この地震で思う事と願う事 | Facing Forward

この地震で思う事と願う事

まずは被災された方々に、心からのお見舞いを、
そして亡くなられた多くの魂に安寧をお祈りいたします。

この東北関東大震災の連日のニュースを見て、自然の大いなる力に畏怖すると共に、人間に出来る事は一体何なのかと、阪神淡路大震災の体験者として、今一度思い知らされました。
ですが、日に日に強く広がる、人々の支援の心遣いに感動しております。
ヤシマ作戦は関西在住の為、あまりお役に立てそうにないですが、これまで以上に節電に勤めております。
自分にも出来る範囲で協力をと思い、まずは募金を行ないました。




ここからは、あまり言うべきではないのかもしれないので、不快に思われる方がいらしたらすみません。
読み飛ばして下さい。


わたしは何度かブログに書いている通り、阪神淡路大震災を体験しました。
前日に神戸であったイベントに参加して、そのまま泊まらせてもらった兵庫県下の相方Eの家で。
あの後、大阪の自宅から被災したEの家を片付ける為に、再び被災地を訪れた時の事です。
電車が途中までしかなくて、歩いて家まで向かっている途中に炊き出し村があり、通りかかったわたし達にボランティアの人がおにぎりをくれました。
歩き疲れていたし、何より被災地を歩く内に気持ちが疲弊していましたので、有難く受けとりました。
その辺にあったガレキに腰掛けて食べていたら、立派な一眼レフが自分を狙ってました。
ぼんやりとそちらに目を向けると、何枚も何枚もシャッターを切る音が。

たまらなく不快になりました。

少しずつしか口に入って行かないおにぎり。
うつろな気分だった自分が怒りに包まれ、思わず立ち上がっていました。
カメラマンがそそくさと逃げて行くのを見送り、残ったおにぎりをずっと手にしたまま仁王立ち。
何だろう、この気持ちは。
確かにわたしは被災者だけど、被災地に居続ける避難者ではない。
だからこんな思いに捕われるのは違う気がする。
だけど。
勝手に撮られる自分は、ただの被写体じゃない。
実際にあの日、あの時に、あの揺れを、暗闇と炎を見たし感じたのだ。

言い様のない思いに、胸が掻きむしられた。

それからE宅に着いて、家の中を片付けてから再び大阪へ戻ろうとした際、またあの炊き出し村を通ったけれど、暖かい眼差しと共に差し出された豚汁を受け取る事は出来なかった。

わたしより、もっとその一杯を受け取って欲しい人がまだたくさんいるから。

あの時の気持ちは、今も残ってる。
だからテレビで見る被災者や心配する人々の涙に身を切られる思いがする。

凄く自分勝手な意見ですが、
出来れば、
疲れて座り込んだ人にカメラを向けないで欲しい。
勝手で我が儘な考えだと分かっていても、
そうされる事で余計に辛い思いをする事もあるのだというのを分かって欲しい。

でも。
報道されなければ、伝わらない状況があるのも事実。

人間を撮るのは難しい。
生きているから。
その事実が、自分を責めてしまうような感傷を生む。
大事にしたい、たった一つしかない命だからこそ、どうか助かって欲しいと願う。



もう一つ。
今、被災地以外で娯楽に興じる人達を責めるのは間違ってる。
ある程度気を使うのは分かるけど、何でもかんでも自粛するのはどうか思う。
その方法は間違って見える場合もあるだろうけど、日常のエピソードが挟まれる事で緊張が解けて、冷静になる事もあるから。
被災地で望まれているのは、水や食料もだけど、情報こそ最も欲しいと思う。
阪神淡路大震災でもそうだった。
だから、内容がアレでも発信する側は大真面目だったり、受け取る側も「久し振りに笑えて嬉しい」と思う事もあるというのを分かって欲しい。

自分自身がそれらに助けられた事もあるから、余計にそう思うのです。