今年最後の一冊は、城山の名著落日燃ゆ。右傾化甚だしい戦時中の日本にあって、一人外交努力による解決を目指した男、広田弘毅。最終的には、A級戦犯として裁かれたものの、その戦犯として裁かれるべきであったかは今となっても分からない。
「自ら計らわぬ」という生き方は、東京裁判ではマイナスに働いたといわざるを得ないが、人生の大先輩として尊敬すべき生き方であろう。人間は思わず功名心に走る傾向にあるが、大局を見極め、流れに従いながらも、正しい道を志向する、これこそが必要なことであろう。

本日の日経新聞において、「1931年からの警鐘」という論説が出ている。平面が右に移動したした中で(右傾化)国を立て直すのが阿倍首相の来年の政策課題という結論であるが、その中で、「昭和6年秋から1、2年の間に日本社会はなだれをうって右側に移動した」という記載があるが、この中で一人右側に移動せず、必死に日中関係の維持に力を発揮していたのが広田弘毅であったのは間違いない。阿倍さんはどんな付き合い方をするのでしょうか。ナショナリストであり、リアリストであるという論評どおりに行くかを見守りたいものですね。

以下、本文からの抜粋メモです。

広田の特徴の一つは、早くから、先輩や仲間との交わりを深め、互いに啓発し、知恵や情報を吸収しあって生きていこうと努めたことである。

山座の教えどおり、中国問題は大切である。そして、表に出ないところでも外交官は行動すべきである。

二人の死を契機に、いよいよ人生に対して淡白な姿勢をとるようになり、「自ら計らわぬ」という生き方が身についた。

君の考え方は、まだ若いよ。人間短所を見たら、どんな人間だってだめだ。逆に長所を見て使うようにすれば、使えない人間はいないんだ。

それぞればらばらに出先に引きづられるのでなく、ある程度のことを言わせておいた上で、原則なり基準なりという大枠をはめていこうという考え方でもある。

広田が無欲な「物来順応」なら、松岡は功名心に燃えていた。

外交上の危機というものはも、1回限りので考えるべきではなく、再三再四繰り返す中にはじめて相互の理解に達する。一度談判が行き詰ったからといって、直ちに開戦すべきではない。

この裁判で文官のだれかが殺されねばならぬとしたら、僕がその役をになわねばなるまいね。

アメリカは常道を行く国である。ロシヤは社会の大きな変動の上に乗っている国ですからね。将来は、ロシヤを中心として、世界の変動がどうなっていくかということが、一番の問題でしょう。

日本のどこかに、静かに世界の動きを見る人がなければなりませんね。この忙しい時代に一々世界の動きなど考えている人はないから。