今日は重い話題です。
6月24日に船戸結愛ちゃんのアパートに行ってきました。
事件の発生は3月2日ですから、随分と遅れて行ったことになります。
でも、「行かなきゃ、行かなきゃ」と思っていました。
いまと昔はしつけの概念が違うのは承知していますが、私も暴力のある家庭で育ちましたので、結愛ちゃんの事件は他人事には思えなかったのです。
結愛ちゃんが住んでいたアパートには3ヶ月以上経っているのに、生活感が残っていました。
まだ引き払われていないのでしょう。
そしていまなおお菓子が供えられていました。
空腹で亡くなった結愛ちゃんにせめてお菓子でも食べさせてあげたいという人がいまもいるのでしょう。
私はそっと花を手向けてきました。
さて、双極性障害という病気ですが、先天性なのでしょうか、後天性なのでしょうか、私にはよくわかりません。
ただ私の無力感は幼少のころからありました。
父親の暴力や怒りにはどうにもなりません。
おびえる、いいなりになる、ご機嫌をうかがう、いい子になる、泣かない、笑わない、しゃべらない…。自転車の補助輪を外すのも、時計の読み方も体罰と引き換えに覚えました。
ここで統計です。
知っていましたか? 先進国と呼ばれる日本では平均して1週間にひとつの幼い命が失われていることを。
一年あたり約50人。
命は落とさなかったものの、幼少期に受けた暴力の影響は大人になってからも続きます。
結愛ちゃんの死は社会の責任です。
民度という言葉は好きではありませんが、乳幼児のウェルビーイングにいま以上に焦点があたり、すべての子どもが安全で幸せな幼少期がすごせるよう、祈らずにはいられません。
結愛ちゃん、ごめんね、何もできなくて。
私たちは十字架を背負って歩いていきます。