ではない。今日の流哉はたまたま早く登校したに過ぎない。別に優等生なんて人間ではない。
そうこう考えている間に、流哉は美術室まで来ていた。半開きの状態になっている扉のドアノブを掴み、ゆっくりと扉を開けた。扉を開けるとなんとも言えない不快な音が流哉の耳の鼓膜を振動し、少し顔が引きつった表情になってしまった。
数々の美術作品が展示され、ガムテープやダンボール、鋏などが床に散りばめられているその真ん中で、たった一人の生徒が黙々と大きな白い紙に絵の具で絵を書いていた。おそらく背景に使う絵だろう。うしろ姿だが、制服と髪型を見たところ女子生徒だろう。
セミロングのストレートヘアにスカート、明らかに女子生徒だ。教室に入ってきた流哉に気付いた彼女は、作業の手を止めてこちらに振り向いた。こちらに向いたほんの一瞬は誰なのだろうと疑問に思った顔をしていたが、それが流哉とわかった瞬間なのか、彼女は全く飾り気の無い笑顔に変わり、とてもうれしそうな声で挨拶をした。
実際、この時の彼女は流哉の顔を見た瞬間から、心の中はとても幸福に満ち溢れていた。
「おはよう。」しずかに、しかし明るい声で彼女は言う。
「おはよう。」ゆっくりと、流哉も笑顔で返事をした。
彼もまた同じく、学校で朝一番に彼女に会える事を、とてもうれしく思っていた。
意外だった。彼がこんなにも朝早く学校に来るなんて。
まるで不意を突かれた感じがしたが、わたしは朝一番に流哉の顔が見れたことがとてもうれしかった。
流哉と会えるだけでもうれしい。わたしが心でうれしいと思う前に、既にわたしの顔は笑顔になってしまっていた。わたしは彼に朝の挨拶をしたら、彼も笑顔で挨拶をしてくれた。
「今日はいつもより来るの早いね。」
流哉はいつも朝の作業に参加しているけど、来るのは誰よりも遅い。早く来る時は数えるぐらい。
「たまたまやで。いつもより早く起きただけ。今日は二度寝しなかったからな!」
と、お得意のサムズアップをかましながら、胸を張って言う。
「そんな事を自信満々に言わない。ほんまに・・・もう高校二年生ですよぉ~。早寝早起きをしっかりぃ。」
いつもわたしは思っていた。
いつからだろう、こんなに流哉と何気ない会話ができるなんて。
昔はわたしの片思いだと思っていた。でも、今ではちゃんと一緒に、お互いがそばにいる。
「まぁまぁ、そんな堅い事言うなよ。ほんで・・・俺どこ塗ったらいい?」流哉は床に置いてあったもう一つのパレットと筆を持ち、わたしに質問をした。
「じゃぁ・・・・・こことここの枠内を、セルリアンブルーで塗りつぶして。あと、水は少なめにして。」
「おう、わかった。」そう言って、彼は道具を持って、作業に取り掛かる。
流哉と二人きりで何かしているなんてあまり無いせいか、真奈美は少し感情を昂らせながら絵の具を塗り続けた。
そんな真奈美とは裏腹に流哉は全くおちついた様子で静かに絵の具を塗っている。
友達から「彼氏」と「彼女」、「恋人」という関係になってからもう約三年程の年月を経たが、あたしはたまにぎこちない態度をとってしまうことがある。大好きだから一緒にいると恥ずかしくなってしまう。
流哉は涼しい顔つきで恥ずかしがってるようには見えないが、実際、流哉も彼女と同じような気分になってしまっていた。
彼も、真奈美の事を愛していたから。
好意を持っている人間と二人きりになれば、誰だって恥ずかしくなるものだ。
二人は笑顔で他愛のない会話を続け、朝の作業は終了を迎えた。