私が使える言語は日本語、韓国語、(読みと聞きだけ強化した)ドイツ語。

ニュアンス理解なら、日本語は特殊なもの以外ネイティブ、韓国語なら日常的なものは日本語よりちょっと劣るぐらい(?)、ドイツ語はストレートにきてくれないと読み切れない感じ。

 

哲学関係の本を読んでいるとき、ときどき日本語で意味が取れないことがある。

おそらく、日本語ネイティブだからこそ、表現の仕方にこだわりを感じたり注目してしまったりしすぎてしまって、それが思わぬぬかるみで、抜けられなくなってしまうのではと推測している。

例えば、これは適切な例ではないけど、「見れる」「見られる」って書いてあったとして、「見れる」は「見ることができるんだね」って思ってたけど、「見られる」ってなったときに「見ることができる」か「(誰かに)見られている」のどっちかとか、別の可能性を勝手に読み取ってしまって、なんでわざわざ「見られる」って表現(翻訳)になってるの?、特別にこの言葉にだけあるもともとの意味が翻訳の裏に隠れてるの?、って無駄に沼ってしまう。

そうなってきたら、もう日本語はストレートな理解のうちにいられなくて、悶々としてしまう。

 

そんなときには、他言語で訳された同じ本を読むといいの。

日本語ではすごい複雑に表現されていた一文が、他の言語だとめっちゃシンプルに書かれていたりする。

Kindle版だったら運がよければ数百円で手に入ったり、Unlimitedに加入していたら無料感覚でアクセスできるから、このやり方は本当にオススメ。

入学したての頃に、こういう勉強の仕方を知っていたらよかったのにって思う。

時間をかなり遠回りに使ってしまったな。

自分でもがきながら乗り越えるしかないから、通信は孤独だよね。

こうしてればもっと早かったのにって気づいたこと、今さらながらそれなりにある。

1年目2年目は試行錯誤、3年目からようやくコツがわかってくる感じ。

通信あるあるなのか、私だけなのか?

視野の広さが必要なんだよね。