原作:ミシェル・ウエルベック
監督:オスカー・レーラー
原作の小説は、「素粒子」(筑摩書房/訳:野崎歓)。
世界30ヶ国で翻訳されている大ベストセラー小説、だそうです。
本に関しても、映画に関してもまったく予備知識が無かったので、
あまり期待せずに借りた映画でしたが、予想外に「見入った」映画でした。
原作が出版された当時は、スキャンダラスな性描写などで、
フランス文壇で論争が巻き起こったそうですが、
(というか、『スキャンダラスな性描写』って、今のご時世どういったモノを指すのかよくわかりません。アブノーマルな関係や、タブーとされる性描写は、あらゆる分野のメディアで、ほとんど表現し尽くされているような気がするんですけど・・・。その点に関しては、ノーマル?って思ったので、「スキャンダラスご希望」の方にとっては退屈かも♪)
動物としての人間の欲深さや、優しさ、他者を慈しむこと、なんかが丁寧に描かれていて、
見終わったあと、不思議とおおらかな気持ちになれたように思います。
登場人物は皆、中年の男女で、それぞれ屈折した経験や、コンプレックスを抱いていますが、
普通の職業につき、普通の男性、女性として日々を送っています。
ただ、一見普通に見えると言っても、やっぱり大人はそれぞれ、
多かれ少なかれ、
他人に言いたくないような過去、
言えないような過去、
忘れ去りたいような過去、
事あるごとに思い出しては、自分で自分を傷つけてしまうような過去、
を持っていて、
皆、「かさぶた」で体を覆うような想いで、日々を生きているんじゃないかと思います。
知らず知らずのうちに、
髪の毛の一本一本が傷んで絡まっていくように、
思い出すたびに胸が苦しくなるような過去の数々が、
現実に対処していくうちに複雑に絡まって、
ある時、「いびつ」な大人になっている自分に、ふと気づくことがあるんじゃないかと思います。
でも、
そういうふうに歪められたり、捻られたりした経験が多い人間と人間の出逢いほど、
かたく複雑に絡みつき、たくさんの結び目によって分かちがたいものになるんじゃないかと思います。
その結びつきが、幸せなものばかりとは限りませんが、
それこそ、物質の最小単位レベルの「素粒子」どうしの結びつきのように、
誰にもどうすることもできないうちに、
残酷なまでに優しく結びついてしまうんじゃないかと、思います。
「運命」と少し似ていると思います。
でも、この「素粒子」は、
「自分のためだけに存在しているのではない自分」という存在、
「愛する人といつか絡まり、分かちがたく結びつくために生きている自分」という存在、
そういう「自分」をもう一度信じてみる「勇気」と同義であり、
「勇気」は「運命」に左右されないと、思います。
この映画のコピーは、
