劇場版「コード・ブルー」の公開に合わせて、今月いっぱいTVerで過去に放映されたテレビドラマ版が無料配信されています。
ドクターヘリに搭乗する若いフライトドクターやフライトナースたちの成長物語で、2008年にシーズン1、2010年にシーズン2、そして2017年にシーズン3が放映されていたらしいのですが、テレビを観る習慣がなかった僕は、当時そんなドラマがあることすら知りませんでした。
それをたまたまTVerで見つけたので、シーズン1から通して観ているところです。
なかなか面白いドラマで、一日一話ずつ楽しみに観ているのですが、シーズン2の途中でフライトナースの恋人が、元は外科医で、若くしてALSを発症したという設定で、車椅子に乗って登場します。そして、ドラマの中で病気が進行していき、将来に絶望し、一切の延命措置を拒否し、呼吸困難によって死んでしまうという物語になっています。
ドラマでは、ベッドサイドに僕が使っているタッチセンサーのナースコールがセットされていたり、「呼吸が弱くなると、血液中の酸素濃度よりCO2濃度が問題になる。」なんてセリフがあったり、実際に体験してきた僕にとっては、それなりにリアリティーを感じる内容になっていました。
さて、僕が今回考えさせられたのは、なぜ彼は延命措置を拒んで死を選んだのか?ということです。
ドラマが放映された2010年当時も今も、ALSの治療法の確立どころか、原因究明すらできていない状況は変わっていません。
今でも、日本では、患者の7割は人工呼吸器を装着することなく亡くなっていると言われています。もちろん、それぞれの患者を取り巻く状況は異なるので、その判断も異なるのはやむを得ないと思います。
また、現在の研究の現状を考えれば、遠くない将来において、病気の進行を抑える治療法はできそうな気がしますが、すでに病気が進行してしまった患者の身体を元に戻すような治療法の確立は、僕が生きてる間には間に合わないでしょう。
そういう意味では、将来に希望を持つのが難しい状況は変わっていません。
僕自身も二年前の今頃、漠然とではありましたが、「寝たきりになって、延々とベッドに縛り付けられる生活を続けるより、死を選ぶ方が楽でいいのではないか?」と考えたこともありました。あの頃には、人工呼吸器をつけて生き延びたとしても、いったい何ができるのか想像がつかなかったのです。
ネットなどを通じて、ALS患者でも家族や支援者のサポートを受けて旅行に行ったり、コミュニケーションツールを使ってメールのやり取りをする人がいることなどは知っていましたが、リアリティーを感じなかったし、自由を失った生活に楽しみがあるとは到底思えませんでした。まさか、視線だけで絵が描けるなんて、もちろん思いもしませんでした。。。
しかしながら、寝たきりになった当初こそ、自由に動き回っていたころの記憶が強く、不自由な我が身を恨めしく感じることもありましたが、一年半を過ぎた今、過去の記憶は薄れ、ベッドでの生活が日常となり、周りの皆さんのサポートもあり、不自由さもそれほど苦にならなくなってきました。
そして、あちこちから届くメッセージへの返信や、オンライン学習システムのレポートの提出期限に追われて、ゆっくり絵を描く時間もないなど、「何もやることがない」なんていうのはまったくのウソで、かえって忙しくなってしまっているのが現実。。。
それもこれも、生きることを選択し、決断したからこその結果だと思います。
この先も、治療法ができて、元の身体に戻ることは難しいでしょう。
でも、テクノロジーの進歩は目覚ましいものがあります。
生きてさえいれば、さらに想像を超えた世界が広がることを確信しています。
「気管切開は、やってもやらなくても後悔する。」
かつて、訪問看護師さんから聞いた言葉ですが、今の僕が言うとすれば、「やって後悔することはない。死んだらそこで終わりだけど、生きていれば何かが起こる。」です。