こんな時友達が欲しいと思うのですが、今の生活ペースに付き合ってくれる都合のいい人などいません。
むしろこのペースに付き合う人がいたらフェアな関係とは言えないから友達ではないな。
そんなときどうしたら良いのだろう。孤立した心持ちで休日の時間が過ぎる。
すべての時間が細切れになって、全てが不満足な状態になるのも、大人ならではの現象なのかもしれない。
そういう意味では30半ばくらいまでは、常に体をストレッチするように自己表現に懸けてきた。筋肉を伸ばしきったサインを自身の痛覚で受け取った時、物事が切り替わるべきだと認識できる。つまり全ては自分で知り得るものだった。
ひるがえって今はどうだろう、自分の知らない場所で刻々と場面転換が起きては、そこで求められている自分はさっきとは全く違うもの、その繰り返し。
自分がひとつひとつの時間で何をなしたか、何者になり得たか、全体的によくわからないまま断絶してしまう。
記憶の時系列は細かいぱっと見意味不明なモザイクアートになって、自分の生活を振り返ったときに落胆、絶望する。
モザイクアートよろしく、遠目にそれがなにか巨大な絵画になっているのだとしても、それを俯瞰し て予言してくれる友達はいない。
きーぼーど まっけん

