普通、日本人であるボクらは因果応報つまり良いことをすれば報われる、悪いことをすれば
しっぺ返しをくらうっという風に「因果律」で考えていますよね。

だからみんな仕事を頑張っている。

でも、誰でもが「報われて」いるというわけでもない。

これって何故なんだろう???

ちょっとここで慣れ親しんだ因果律から離れて【予定調和】的に考えてみましょうか。

予定調和説とは元々ライプニッツ が案出した空間を説明するための概念で
「宇宙は互いに独立したモナドからなり、
宇宙が統一的な秩序状態にあるのは、神によってモナド間に調和関係が生じるように
あらかじめ定められているからである」という考え方です。

これはとてもキリスト教的な考え方で、つまり「誰が救済され誰が救済されないかは
神がすべて決めている」ということになります。

で、この「誰」のことですが、人間には全く知らされない。

善き行いをしている人間が神の熾烈な試練を受けることは旧約聖書にも記述があります。

そしてこの「誰」を知ることができるのは、神の「審判の日」だとされています。

なのでこのJudgement Dayはよくアメリカ映画なんかでよくテーマにされて
いますね。

それほど欧米人はこの日を気にしています。

では、人間にはまったく救いはないのか?

いえいえそうでもありません。

「現世において神の救済」を証明できれば、人は救済を得たと確信できる。

だから欧米人がよく働くのはこの「証明」のためとも云えますねぇ。

そこで提案 (^_^;)

日本人であるボクらも一度【予定調和】で考えて行動してみたら
どうだろう??

幸いボクらの世界には絶対的な「神様」はいらっしゃらない。
ある意味おせっかいな「押し付け」られた未来の呪縛はないといえるでしょう。

ならばその【未来】はボクらが創って自分に押し付けたらどうなんでしょうか。

そう、「ボクは幸せになる運命にある」と。すくなくとも幸せになる「べき」だと。

幸せの形は人それぞれです。

あとはそれぞれの想像力のなせる業。

心理学は人を分析し、その人の生まれ育った環境や遺伝などの素因を追求し
いわば「過去から突き出された」人格を研究するともいえます。

しかし、学者先生にボクらの明日は決められません。

で、たぶん日本人であるボクらは神様にも決めてほしいとは思わないと思う。

アダムとイヴが楽園出て以降、少なくともひとつの果実は得ました。

「想像力」イマジネーション

これを持つものが少なくとも「救済」の証明はできてきたのではないだろうか?

もちろん、いまが「到達点」ではないとはいえる。

天国はまだ遠いのかもしれない。

しかし、【あるべき】未来へ引き寄せられる人生を思い描くことはできるのではない
だろうか。

これを読んでいるみなさんも、自分のあるべき未来を引き寄せられてくださいね。

あぁ、ここまで書いたボクは審判の日にどこにいるんだろうか???

2015年小島×土屋ビジネス講演会
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