たまたま見た旅行会社のHPに載っていた格安ツアーに飛び込みで申し込んだのですが、かなりの強行スケジュールでした。
二泊三日のうち、那覇市から名護市までという広範囲を、下車観光14箇所という、弾丸ツアーでした。
順を追って紹介します。
午後2時過ぎに那覇空港に到着。
到着ゲートを越えると、添乗員の女性がツアー客を集めていました。
# お!添乗員びぢんさんだ、ラッキー♪(←死語)
安かったからかw、人気のツアーとなったらしく、観光の大型バスは満席でした。
到着日の観光は、那覇市周辺の下車2ヶ所。
一つ目は、太平洋戦争終盤における悲劇の場、ひめゆりの塔。
沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑で、当時、負傷兵の外科的治療を行う目的で看護訓練によって作られた女子学徒隊、通称「ひめゆり部隊」の悲惨な現状を残した施設です。
その壕はこんなところです。
アメリカ軍は、この壕が外科病棟であることを認識した上で、毒ガスによる攻撃を仕掛けたのだそうです。
記念館内は撮影禁止でしたので写真はありませんが、ひめゆり女学院の歴史や風紀、その現状などが、写真や、日記、実際の資料用具などと共に展示されていました。
自由時間が30分程度でしたので、じっくりと資料を読む時間はありませんでしたが、いくつか目を通した生徒たちの日記などから、戦争の悲惨な実状が浮かんでくるようでした。
反戦に対しての大げさな感情こそ生まれませんでしたが、「戦争は悲惨だからやっちゃいけない」などという軽々しい言葉ではまとめてはいけない、重さと厚さを感じました。
それほどまでに、深く、暗い、陰惨な印象を受けました。
次に向かったのは、那覇市から沖縄本島を東へ横断し、東海岸沿いの平和記念公園。
広大な敷地のほぼ中央に、象徴である平和を祈念する塔が建ち、やや離れたところに、沖縄本島で戦い、亡くなった方の名前が彫られた石碑がいくつも建っていました。
石碑は撮影失敗しましたが、出身の都道府県別に分けられているようでした。
それらの石碑を超えると、その先は海です。
崖っぷちで記念撮影でも、と思って振り返ると、親父の姿がありません。
少し戻ってみると、栃木県と書かれたあたりの石碑を真剣に見ていました。
お袋曰く、私の祖父母の兄弟で、戦争から帰らなかった人たちがいるので、ひょっとしたらその名を探しているのではないか、との事でした。
石碑から戻ってくる、笑うでも悲しむでもない親父の表情からはしかし何も読み取れず、そして、そのことを問わせぬ空気が、周囲に漂っていました。
それ故、本当の理由を訊く事は叶いませんでしたが、
『沖縄に行きたい』
今回の旅行の切っ掛けとなったこの呟きの理由は、ここにあったのかもしれません。
ここまで回って、時間は夕方の6時。
その時間にしてはずいぶん明るい気がしていましたが、考えてみれば、関東よりずいぶん西にあるのですから、日が沈むのも遅いんですよね。
それでも、那覇市に戻ってきた7時頃は、すっかり真っ暗です。
これから那覇市の夜の街、国際通りの店での夕食タイム。
夜の街だけあって、こんなのもいましたw。がおー。
この日の夕食はツアーに組み込まれているので、添乗員の旗振りの元、入り口に程近い店、
サムズアンカーイン に向かいました。
ステーキのお店・・・入れ歯の親父にはキツイかと思いきや、意外と喰ってくれましたので、安心しました。
グループ毎にテーブル分けされて、目の前で焼いてくれるんですよ。
カクテルバーよろしく、コショウのカンをクルクル回して、で、ちょっと受け損ねて落としたりして、小技を見せながら、見せるレストランでしたねぇ。
もちろん味も、うまかったっす。
味にうるさいオヤジが喰ったくらいですしw
あ、そういえば、国際通りの入り口にある、那覇市役所前の広場で、音楽祭イベントをやっておりました。
沖縄国際アジア音楽祭だそうで、最終日のイベントだったらしいです。
映画祭と並行してやっていたんですかねぇ?
特設ステージで演奏するグループの音楽が耳に入ると、添乗員が呟きました。
「このバンド、沖縄では有名なんですよ」
「あ、そーなんですか・・・なんてバンド名なんですか?」
「・・・知らない^^;」
「・・・え
」「し・・・CMで流れているんですよぉ~
」そう言い訳の姿が、可愛かったのであります。
んー、一回の更新で済ませようとしましたが、無理ですね。。。
このペースだと、あと4回かな・・・。
盛りだくさんツアーだのでした。
今日はここまで。