一昨日、実家に帰った夜は中秋の名月前夜。
驚いた事に月下美人が咲いていた。
生まれて初めて見たその花は、思った以上に大きくて存在感があり、凛しているのにどこか儚げで幻想的。
月光の下に佇む美女、に例えられる意味がよく分かった。
確かにこの花が人だとしたら、誰もが見惚れる傾国の美女になるだろう。
それほどまでに美しく、人を魅了する花だった。
実は20年以上昔、一度この美女に出逢うチャンスがあった。
それはまだ私が、自分の考えに固執しがちな小生意気な中学生だった頃で、季節はやはり初秋の月の綺麗な夜だった。
実家の裏手に住む、老夫婦が慌てた様子でウチを訪ねて来て、
「月下美人の花が咲いたので、見に来な!」
と言う。
この夫婦は、お婆さんの方は元産婆さんで、私の父が生まれる時に取り上げたというぐらい我家とは長い付き合いで、何かと色々とお世話になっている方々だった。
この日の晩も、折角咲いたので私の家族にも見て貰おう、という親切心で来たらしい。
しかしその時の私は、そもそも余り花に興味がなかったのと、テレビの続きが気になっていたのと、中学生にありがちな大人との団体行動を嫌がる反抗的な心理が働いたのとで、結局見に行かずに終えたのだ。
翌日、母から、
「月下美人という花は、数年に一度、一晩だけしか咲かない珍しい花だ」
という事を教えられ、多少、残念に思ったが、それでも私は、
『まあ、また何年か後になれば、また見せに来るだろう』
ぐらいの軽い気持ちでいたのだった。
その何年か後に、お爺さんの方が体調を崩し、そのまま隠れる様に亡くなり、そのすぐ後、後を追う様にお婆さんの方も亡くなるなんて、まったく……思いもよらなかったのだ……。
……思い返してみると、人との別離はいつも突然だ。
何気に会って、なんとなく別れの挨拶をして、まさかそれが今生の別れになるなんて、本当に思ってもいなくて。
いつでも、『ああ、あんなのが最期に交わした言葉だったのか……』と、後になって後悔する。
大好きだった伯父達も、可愛がっていた飼い猫も、話し上手だった父の友人も、辛かった時期に助けてくれた友人も。
まさかもう二度と会う事がないなんて思いもしないから、大した事を言う事もなく別れてしまう。
テレビを点けるかの様な気軽さで出会い、チャンネルを変えるぐらいの気軽さで別れる。
チャンネルを合わせればいつでも同じ番組が観られるのと同じような感覚で、いつでもまた出会う事ができるような気になっている。
どんな長寿番組だって、いつかは必ず終わるのに。
この花――月下美人は、苦い思い出を呼び起こし、人との付き合い方を見直させる、美しくも厳しい女性だった。
翌日、昼前に起きると……既に花はいなくなっていた。
きっと朝方には花が落ち、それは母が片付けたのだろう。
初めから分かっていた事とは言え、少しばかり寂しい気持ちになった。
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