当時小学生だった

わたしはニュースを見て

衝撃を受けた

 

1985年8月12日 18:56

日航123便墜落

 

一般的には

”事故”と言われているが

事故とは書かない

 

ただの飛行機事故では

無いからだ

 

 

そもそもこの飛行機に

墜落するほどの

不具合があって単独で落ちた

わけでも無い

 

一般的というか公式では

墜落をする前に

過去に尻もち事故を起こしていた

機体であり、その際の

修理が不十分という

ことになっているようだが

 

その墜落理由について

疑問を持っている人がいた

 

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数年前に

「日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」

という本を買って読んだ

(amazonでは2017年に

買ったと記録が残ってた)

 

この本は日本航空の

元客室乗務員が書いた

本であり

123便には著者の先輩たちも

乗務していた

 

著者は亡くなった方々に対して

自分にできることは、と

目撃情報や資料を

長年にわたって集め

丁寧に資料を読み返し

書かれた本である

 

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この本には

公式で言われている

墜落原因とは

かけ離れた内容が

書かれていた

 

墜落する直前の飛行機が

低空飛行で飛んでいて

飛行機のお腹の部分に

赤いものがついていたこと

 

その後ファントム二機が

飛んでいったと

複数の目撃証言があることが

書かれていた

 

”赤いもの”とは一体何なのか

 

後から来たファントム二機は

何をしていたのか

 

大人だけでなく墜落現場の上野村の

小学校、中学校の子供たちにも

多数の目撃者がいて、かつ

文集としてまとめられ

残されてまでいる

 

そして18時56分に飛行機は墜落

 

墜落場所は

周辺の地元民たちはすぐに場所が

分かったのに

テレビやラジオでは場所が

分からない分からないと

放送し続けていたり

 

テレビ局に電話して墜落場所を

はっきりと伝えた人までいたのに

テレビでは他の場所の地名を

報道し続けていた

ということがあったようだ

 

 

墜落場所は当日の時点で

地元民たちにとっては明らかなのに

結局救助に向かうことができたのは

翌朝になってからだった

 

墜落直後には

多数の生存者もいたという

 

すぐに救助に向かうことが

出来たならば…

助かる人ももっと多くいたはず

 

だけど墜落直後に

助けにいくことが出来なかった

許されなかったことに

ついてのいくつかの証言も

この本には書かれている

 

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この本には

墜落直前の飛行機の後ろに

ファントム二機がいた

ことは書かれているが

 

結局の所

誰の指示によって

のものかは分からない

 

 

本当のことは

これから

明かされるだろう

 

本当のことが明かされる

まで忘れ去っては

いけない事件なのだ

 

この本の帯には

「日航123便はなぜ

墜落しなければならなかったのか」

と書かれている

 

 

本当になぜなのか

 

 

この飛行機の墜落の

真相が明かされる日を願う

 

 

 

 

 

※コメント欄は閉じておきます…。