境界
この間の日曜日は、毎年恒例の、お寺のお盆会施餓鬼法要に参加した。
おとうさんとおばあちゃんがが熱心に通っていたお寺で、子供の時に何度か連れてきてもらったことがある。
特に信仰する宗教がないわれわれきょうだいが、こうしておとうさんの代わりにお寺に通うようになるというのも面白い話だ。
以前の記事に書いたが、きょうだいのひとAが車を失ったおかげで、去年から電車で通っている。
ちなみにわたしは運転免許を持っていない。それは単に免許取得時間がないとかではなく、運転そのものが性に合わない気がするからだ。
自宅からお寺の最寄駅まで乗り換えなしで約20分、そこから徒歩で20分くらい。
高速道路の道なりに木が豊富な公園というか遊歩道があり、残暑厳しい道行きを涼しくしてくれる。
今年は遊歩道の終点に、もっと涼しくしてくれるアイテムがあった。
わたし「何があったと思う?」
A 「…さあ」
終点には小さな砂場を囲むように点点とコンクリートのベンチがある。
そのベンチからいかにも落ちました、といった感じでブランドショップの紙袋とトートバッグがだらしなく地面にあり、中からCDが飛び出していた。枚数にして30枚近く。そして安っぽいゴールド&ピンク色のメッシュキャップがそばに転がっていた。
正直、この地区はあまりガラが良くない。
地域開発に力を入れてるとはいえ、まあいきなり良い風にイメージが変わるわけではないと思う。
昔から裏なムード満点な人々が集まる所だし、その筋の方達が事務所を構えていたり、目につく周辺ほとんどにラブホが所狭しと乱立しているし。
洋楽のヒットソングとかヒップホップ系のCDが、けばけばしいジャケットだけではなく本体も飛び出したりしてて、実に怪しい。
写真に撮ろうかと携帯を構えかけたが、あまりの禍々しさに手が止まった。
現場保存とかいう意識か厄介事には関わるな精神か、ともかくその場を足早に去ったわれわれチキンなきょうだいである。
お寺に着くと、既にほとんどの座席が埋まっていた。
数年前に本堂を改装したこのお寺は、板張りに直に座っていたのを檀家が高齢者ばかりなのを気遣って絨毯敷にし、パイプ椅子を並べるようになった。
そう、檀家が年をとれば御上人様も同じく年をとるのだ。
法要開始は午後1時。が、年々御上人様が遅れて本堂へ入られるようになり、この日は25分押しってところか。
最初のお経が始まって、途中で参加した檀家の卒塔婆を読み上げてくれるのだが、壁に立てかけられたおびただしい数の卒塔婆の文字が小さくて見えないらしい。お付きの人が手元へ差し出し、ようやくハッキリ読んでいただけた。
集まる檀家ものんびりしているので、開始時間を過ぎてもまだまだやって来る。無くなる座席、増える卒塔婆…クーラーが効かなくなってきた。
御上人様は頑張った。立っているのが辛くなって椅子に座りながらも卒塔婆を読み上げ続けてくれた。
頑張って頑張って、半分以上読み上げたところで…中央の自分のお席に戻られてしまった。
最初は休憩かな?と思ったが、今までそんなことはされたことがない方で、卒塔婆が増え続けても、檀家が半分くらい居眠りするほど長引いても読み上げられていた。その御上人様がお席に戻るなり、次のお経を読み始めてしまった。
まだ卒塔婆を読まれていない檀家衆は「?!」となった。
わたし「え、どうなってるのこれ」
A 「これ読み始めたら、もうお焼香だよね…」
戸惑いからざわつく本堂。皆が顔を見合わせる。
おとうさんの卒塔婆が読まれないまま、お経が響く。世話人がお焼香をどうぞとアナウンスするので仕方なく立ち上がる檀家達。
結局何の説明の無いまま、この日の法要は終わってしまった。
残った卒塔婆は後できちんと読んでくれるだろうと思いつつ、お寺を後にした。
更に少し涼しくなることがあった。
今年だったのだ、おとうさんの一七回忌。来年だとばかり思っていた。
満座供養の支度が出来ないままの参加に、先に来ていた伯母から少しだけにらまれた。
しかし、もっと涼しかったのは、伯父の横に小学校高学年くらいの男の子が座っていて、それが伯父の孫というより息子といった感じであったこと。きちんと紹介される前に帰ってしまったので確かめられないままだが、伯父は10年位前に離婚&再婚しているから計算が合わないこともない。前妻の子供は成人していて、ほぼ絶縁状態らしいので今更孫だけ連れてくるか?
…彼はもしかして一番若いいとこだったのかもしれない。
帰り道、またあの遊歩道に差し掛かった。
散らばったCDが少しだけ片付けられていたが、やはり置きっぱなしである。
ちょっと缶ジュース買いに行くから…ってな感じではないことがこれでハッキリした。
大した事件でなければいいがと思った、暑い夕暮れだった。
おとうさんとおばあちゃんがが熱心に通っていたお寺で、子供の時に何度か連れてきてもらったことがある。
特に信仰する宗教がないわれわれきょうだいが、こうしておとうさんの代わりにお寺に通うようになるというのも面白い話だ。
以前の記事に書いたが、きょうだいのひとAが車を失ったおかげで、去年から電車で通っている。
ちなみにわたしは運転免許を持っていない。それは単に免許取得時間がないとかではなく、運転そのものが性に合わない気がするからだ。
自宅からお寺の最寄駅まで乗り換えなしで約20分、そこから徒歩で20分くらい。
高速道路の道なりに木が豊富な公園というか遊歩道があり、残暑厳しい道行きを涼しくしてくれる。
今年は遊歩道の終点に、もっと涼しくしてくれるアイテムがあった。
わたし「何があったと思う?」
A 「…さあ」
終点には小さな砂場を囲むように点点とコンクリートのベンチがある。
そのベンチからいかにも落ちました、といった感じでブランドショップの紙袋とトートバッグがだらしなく地面にあり、中からCDが飛び出していた。枚数にして30枚近く。そして安っぽいゴールド&ピンク色のメッシュキャップがそばに転がっていた。
正直、この地区はあまりガラが良くない。
地域開発に力を入れてるとはいえ、まあいきなり良い風にイメージが変わるわけではないと思う。
昔から裏なムード満点な人々が集まる所だし、その筋の方達が事務所を構えていたり、目につく周辺ほとんどにラブホが所狭しと乱立しているし。
洋楽のヒットソングとかヒップホップ系のCDが、けばけばしいジャケットだけではなく本体も飛び出したりしてて、実に怪しい。
写真に撮ろうかと携帯を構えかけたが、あまりの禍々しさに手が止まった。
現場保存とかいう意識か厄介事には関わるな精神か、ともかくその場を足早に去ったわれわれチキンなきょうだいである。
お寺に着くと、既にほとんどの座席が埋まっていた。
数年前に本堂を改装したこのお寺は、板張りに直に座っていたのを檀家が高齢者ばかりなのを気遣って絨毯敷にし、パイプ椅子を並べるようになった。
そう、檀家が年をとれば御上人様も同じく年をとるのだ。
法要開始は午後1時。が、年々御上人様が遅れて本堂へ入られるようになり、この日は25分押しってところか。
最初のお経が始まって、途中で参加した檀家の卒塔婆を読み上げてくれるのだが、壁に立てかけられたおびただしい数の卒塔婆の文字が小さくて見えないらしい。お付きの人が手元へ差し出し、ようやくハッキリ読んでいただけた。
集まる檀家ものんびりしているので、開始時間を過ぎてもまだまだやって来る。無くなる座席、増える卒塔婆…クーラーが効かなくなってきた。
御上人様は頑張った。立っているのが辛くなって椅子に座りながらも卒塔婆を読み上げ続けてくれた。
頑張って頑張って、半分以上読み上げたところで…中央の自分のお席に戻られてしまった。
最初は休憩かな?と思ったが、今までそんなことはされたことがない方で、卒塔婆が増え続けても、檀家が半分くらい居眠りするほど長引いても読み上げられていた。その御上人様がお席に戻るなり、次のお経を読み始めてしまった。
まだ卒塔婆を読まれていない檀家衆は「?!」となった。
わたし「え、どうなってるのこれ」
A 「これ読み始めたら、もうお焼香だよね…」
戸惑いからざわつく本堂。皆が顔を見合わせる。
おとうさんの卒塔婆が読まれないまま、お経が響く。世話人がお焼香をどうぞとアナウンスするので仕方なく立ち上がる檀家達。
結局何の説明の無いまま、この日の法要は終わってしまった。
残った卒塔婆は後できちんと読んでくれるだろうと思いつつ、お寺を後にした。
更に少し涼しくなることがあった。
今年だったのだ、おとうさんの一七回忌。来年だとばかり思っていた。
満座供養の支度が出来ないままの参加に、先に来ていた伯母から少しだけにらまれた。
しかし、もっと涼しかったのは、伯父の横に小学校高学年くらいの男の子が座っていて、それが伯父の孫というより息子といった感じであったこと。きちんと紹介される前に帰ってしまったので確かめられないままだが、伯父は10年位前に離婚&再婚しているから計算が合わないこともない。前妻の子供は成人していて、ほぼ絶縁状態らしいので今更孫だけ連れてくるか?
…彼はもしかして一番若いいとこだったのかもしれない。
帰り道、またあの遊歩道に差し掛かった。
散らばったCDが少しだけ片付けられていたが、やはり置きっぱなしである。
ちょっと缶ジュース買いに行くから…ってな感じではないことがこれでハッキリした。
大した事件でなければいいがと思った、暑い夕暮れだった。