告げないでいることも愛情
どうしても気になる言い回しがあって、同僚Hにちらっと聞いてみた。
わたし「部長のさ、ふた言目には“言ってやった”“してやった”っての、何か妙に引っかかるんだけどさ」
同僚H「ああ~、気になりますね~」
わたし「気にし過ぎかなあ」
同僚H「わたしも気になるんで、ハリーさんだけが気にし過ぎではないですよ」
他の職員も気になるらしく、部長が職員を集めて話をした後に「あれ、やめて欲しいよね」「自慢っぽく聞こえる」と後でぼやいてしまう事もある。
実は先週末もそういう事があったばかり。
例を上げると「駅員の態度があまりにも悪かったので説教してやった」という話。
本店からの監査が来ている上に、予定の休暇を取っている職員がいるせいで人手がいつもより足りない職場で、皆殺気立っている午後3時。
何でソレを今話しますかというタイミング。無駄に長い情況説明。
そして何でそんなに偉そうにするのか、その程度の事で。
仕事の手を止めて聞く話ではない。
上司Aが人身御供をかって出てくれたので、何とか職務に戻れたわたし達…。
部長のこういう話し方は、だいたい興奮モードの時が多いかなあ。
何せ彼は瞬間湯沸し器(死語)だから…(^^;
別に「~してやる」事が悪いんじゃなくて、ただ単に「言った」とか「した」等と簡潔に表現出来ないのかと思う。
どこか押し付けがましい、恩着せがましく聞こえる気がするのは何故だろう。
同僚H「でも、わたしも今その気持ち、分かるんですよ」
わたし「してやってるって事?」
うん、と頷きながら、今彼女が入院しているパートナーの世話で思った話をしてくれた。
パートナーは今、聴覚に重大な障害が出ているが、他の器官はまるで健康。
入院中は退屈で、治療以外は殆んどやることが無い。
しかし、やはり将来完治できるかどうかわからない病気なので、ひとりでベッドに寝ているだけで不安が一気に押し寄せてくるらしい。
手伝いに来たHに対して、色々わがままを言うようになった。
「大したことじゃないんですけど」と、苦笑するH。
パートナーの小さいものから大きなわがままを聞いている内に、だんだん「色々してあげてるのに…」という気持ちになってしまったという。
相手を思ってやってる事が報われないという状態に凹んでしまう。
不自由が無いようにと尽くしているのに、何故伝わらないのだと悲しくなる。
同僚H「でもね、これ言っちゃいけないって分かってるんです」
わたし「してやってる、っていう言い方?」
病気でも出来る事をやらないパートナーに苛立って、自分でやれよと言いたくなるのをグッと堪えているだけに、してやるこっちの身にもなれ!と強く思うようになってきたそうだ。
でもある日、パートナーが自分でもわがまま言うのはいけない事だって分かっている様子を感じて以来、それだけは言ってはいけないと思ったそうだ。
自分も愚痴くらいこぼしたいけど、パートナーはもっと辛いんだから。
「それに、やっぱり彼のこと大好きですからね」
だから、ガマンできるんですよ。と照れ笑いするH。
その笑顔に、わたしはぎゅっと胸を締め付けられた。
部長のニュアンスとは違うけれど、「してやる」「言ってやる」という言い方は、「思いやる」の悲しみの表現に思えてきた。
自分に出来る事をやらないでいる相手に対して、やれるようアドバイスしたり、お願いしたり。
偉そうにいう人は除いて、思いが伝わらないのに苛立って「~してやったのに!」と思うのは当たり前なんだ。
大好きだからこそ、いろいろ「してあげられる」んだし、「してあげたい」んだと。
乱暴な言い方を改めたって、突き詰めれば同じ意味だったりするんだ。
愚痴を言ってしまう方も、「あっ言っちゃった」って後悔するんだから。
いつものほほんとし過ぎていたり、モラルにちょっと疑問を感じたりするHだが、人を愛する気持ちをストレートに表現してくれるところは好きだ。
わたし「…最後、ノロケになってる」
同僚H「私も言ってから“あ、しまったぁ”って思ったんですよ~」
えへへ~と笑うHだけど、何となく悪い事を聞いてしまったと思って「立ち入った事聞いてごめんなさい」と謝った。
Hも、「でも、こちらこそ聞いてもらって、少し楽になりました」と言ってまた「えへへ」と笑った。
金曜の夜遅くだったけど、退院したと携帯にメールが届いた。
今朝、退院後の話を聞いたところによると、パートナーの病気は結局、完治に至らなかった。
暫く通院して、有効な治療が見つかったらまた入院する事になるかもしれない。
「長い戦いになりそうなので、ふたりで頑張ろうと焼肉食べて来ました~」
そう笑う顔に力がなかったけど、何だか静かに燃えてるような感じがした。
わたしも、出来る限りの応援をしたいと思う。心から。