日に日に暑くなってきますねー。

 

携帯とPCの画像整理をしてたら昔々その昔の写真を見付けましてね。

 

その頃、約10年間くらいずっと坊主頭にしてました。

 

伸びてきたら刈りますよね。

坊主なんで自分でツルッとやってたんですが

 

伸びたやつを刈るならその前に遊びたい。

 

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妖怪アンテナにしてみたり。

遊んでました。

 

そしたらね

 

神の怒りに触れたのか

それとも

髪の怒りに触れたのか

 

最後に刈り残しを一思いにいったろー!

という段階でですね。

 

バリカンが「ガリリッ」と上手く噛み合わなかったのか刈り残しを作りまして。

 

奇跡の髪型が生まれました。

その写真がこちら。

 

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で、楽しくなっちゃったもんですから

その当時入り浸っていたSNSで

 

「問い①この髪型のカット名称を付けよ」

 

なんて投げかけたんです。

今でいう「ボケて」的な大喜利的なノリが好きな仲間たちがいたもんですから

 

「凱旋門」だの「ウーパールーパー」だの

「新時代」だの「コネチカット」だの

(※コネチカットはアメリカの州)

いろんな名前が飛び交いました。

 

激戦を勝ち抜き

最終的に優勝を飾ったのは

 

【砂鉄。】

 

満場一致で納得。

秀逸すぎる名前が付きました。

あ!やめて!U字磁石を近付けないで!

くっついちゃうから!!

・・・どうも、砂鉄です。

 

さて。

ここから真面目。

 

価値観の見付け方

と題打ったわけですが。

 

「あなたはどんな価値観を持ってますか?」

と聞かれて答えられますか?

 

俺?無理ですw

だってむっちゃ多いもん。

 

聞かれて答えるには

挙げるだけ挙げればいいと思うんですが

そもそも答えるにはまず知ってないとですよね。

 

色んな事が絡んでいてかなり長くなるのでいくつかに分けて書いていきます。

良かったらお付き合いくださいね(^^♪

 

価値観を見付ける大前提として。

【この世界は自分が見たいものを見せてくれる】

という事です。

 

この「自分」というところがポイントになります。

いやいや、こんな現実は望んでない!と思う人もいるでしょう。

 

それは顕在意識、自分が認識している意識で観ているからなんですね。

そしてそれは価値観から見ている場合が多いです。

「無意識の部分、潜在意識でのあなた」は価値観から物を見ません。

良いも悪いも判断がありません。

理論理屈・屁理屈・都合なんかも考慮はしてくれません。

ただ、意識下にあるものを現実にして「これでしょ?はいっ!」って出してくるだけです。

 

更にメンドクサイ事に「答えそのもの」として表れるのではなく

ヒントやサインとして引き寄せてきます。

答えそのものではあるんですが、自分の中と擦り合わせる必要があります。

慣れてくると「あ~そういう事か」と解釈して受け入れられますが

なんで?どうして?と理解に苦しむ事が多いんではないでしょうか。

 

対人関係において苦しむ事は大いにあるかと思います。

自分の進む道や人生において悩む事もあるかと思います。

 

例えば。

 

対人関係において。

大人同士ではなまじっか言葉や意思の疎通が取れたり

理論理屈や「当たり前」という常識が入り込んできますから

分かりにくかったり、隠れてしまったりします。

 

では。

赤ん坊やまだ幼い子供、ペットなど言葉の通じない存在だったら?

 

一般社会でまかり通る慣例・常識を

そもそも持っていませんよね?

 

在りのままに振る舞うその姿は強烈に自分の姿を映す鏡になってくれます。

そこに自分の中に入り込んでいる価値観や思い込みに気付くサインが溢れています。

 

!注意!

自分の中に「そうか、こうしちゃってたのか」という物を見付けても良い悪いの判断をしないでください。

むしろその時は「良い悪いで物事を見ている自分」に気付いてください。

「何が良くて何が悪いかを決めないといけない」

「悪い事の原因を見付けて責任を取らなくてはいけない」

誰が決めたんでしょう?

法治国家の社会においては必要でありますが。

さて、個人の内面においてそれはどうでしょう?

 

悪者・犯人を必ず見付けなくてはなりませんか?

それは誰が決めましたか?

具体的・明確に誰でしょう?

 

「みんなそうだから」

「そうする事が普通だから」

「当たり前の事でしょ」

 

突き詰めていくと誰でもなかったりします。

「物事の判断を実体のない何かに委ねている」状態です。

自分で選択して自分自身を進めていきませんか。

 

大切なのは犯人捜しより

今から前へ進む事。

 

選択が出来るようになるには

「自分に選択肢と選択権がある事」を知る事。

同時にこれが他人にも適用される事。

これを邪魔するのが価値観や思い込みだったりします。

 

~続きます~