昨年の11月ごろに、自分のこれまでの人生の記録を書き留めようと思い立ち、書き始めた矢先に緊急入院してしまい、それ以来なかなか続きが書けてなかったのですが、今の生活も落ち着いてきたので、そろそろ続きを書こうかと思います。

 

今回は、小学校の高学年ごろの思い出について。。。

 

小学3年の時の怖い担任の先生に鍛えられたせいか、小学校の高学年になるにつれ、体を動かすことがだんだん好きになっていきました。

 

当時流行っていたのは、ドッヂボール、手打ち野球、Sケン、コマ鬼など。毎日、早朝、昼休み、そして放課後には必ず校庭を走り回っていました。

6年生になってからはソフトボールが流行りましたが、僕は何故か野球やソフトボールにはあまり関心を持たず、どちらかといえばボールを蹴って遊ぶ方が好きでした。とはいえ、サッカーのようなゲームをするわけではなく、単なる球蹴り程度でしたが。。。

 

その他に、児童会の選挙に立候補して、見事に落選し、凹んだことや、放課後遅くまで遊んでいて、担任の先生が帰るのを待ち伏せし、学校の隣のうどん屋でうどんをおごってもらったことなどを、なんとなく覚えています。

 

そうそう、当時中学では男子は全員丸坊主にしなければならなかったので、それならばと、6年の夏休みにクラスの男子みんなで夏休み中に丸坊主にする約束をし、9月1日の始業式の時に、僕らのクラスの男子の列だけ見事に丸坊主が並んで、学校中を驚かせたのは愉快な思い出です(笑)

 

当時は、まさに高度経済成長期で、特に大阪は万博の景気もあって人口増加率が高く、僕が小学2年と6年になる時の二度、新設校ができて学校が分かれ、仲の良かった友達とも別れなければならず、寂しい思いをしたことも覚えています。

そんな中でも、4年生の時に同じクラスで仲の良かったN君とだけは、中学まで一緒で、同じサッカー部で彼がキャプテン、僕が副キャプテンを務めるなど濃い付き合いがあり、社会人になってからも共に東京に勤めていて、交流が続いていました。その後、僕がこの病気になって体が動かなくなってきたときに、仕事帰りにわざわざ遠回りしてマンションに寄ってくれ、シャワーの手伝いをしてくれたり、東京医科歯科大学病院に入院している時にも、しょっちゅう顔を出してくれたり、ずっと世話になっています。

まさに竹馬の友、そして大親友。小学校時代の最高の財産です。