育てにくい子にはわけがある(後半) | 臨床美術ワーク 日々のタネ

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臨床美術は、認知症の予防や発達が気になる子供へのケア、または社会人向けのメンタルヘルスとしての美術療法です。勉強会やボランティアなど、日々の記録を公開しています。

「臨床美術」および「臨床美術士」は、(株)芸術造形研究所の登録商標です。

「育てにくい子にはわけがある」木村順著

(前回からの続きです)

触覚以外、「視覚」「聴覚」についても言及しています。

ものを見るということは、まず対象物に視線を向けて、眼球運動をコントロールし「焦点をあわせる」ことができて、はじめて対象物の「色」や「形」がわかります。

そしてこの眼の動きは身体の平衡感覚と密接に結びついている。
平衡感覚にトラブルがあると「よく見る」ことが難しかったり姿勢が悪くなったりする。

また、耳の聞こえが悪くなると大きな声でしゃべるようになったりするように、感覚情報が不足すると、それを補おうとして自己刺激行動を作り出しやすい。

多動の子供たちは、感覚の鈍さを補おうとして耳の奥の三半規管や耳石に強い刺激を取り入れるために、飛び跳ねたり走り回ったり高いところに登ったり。動きは「激しく」「パターン的」。
そうやって自分の中でバランスをとっているんですね。

平衡感覚が適切に整ってから、はじめて「ゆっくり」と「調節的に」動くことができるのだそうです。

不器用な子、落ち着きのない子には、ブランコやトランポリンなどの揺れや回転の情報を脳に取り入れると平衡感覚が鍛えられていいそうです。


また、発達につまずきがある子供たちは、普通の教育環境だけでは自分からチャレンジしていく力が弱く、経験や発達の積み上げが進まないという発達の「未学習」があります。

また、脳が正常だと体の動かし方や言葉の使い方、対人関係に至るまで自己修正能力があるのですが、ダメージがある脳では一度学んだ行動様式が固定化され、修正がききにくく「誤学習」が生じてしまう。

この「未学習」と「誤学習」を年齢とともに積み重ねて増大させてしまう、ここが「発達障害」と「健常児」の境目なのだそうです。


しかし、育てにくいと思う理由が「親(自分)のせい」なのか「子どもの発達」なのか
両方グレーゾーンだと、つらい。両方自分のせいだと思ってしまうともっとつらい。。

そういうのってどこで見分けるの?と友人の保育士に聞いたら
「どんなやんちゃな子でもイキイキしてれば問題ない。やっぱり目だよね。目があわせられない子は心配」と言っていました。


育てにくい子の作業療法は、まず子供の発達のメカニズムを知り、つまずいている子供たちの何が「未学習」で何が「誤学習」なのかを読み取ることからスタートするそうです。

大切なことは目の前の子供の状態像をしっかり把握する。
「はじめに評価ありき」の発想が重要であるそうです。

その子の状態像の「評価」があるからこそ、そこから「なぜこの状態になってしまうのか」についての原因や要因を仮説に基づいて推論していくことができる。

問題行動を意味づけし、仮説を立て、そこに対してアプローチできる療養的視点があってはじめて対処することができる。

目標ありきの発想では指導者の期待感が憶測や思い込みを作り出す可能性があることを知っておくべきだ、という指摘は本当に痛い。

著者は、各々の思い込みを避けるためには自分の実践を言葉に置き換えていく努力が必要で、臨床の業界全体が発展していくためにはひとりの経験の積み重ねをできるだけ多くの人と共有していく必要があると説いています。

「なんとなく伝わってきた」ではなく、はっきりと読み取った基準を自覚して「ことば」にしていく、その営みを通してその職種が「専門職」として発展していくのだと指摘しています。
これは作業療法の現場でなくとも重要なことでしょう。


臨床美術の現場でも、相談できる仲間がいると心強いです。
セッションは人数に応じてメインスタッフとサブスタッフで作り上げますが、一人で現場をこなしている人も多いと思います。

専門職の人って深く追求していくのは得意ですが、横のつながりは苦手だったりするんですよねしょぼん

せめて心はオープンにしておきたいものです。。