もう1年以上前になるかもしれません。
学生時代にお世話になったある方から電話をいただき、「覚悟はできてるの?」と聞かれました。
その方は福祉のボランティアをされていて、ALSの患者さんも支援されており、この病気の大変さを身近に知っておられたため、僕がこの病気になったと聞いて、電話をくださり、その中で「覚悟」という言葉が出てきました。
もしかしたら、この話は以前にもこのブログに書いたかもしれません。今日は、その続きです。
今日の今現在、まだ僕には、気管切開手術を受けて、この先寿命が来るまで生きながらえる覚悟も、日に日に弱っていく呼吸機能が原因となって死ぬ覚悟も、どちらの覚悟もできていません。
その方は福祉のボランティアをされていて、ALSの患者さんも支援されており、この病気の大変さを身近に知っておられたため、僕がこの病気になったと聞いて、電話をくださり、その中で「覚悟」という言葉が出てきました。
もしかしたら、この話は以前にもこのブログに書いたかもしれません。今日は、その続きです。
今日の今現在、まだ僕には、気管切開手術を受けて、この先寿命が来るまで生きながらえる覚悟も、日に日に弱っていく呼吸機能が原因となって死ぬ覚悟も、どちらの覚悟もできていません。
その時、その方に「今の日本人には、自分の生命の始末をつける覚悟を身につける教育がなされていないので、昔の武士のように、上司に切腹を命じられれば、平然と腹を切るような事はできないし、そんな覚悟もない。」と、半ば反発するように答えた記憶があります。
しかしながら、今は「覚悟」の意味はよくわかります。
この先、さらに症状が進み、最終的に眼球しか動かなくなって、それでも生きていく辛さ、そしてそれを選択する覚悟。
もしくは、それを嫌って気管切開手術など一切受けず、呼吸困難の苦しみを乗り越えて死を受け入れる覚悟。
いずれにしても、究極の選択であり、自分の生命の始末をつけるという覚悟です。
昨日、1週間ぶりに出勤をし、うちの職場のトップの方と話すことができました。
その際、そのトップの方から「あなたには、体が動かなくなってからも仕事を続けて欲しい。必要であれば、勤務形態の特例も作るから、ぜひ」と言っていただきました。
今は組織のトップになっておられるその方は、以前僕の直属の上司だったので、そのように言ってくださったのだと思いますが、それでも嬉しかったし、できることならこの先も仕事は続けたいと思っています。
また、今のパートナーと死ぬまで一緒にいたいと思っており、それが受け入れてもらえるなら、気管切開手術でも何でも受け入れ、とことん生きていこうと思っています。それは今想像ができないほど辛い事でもあるのでしょうが、それを乗り越える「覚悟」はあります。
自分自身のことだけを考えれば、たとえ眼球しか動かなくなっても、楽しみを見つけられるだろうし、何かやれることを探して、それなりの人生を全うできるだろうと思っています。
しかしながら、パートナーに見放されたら、自分1人で生きながらえる「覚悟」ができるのかどうか不安があり、まだ決められません。
僕の生命をパートナーに決めてもらおう、なんてことを考えているわけではありません。
今のパートナーを一生のパートナーとして一緒に歩いていこうと決めた矢先の病気の発症。
僕の生命をパートナーに決めてもらおう、なんてことを考えているわけではありません。
今のパートナーを一生のパートナーとして一緒に歩いていこうと決めた矢先の病気の発症。
僕は彼女とずっと一緒にいたい、それだけを考え、それだけが心のよりどころとなって頑張ってきたような気がします。
その彼女が僕の元から去っていってしまえば、生きていく気力を失い、結局生きながらえる事はできないし、そうした選択もしないのではないかと思うようになってきました。
ただ、それは彼女にとっては幸せなことではなく、とても不幸なことでもあると思います。
それを乗り越えて彼女が僕を受け入れてくれるなら、どんなことをしてでも生きながらえて、僕なりに彼女を幸せだと思えるようにしてあげたいと思っています。
今日は2週間に1度の吉野医院の通院日でした。
今日は気管切開の話などはなく、新しいバイパップの使い方を習ってきたりしました。
まだしばらく、究極の選択、「覚悟」の方向の模索が続きます。
その彼女が僕の元から去っていってしまえば、生きていく気力を失い、結局生きながらえる事はできないし、そうした選択もしないのではないかと思うようになってきました。
ただ、それは彼女にとっては幸せなことではなく、とても不幸なことでもあると思います。
それを乗り越えて彼女が僕を受け入れてくれるなら、どんなことをしてでも生きながらえて、僕なりに彼女を幸せだと思えるようにしてあげたいと思っています。
今日は2週間に1度の吉野医院の通院日でした。
今日は気管切開の話などはなく、新しいバイパップの使い方を習ってきたりしました。
まだしばらく、究極の選択、「覚悟」の方向の模索が続きます。

