大往生
おとうさんの方のおばあちゃんが亡くなりました。
御歳101歳、数えで102歳。
亡くなったのは今月20日だったそうです。
我が家は固定電話がコールされても基本的に出ません。
いたずらや勧誘(商売や宗教、選挙)で嫌な思いをして来たので、本当に用事がある人ならちゃんと留守電にメッセージをくれるはずなので。
ここ最近の衆議院選挙の勧誘電話に辟易していたので、在宅時に固定電話が鳴っても出なかったんですが…
昨日の夜遅くに、おばあちゃんの介護を続けていた叔母から電話があり、在宅していたものの、いつもの勧誘だろうと出なかったわたしたちきょうだい。
叔母のメッセージに固まってしまって、出る事が出来ませんでした。
おばあちゃんは、わたしたちきょうだいの第二の母であり、また、敵でもありました。
戦前戦後の混乱期に、おとうさんを含めて7人の子供を育て、嫁に「旦那(自分の男の子供)に愛人が出来たとしても動ずるな、私は自分の旦那の愛人と川の字で寝て過ごした」と説教する女傑でもあり、田舎料理の達人であり、弱き生命に対して慈愛の精神を持つ如来でもありました。
何故敵かというと、おとうさんのもとを離脱した女の子供であるわたしたちきょうだいに、それはそれは前時代的教育を与えたと同時に、家族の在り方を厳しく示した存在でありました。
甘えは許されない、情に流されたらダメだと。
でも、わたしたちは、おとうさんの葬儀の情景を忘れない。
おとうさんの子であるわたしたちを突き飛ばして、おとうさんの亡骸に抱きついて絶叫した祖母を忘れない。
親を残して先に死ぬ子の不幸を嘆いたあなたの姿は、孫であるわたしたちを通り越して、深い悲しみと憤りに溢れていた。
わたしたちきょうだいは、そのあまりの仕打ちに嘆く事を中断された。
そして、わたしたちは泣く事が出来なくなった。
だけど、だけど今はそれを許せる。
いえ、分かる気がします。
わたしたちのおとうさんの後、次々に叔父達が亡くなってしまった。
おばあちゃん、ごめんなさい。
悲しみは、誰も同じなのに。
自分達だけが悲しいと思って嘆いてごめんなさい。
おばあちゃんにはわたしたちに分からない歴史があったのに。
「私が死んだら、悲しまずに祝っておくれよ」
おばあちゃんの遺言になったこの言葉は、残された子供達に遵守されたようです。
孫やひ孫もいたおばあちゃんでしたが、菩提寺で見送ったのは、おばあちゃんが産んで育てた子供達だけだったそうです。
今日、留守電に連絡をくれた叔母夫婦に電話しました。
10年前から寝たきりになったおばあちゃんを介護し続けた叔父夫婦。
色々大変だったはず。
なのに、無理した明るい声で「線香あげてやってね」と言ってくれた。
わたしは、涙が止まらなかった。
ごめんなさい、そしてありがとうおばあちゃん。
安らかにお眠り下さい。
真似して作る筍の煮物や落花生豆腐、全然上達しないままです。
いつか、いつか、おばあちゃんの味に辿り着きたいです。
本当に、今までお疲れ様でした。
ありがとう。
御歳101歳、数えで102歳。
亡くなったのは今月20日だったそうです。
我が家は固定電話がコールされても基本的に出ません。
いたずらや勧誘(商売や宗教、選挙)で嫌な思いをして来たので、本当に用事がある人ならちゃんと留守電にメッセージをくれるはずなので。
ここ最近の衆議院選挙の勧誘電話に辟易していたので、在宅時に固定電話が鳴っても出なかったんですが…
昨日の夜遅くに、おばあちゃんの介護を続けていた叔母から電話があり、在宅していたものの、いつもの勧誘だろうと出なかったわたしたちきょうだい。
叔母のメッセージに固まってしまって、出る事が出来ませんでした。
おばあちゃんは、わたしたちきょうだいの第二の母であり、また、敵でもありました。
戦前戦後の混乱期に、おとうさんを含めて7人の子供を育て、嫁に「旦那(自分の男の子供)に愛人が出来たとしても動ずるな、私は自分の旦那の愛人と川の字で寝て過ごした」と説教する女傑でもあり、田舎料理の達人であり、弱き生命に対して慈愛の精神を持つ如来でもありました。
何故敵かというと、おとうさんのもとを離脱した女の子供であるわたしたちきょうだいに、それはそれは前時代的教育を与えたと同時に、家族の在り方を厳しく示した存在でありました。
甘えは許されない、情に流されたらダメだと。
でも、わたしたちは、おとうさんの葬儀の情景を忘れない。
おとうさんの子であるわたしたちを突き飛ばして、おとうさんの亡骸に抱きついて絶叫した祖母を忘れない。
親を残して先に死ぬ子の不幸を嘆いたあなたの姿は、孫であるわたしたちを通り越して、深い悲しみと憤りに溢れていた。
わたしたちきょうだいは、そのあまりの仕打ちに嘆く事を中断された。
そして、わたしたちは泣く事が出来なくなった。
だけど、だけど今はそれを許せる。
いえ、分かる気がします。
わたしたちのおとうさんの後、次々に叔父達が亡くなってしまった。
おばあちゃん、ごめんなさい。
悲しみは、誰も同じなのに。
自分達だけが悲しいと思って嘆いてごめんなさい。
おばあちゃんにはわたしたちに分からない歴史があったのに。
「私が死んだら、悲しまずに祝っておくれよ」
おばあちゃんの遺言になったこの言葉は、残された子供達に遵守されたようです。
孫やひ孫もいたおばあちゃんでしたが、菩提寺で見送ったのは、おばあちゃんが産んで育てた子供達だけだったそうです。
今日、留守電に連絡をくれた叔母夫婦に電話しました。
10年前から寝たきりになったおばあちゃんを介護し続けた叔父夫婦。
色々大変だったはず。
なのに、無理した明るい声で「線香あげてやってね」と言ってくれた。
わたしは、涙が止まらなかった。
ごめんなさい、そしてありがとうおばあちゃん。
安らかにお眠り下さい。
真似して作る筍の煮物や落花生豆腐、全然上達しないままです。
いつか、いつか、おばあちゃんの味に辿り着きたいです。
本当に、今までお疲れ様でした。
ありがとう。