なんかさ~

「一人前の人間」

「大人の人間」って

人のために

なることをするとか

 

役に立つとか

 

色々なことがこなせて

 

与える側の人間に

なりなさい

 

ってことを求められたり

 

直接は言われなくても

与える側の人間に

なるべき

 

っていう「謎の圧力」を

感じたりすることがある

※他人じゃなくて

実は自分自身で

謎の圧力をかけてる説も

ある??

 

 

確かに

精一杯努力して工夫して

人の役立つことが出来て

与える側の人間になって

うまくいく人もいる

 

わたしもそういう

人に役立つことが出来て

与える側の人間に

なりたい、ならなきゃって

 

なんかもがいてた

一生懸命努力してた

 

でも不器用で

要領も良くないわたしには

無理でした

 

ああ、カッコ悪っ

 

 

だけど、人の役に立つことが

出来て与える側の

人間も当然

大事っちゃ

大事なんだけど

 

なんだけど

 

 

与える側の人間が

いるならば

与えるものを

受取る側の人間も

必要というか

 

受取る側の人間は

気持ちよく受取る

練習をするために

今この瞬間を生きている

のかな?とも

 

最近思ったりする

 

ただし、与える側の人に対して

当たり前に

ちょうだい、ちょうだい

なんでもおくれ、おくれ

って要求しまくるのは

当然論外

(何か物質的な物が

 欲しいことだったり

 何かに対しての

 明確な「答え」や「正解」を

 「すぐに」

 「その場で」

 求めることね)

 

そうじゃなくて

 

 

与えられたものを

しっかりと気持ちよく

受取る姿を見ることで

与えた側も気持ちよい

気分になれれば

結局win-winなのかなって

 

最近は自分が与える側の

人間になるのだああぁ

ならなければ

ならないのだああぁと

ガムシャラに

努力するよりも

 

与えられたら

気持ちよく受取ったほうが

なぜかうまく

いくことが

多いように感じていた

 

何か少しくらい損していたり

遠回りしているように

感じていたとしても

 

結局自分の信念を

しっかり持っている

ことで自分自身で

楽園は創れるように

思える

 

そんな3月の

気分でしたっ

 

くろーでぃあの

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