今回は宗教学基礎購読 夏期スクーリングについて書きます。

あくまでも私が受講したときの内容であり、担当教授によってかなり講義形式は異なると思われますので参考になるかどうか……。

 

〔概要〕

・宗教学基礎購読(夏期スクーリング2期)。

・オンデマンドによる講義、全15回。

・受講期間 7日。

・スクーリングのため、受講までの決められた期間に1万円を大学に納入。

 

〔講義の特徴〕

・教授の自宅で撮影された講義を視聴。

・授業は事前に配布されたPDF資料を用い、教授が作成したスライド画面に合わせて行われる。

・細やかなフィードバック。

 

〔成績評価対象〕

・小テスト1回。

・リアクションペーパー(講義内容に沿った200~400字程度の記述)2回。

・課題リポート(2000字程度)の提出。

 

〔小テスト、リアクションペーパーの内容〕

①小テスト「ブッダの生涯と原始経典の成立と分類」穴埋め問題。

②小部・相応部・中部経典の内容を踏まえた感想コメント。

③長部経典の内容を踏まえた感想コメント。

 

〔課題リポートの内容〕

・講義全体の内容を踏まえて、各自で関心をもったテーマ、書きたいテーマを自由に設定しリポートを作成せよ。

 

〔私見のあれこれ〕

・原始仏教は未知の世界すぎて(もともと仏教にうといです……)、事前学習にすべてがかかっていると言えるほど力不足なスタートでした。

・「ダンマパダってなに? スッタニパータってなに!?」って思っていたところから、「あ、仏教もいいなぁ。わかると面白そうだなぁ」になっていく体験は楽しかったです。 

・そして楽しみを味わった一方で、基礎知識ほぼナシからの自由度高めリポートは正直、難しかったのが率直な感想です。何を書けばいいのかわからなくて、自分が何を知りたいのかもわからなくて、どんな本を読めば、自分の知りたいを補ってくれるものが書いてあるのかもわからなくて……精神的によくない1週間(ヒヤヒヤ週間)でした。

 

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〔私が提出した課題〕

1.はじめに
 本リポートでは、『大般涅槃経』でブッダが涅槃に入られたのち、葬儀はどのように行われたか、また、在家信者たちに分配されたブッダの遺骨を祀るストゥーパについて思うところを述べる。
2.ブッダの葬儀
 鍛冶工の青年チュンダに招かれ、最後の食事をしたブッダが涅槃に入られる前に、25年間を常侍の弟子としてともに過ごしたアーナンダは、涅槃後のブッダの遺体をどのようにすべきかブッダ自身に尋ねた。すると、ブッダはこのように答えている。
「アーナンダよ。汝らは如来の遺骸の供養に従事するに及ばない。汝らは自己の目的のために努めよ。自己の目的に怠らず熱心に専念しておれ。如来に清らかな信仰をもつクシャトリア・バラモン・資産家の賢者たちが、如来の舎利供養を行うであろう」
 そのあと、葬儀については転輪聖王にならって行うよう伝えている。転輪聖王は古代インドの伝説上の理想的国王のことである。転輪聖王にならった葬儀の内容は、まず遺体を綿の布で500重くるみ、棺におさめる。次に鉄の棺に香油を満たし、棺も二重、三重とかさね、火葬堆をほどこして荼毘にふす。火葬のための薪には香木を用い、香乳を注いで火を消す。荼毘にふす間、音楽を奏で、華を散じる。ブッダの葬儀もこれにならって行われたが、火を消す際に香乳は注がれず、虚空から落ちてきた水や地下から自然に湧き上がってきた水が火を消したとされている。また、ブッダはアーナンダに火葬したあとに残った遺骨について、ストゥーパを建てて納めるようにとも言付けた。ストゥーパを拝み舎利供養を行うことは在家信者たちに任され、ストゥーパを拝む者は天に生まれることができると説いた。
 ブッダの葬儀はアーナンダの指揮のもと、クシナーラーに住むマッラ族の手によって行われた。マッラ族は沙羅双樹に赴き、舞踏や音楽、華や香による供養をほどこし、ブッダの遺体をマクタバンダナ・チェーティヤに運んだ。到着後、ブッダの言葉どおり転輪聖王にならって火葬の準備を整えたが、荼毘にふすとき、薪に火を点火しても薪が燃えなかった。ブッダの重要な弟子のひとりであるマハーカッサパが遠方におり、まだ到着していなかったからである。ブッダの葬儀が無事に終わったのち、周辺の部族の長たちはブッダの遺骨の分配を受け、それぞれの地でストゥーパを建てた。ブッダの遺骨を分配された部族は、マガダ国のアジャータサットゥ王、ヴェーサーリーのリッチャヴィ族、カピラ城の釈迦族、アッラカッパのブリ族、ラーマ村のコーリヤ族、ヴェータディーパのバラモン、パーヴァーのマッラ族、クシナーラーのマッラ族の8部族である。遺骨の分配に間に合わなかったピッパリ林のモーリヤ族は灰を持ち帰って「炭塔」を建て、遺骨を分配する仕事を受けもったドーナという名のバラモンは、遺骨の量を計るために用いた瓶をもらい、自国に帰って「瓶塔」を建てている。
3.ストゥーパとは
 ストゥーパについて、現在ある最も古い形式を保持する完全なものは、およそ紀元前1世紀頃に建てられたインドのサーンチーの大塔である。ストゥーパの主要部である半円球の部分は覆鉢(アンダ)と呼ばれ、その下に基壇(メーディー)が置かれている。アンダは卵を意味し、宇宙万物が生成されるところ、すべての生命が生み出され創造されることを表す。また、メーディーには犠牲や知恵を意味するメーダという言葉が起源であるとされている。ストゥーパは「仏塔」や「舎利塔」など様々な別名を持ち、インドやタイ、スリランカのみならず、形式は異なっているものの中国や日本でも見ることができる。
4.まとめ
 ブッダはアーナンダに対し、「汝らは如来の遺骸の供養に従事するに及ばない」と述べて修行に励むよう促し、仏舎利の供養は在家信者に任せたかたちになっているが、本当に比丘たちはストゥーパを拝まなかったのだろうかという疑問が私に浮かんだ。そこで、ストゥーパについて書かれた書籍を読み比べてみたいと思ったが、多くを手に入れることが難しかったため、今回は杉本卓洲博士が著した『ブッダと仏塔の物語』を参考にした。
 先ほど世界遺産でもあるインドのサーンチー大塔について少し触れたが、サーンチー大塔には碑文が刻まれており、「阿羅漢」や「和尚」と呼ばれている者までが寄進者になっていると書籍には記されている。サーンチー大塔はブッダのストゥーパではないので、ブッダの教えをよく聞いていた比丘たちがストゥーパを崇拝したということにはならないが、原始仏教が出家信者と在家信者の二層構造によってそれぞれの役割を明確に区別していたとしても、ストゥーパに対する崇拝はどちらにとっても信仰の表れであり、完全に区分することは難しかったのではないかと思われる。