私の場合、広義には災害のある地域で生活していることになっておりますが、実際の被害といえば、いくつかのガラス製品が棚から落ちたのと、いくつかの電化
製品が故障したくらいで、あとは、ガソリンやら食料が入手しづらくなったり電車に乗れなくなった程度といった、軽微なものに留まっています。
被害、というより、いささか不便になった、という程度で、もちろん義援金など受け取る側でもなく、むしろ提供する側と認識しています。
そんな思いではありますが、といって景気がよいわけではなく、子供の小遣い程度しか寄付は叶いませんので、私の行為を記事にすることもいたしません。
さて、この数日間、あちこちで、義援金の話を耳にするようになっています。
個人から、企業、自治体、非営利団体、芸能人、スポーツ界にまでおよび、さまざまなネーミングで義援金を募っています。
もちろん、寄付をする方々の志は立派だと思います。心から賛同します。
そしてまた、募る側の個人や団体も、苦しんでいる方を救いたい、という純粋な気持ちから発したものだと思いますし、素直にそう信じたいです。
しかし、あまりにも多くの窓口が存在することに、意味があるのでしょうか?
義援金を募る団体がいくつかあり、それに募集するための宣伝目的で、著名人が窓口を担う、というのなら分かりますが、その窓口の多くが、独自のルートでもって被災地に義援金を届けるような表現しています。
もし、それが本当なら、存在する多くの窓口分のルートとして、誰かが現金や、現金から変えた物資を持って現地に足を運ぶ、ということになります。
義援金や物資を必要とする被害の地域が広範囲にわたっていますので、一つや二つでは足りないというのは理解できますが、あまりに多くの窓口=ルートが乱立しているように見える現状は、本当に有益なのでしょうか?
受け取る側にも戸惑いがあるかもしれません。
こういう見方はしたくありませんが、善意を利用した売名行為がちょっと働いているような気がして、なにかしらの不快感を払拭しきれないのです。
受け取る側の気持ちは想像の範囲でしかありませんし、実際に受け取る人がどう思うかによって意義は変わるのですが、ルートは最小限に留めるべきではないのでは?という気がします。
とはいえ、もちろん売名行為があろうとなかろうと、そこにいやらしさがあろうとなかろうと、集まった分が全て被災者側に反映されるのなら、それは喜ばしいことです。
どうか、寄付をした人たち一人ひとりの思い遣りが、本当に必要としている被災者の全てに行き渡りますように。