気持ちのずれを擦り合わせるのは難しい | Facing Forward

気持ちのずれを擦り合わせるのは難しい

先週末頃、きょうだいのひとAと夕食を食べながら「言葉で気持ちを伝えるのって難しいね」という話になりました。


Aの友人に「マラソン選手に“頑張れ!”って言うなんて可哀想、酷いと思う」というひとがいる。

選手はすでに頑張っているのに、どうしてこれ以上頑張らせるようなことをわざわざ言うのか、残酷だと思うからとても自分は言えないという。

その時Aは、そういう考えもアリだと思いながらも同意出来ないでいた。

「頑張ってる姿に感動して応援したいから“頑張れ!”って声をかけるんだよ。

第一それしか言葉が見つからないし、うおーって吼えるだけじゃ伝わり難いと思う」と返答した。

そして「じゃあ代わりに他にどんな言葉がある?」と聞き返した。

その友人は「…“頑張れ”しかない…かな」と、うなだれたそうです。


わたしもついでに考えてみたけど、こういう場合は“頑張れ”以外には、応援している選手の名前を呼ぶとか、ホントに吼え声しかないのかなあ…と。

自分のボキャブラリーの無さというか、リアクションスキルの低さにちょっとガッカリ。

どなたか、何か良い掛け声というか、励ましの言葉をご存知ありませんか。


コスモス

頑張ってるひとに向かって“頑張れ”と言うことは、相手に余計なプレッシャーを与えてしまい、かえって悪いことになってしまうといいます。

阪神淡路大震災の折り、そういったメンタル面のケアについて報道があったことを思い出します。

言われて辛い言葉を、どうしたら言わずに応援できるだろうと考えたひとも多かったはず。

でも、その神戸自身が“頑張ろうKOBE”を掲げて復興を目指し始めた。

“頑張れ”と言う事に躊躇していたひと達も、これで遠慮なく大きな声で応援できるというもの。

でもね。

自分から“頑張る”と言うのは良いけど、他から“頑張れ”と言われるのは辛い…という場合もあるんです。

もしかして、Aの友人はそちら側から見た目線での発言かもしれませんね。


心根が優しすぎて、無条件に「ああなんて可哀想!」と“可哀想モード”が発動してしまうひともいます。

でも、可哀想かどうかは本人が判断する事で、いくらそう思っても口に出す事はどうかなと思います。

同情することが悪いとは言わない。

それを押し付ける事が良くないと言いたい。

本当の優しさとはそういうことじゃない…と思うんです。


頑張れと言われることで、より頑張れる情況というのは確実にあります。

何かを孤独に行なっていて、弱音を吐いて止めたくなった時、叱咤激励されて奮起することは、日常生活にもあると思いませんか。

先週行なわれた東京マラソンの様子を振り返る番組で、参加したランナー達は皆「沿道の人達の声援で頑張れた」と感動したと言ってました。

そういう感想を持つランナーにとって、今回の場合の“頑張れ”は大事な原動力になったわけです。

他には「もう頑張れなんて言わないでー!」と泣きそうになったランナーもいた事でしょう。


人それぞれの価値観、モラルがあります。

それらを受け入れたり、提案したりするのは自由です。

前向きに進むことに繋がる言葉や気持ちは、与えて与えられていくものだと思います。

自分ひとりで何でも解決(=ゴール)出来るわけじゃない。

ただ、タイミングとか色々難しい。

何にも考えずに行くのが良いのか、こねくり回して考えまくって行くのが良いのか。

分からないから、人は言葉を使って思いを伝えるわけです。

「頑張って」って言われて辛いひと、そうでないひと、どちらもいるから。

言ってくれないと分からない事も多いから。

伝える事を止めてはいけないと思います。