先日、瞑想をしていた時の事です。
第1チャクラから第7チャクラまで
順にエネルギーを通わせていました。
そして第6チャクラ
別名:第三の眼・サードアイが
えらくムズムズしてきたんです。
ムズムズ通り越して若干かゆい。
ふぉぉぉ来たか!
これは来たか!
ついに俺もサードアイが開く日が来たのか!
見えないものが見えちゃうのかっ
・・・前髪が眉毛の辺りをコショコショしてました。
一度でいい。
たった一度でもいい
かめはめ波撃ってみたい。
どうも、僕です。
タイトルにも書きましたが
今日は価値観について。
恋人や夫婦が別れた理由に
価値観の違い
とかってよく耳にします。
別れた理由ばかりでなくても
人間関係において
価値観というのはよく聞きますね。
でもこの「価値観」
って言われた時
どんなのかご自身の経験の中から
これだな~ってのはわかりますか?
分かる方は画面をそっと閉じてくださいw
貴重な命の時間を無駄にしてしまうのでw
価値観は「枠」とか「条件付け」
ってな風に観てもらうと分かりやすいかもしれません。
「○○でなければならない」とか
「○○であるべきだ」とか
「○○せねばならない」など。
これ自体は割と皆さんご存知だと思うのですが
どこまでこれに客観的に気付けるか?が
とても大事なのではないかな?と思うのです。
というのも。
価値観とはどのようにして生まれた(持った)のか。
多くの場合
家庭や学校、社会など
集団行動、規律や規則を求められる場ではないかなと。
「個」という自我を
全体に調和させるために律する必要があった。
それを周りの人から教わった、という事です。
それゆえ
価値観の多くは律する事を求めるものです。
「○○でなければならない」
「○○であるべきだ」
「○○しなくてはならない」
そればかりではないですけどね。
代表的に挙げるとこれらが多いです。
こういう話をすると
価値観は悪いんだ!って方に
一気に振れてしまう方もいますが
そうではなく。落ち着いて。
プリーズウェイト。
別に価値観自体が悪いってんではないです。
モラルなどの価値観もなくなってしまったら
犯罪が横行・蔓延してしまいます。
ここで言いたいのは
価値観に支配されている自分に気付けてますか?
って事です。
価値観は支配します。
思考を、行動を。
習慣を、風習を。
分かりやすく言うと
乗っ取られているようなものです。
例えば
何かで友達もしくは職場の同僚と
意見が食い違ったとしますか。
「○○だってみんな言ってるよ!」
「みんな○○するでしょう!当たり前でしょ!?」
はいキター
みんな
みんなって
誰ですか?
うん。ここを突き詰めていくと
そこには誰もいないんですよね。
じゃあ何をもってみんなって言うのか?
っていうと
みんなという部分に常識とか当たり前
一般的にとか世間では・・・などなど
誰でもない存在だったりします。
さっき書いた例などで言えば
「みんなそうだから従いなさいよ」
という事を促している発言です。
そしてそれはその人個人の意見ではないです。
誰でもない存在に支配されているわけですね。
自分の思考を、行動を。
そして発言に責任を持たない形でもあります。
自分ではなくてみんながそう言ってるらしいですからw
組織や集団においては目標を達成するためなど
足並みを揃えたり協調するという事は大切な事ではあります。
でもその価値観で自分は思っている事と違って
葛藤に苦しんだり
親しい人と別れる理由になったりと
マイナスな面も少なからずあると思うんです。
だから
選んでみませんか?
価値観に気付いた時、自分にとって
その価値観が必要かどうかを。
そして価値観を横に置いた自分自身が
本当はどうしたいか?を。
探してみませんか?
思った以上に価値観は根深く息づいています。
価値観に気付きたい人は一度
自分の頭に浮かんでくることを疑ってみてはどうでしょう。
価値観にまみれている事にビックリしますよw
~でなければ
~いけない
~じゃないの?
どうして~しないの?
・ふとした会話の中
・感情が揺れた時
・当たり前過ぎて話すまでもない的な感覚の時
日常会話の大部分が
価値観のやりとりで出来ている事に
驚いてみて下さい。
そして気付けたら。
良かったら探して
選んでみて下さいね。
価値観ではない自分は
本当はどうしたかったのかを。